地域・社会貢献活動

10周年記念作品集に寄せて

  • つくる喜びを表現する
  • 美術家  鷲見 康夫

10周年記念

私は、芸術というのは、もし自分が生まれていなかったらこんな作品はなかったであろうという作品を作り、自分がここに生まれ、生きているということを表現することだと思っています。

又、それを表現するために、精神を解放し自由を獲得することこそ大切だと思っています。

障がいのある皆さんのアートから感じる、作品をつくる喜び、又作品に対する精神の集中。そんな点に注目されたであろう関西電力が、はやくから障がい者アートに関心を持ち、障がい者アートのみに的をしぼった展覧会を行ってこられました。創設時は全国でも珍しく、私はすばらしい展覧会であると感心している一人です。このような展覧会がいつまでもいつまでも続くことを祈っております。

私も色々な展覧会の審査をさせて頂いてきましたが、展覧会には、すべて美術の好きな人、美術の上手な人が我こそは、この作品こそはと思って出品されます。私自身もそんな展覧会に出品し、落選したり入選したり賞を頂いたりしてきましたが、やはり展覧会への出品というのは、往々にしてその作品を褒められたいとか、賞を頂きたいという邪念がこもっているように思います。私自身もそうで、作品に力がこもらずしらじらしい作品になっているのではないかと思います。しかし、10年近く前から担当してきた「かんでんコラボ・アート21」の審査で、私は色々のことを教えられ、また大きな感動や喜びを頂きました。

審査は、大きな部屋に多くの机が整然と配置され、その上に作品が並べられた会場で行なわれます。私は、そんな部屋へ一歩足を踏み入れた時、毎年どきっと致します。それは何故かと考えたとき、おそらく出品された皆さんが純粋であり、制作することに無類の喜びを感じ無心に制作している姿が目に浮かぶからだと思い至りました。そして、その中に喜びを持って入り、それぞれの作品が喜びとともに私の心にせまってくるように思います。

しかし、中には、ふっと力のぬけたような作品に接することもあります。もしかすると、色々の人が色々のことを皆さんにアドバイスしたのかも知れません。そうして、当り前のきれいさになったり、平凡な上手さになったりしている…。そんな作品に接したとき、私は寂しく悲しい気持ちになってしまいます。純粋な気持ち、作品を作ることを無上の喜びとする気持ちが失われ、それによって、その作品に大きな力強い勢いがなくなっているのではないかと思います。  冒頭にも書きましたが、芸術は、もし自分がこの世に存在しなかったら、このような作品はなかったであろうという作品を作り、自分がこの広い世界に、この素晴らしい世の中に生まれてきて生きている事を表現するものだと信じています。障がいのある皆さんこそこれが出来る純粋な人々だと信じ、これからもこのような作品を多くの人々に、そして私にも見せて下さる事を願っています。