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エコルーツ紀行特別コラム
「大破砕帯」に挑んだ日々

笹島 信義(ささじま のぶよし)笹島建設会長

ささじま のぶよしプロフィール
笹島建設会長、1917年富山県生まれ。43年初めて土木建築業に従事、45年熊谷組笹島班を組織。56年黒四(くろよん)大町ルート・黒部ルート工事着工、翌年大破砕帯に遭遇、突破への苦闘を続ける。64年笹島建設創立、社長就任。90年より現職。

北アルプス赤沢岳の直下を貫通して黒部ダムに至る大町トンネル(現・関電(かんでん)トンネル。全長五・四キロメートル)。このトンネル工事のために、熊谷組笹島班班長としてその現場を初めて訪れたのは、一九五六年四月のことだった。春というのにまだ雪深く、険しい山肌には至る所に雪崩の跡が残る。必死で歩き回り、なんとかして坑口(こうぐち)と宿営地の探索を果たしたが、トンネル工事に必要な現地踏査もボーリングも、とても行える状況ではなかった。こんなところに穴が掘れるのか--そんな不安がよぎったが、大町トンネルは、ダム建設現場への重要な資材輸送路。トンネルが完成しなければ、ダム建設も始まらない。とにかく、やるしかなかった。私自身、今まで六十三年間、日本でも海外でも穴を掘ってきたが、踏査ナシで工事を始めたのは、後(あと)にも先にもこの時だけだ 本坑掘削を開始したのはその年の十月。厳寒のなか、一日三交代の二十四時間体制で工事を進め、日進十四メートル という新記録も樹立した。ところが翌五七年五月一日、坑口(こうぐち)から一・六キロメートルの地点で、思いも寄らない事態に見舞われた。「大破砕帯」との遭遇だ。
それは我々トンネルマンにとって、まさに悪夢だった。掘っても、掘っても天井は崩落し、夏でも四℃という手の切れるような湧水が、毎秒六百リットルもの勢いで降ってくる。一時間を二十分ずつの三交代で作業をしたが、現場に出て十分(じゅっぷん)もすると、指先の感覚がなくなるほど。あんなに恐ろしいことはなかった。作業員たちが怯む(ひるむ)のもムリはない。リーダーとして喝を入れようにも「一生懸命やれ」とは言えず、「注意してやれ」と言うのが精一杯だった。現地の関西電力事務所には直ちに対策本部が設置され、事業者、元請け、下請けみんなが一体となって対策に知恵を絞った。とにかく水を抜こうと、十本の水抜坑(すいばつこう)を掘り、岩盤には薬液とセメントを注入して補強した。それでも掘削作業は遅々として進まず、ルート変更案も浮上し始めた八月初め、関西電力の太田垣士郎社長が視察に訪れた。現地につくや、雨合羽と長靴で身を固めた太田垣さんは、危険だからと止めようとする周囲の者を「ずっと奥でみんな仕事をしてくれてるじゃないか」と一喝し、ずんずんと坑内へ。私は案内役を務めたが、狭くて危険な坑内、早く出ていってほしいとばかり願っていた。太田垣さんはトンネルの切羽(きりわ)までやってきて、凄まじい勢いで流れ出る湧水をしばらくじっと見ていたが、突然私に、「どうかね、掘れるかね」と聞いてきた。「なんとかなるでしょう」、私はおうむ返しに答えた。といっても自信があったわけではない。掘れるかどうかなんてわからないが、掘るしかない。半ばやけっぱちな思いで、口走った言葉だった。しかし私のこの言葉に、太田垣さんは「ルート変更せず」との決意を固められたようだった。数日後、私のもとに一枚の絵葉書が届いた。「昨日は大変失礼しました。大変な難工事だと聞いていましたが、皆様方の明るい元気な顔を見て安心しました。日本土木の名誉にかけて頑張ってください。御健闘を祈ります。宇奈月にて 太田垣」関西電力の社長から葉書をもらうなんて夢にも思わなかったが、太田垣さんは、帰阪後直ちに工事完遂の決意を告げ、「鉛筆一本、紙一枚を節約してでも黒四の工事には不自由させない」と宣言された。これで一気に現場の士気が高まった。大破砕帯突入のニュースはマスコミでも大きく取り上げられたため、作業員の安否を気遣う家族から毎日のように手紙や電報が届いた。そうしたなか盆休みで多くの者が郷里へと向かった際は、このうちの一割でも戻ってくれればいいが--そんな私の予想に反(はん)し、休み明け、現場復帰した者は八割以上。作業員たちで一杯のトラックを出迎えた日の感激は、今も鮮明に憶えている。厳しい現場だから、賃金が他より高かったのは事実だが、私たちを現場に駆り立てたのは金銭だけではない。人間の自尊心というか、誰もが自分の仕事に誇りを持ち、命がけで働いた。そしてこの「金では買えない貴重な経験」こそが揺るぎない自信となり、その後我々は、どんなに困難な現場にも臆せず立ち向かえるようになった。五七年十二月二日、全長八十メートル にも及んだ大破砕帯をついに突破。突入以来、実に七カ月を要しながらも、この難工事を完遂できたのは、仕事を命じた人、現場で働く人、すべての人が心を一つにできたからではないかと思う。人間、一人の力は一人分でしかない。上に立つ者はいかにみんなの気持ちを一つにできるかどうか--「世紀の大事業」は、人間の命がけの総結集であり、人々の信頼の絆がなしえた大事業でもあった。

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