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若狭トピックス

越前若狭のふれあい 特別号 NO.11 2012年1月11日現在

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東日本大震災にかかる関西電力原子力発電所の対応
東京電力福島第一原子力発電所事故等を踏まえた取組み状況について

 この度の東日本大震災により、尊いお命を亡くされた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、被災された方々やご家族をはじめ、関係する皆さまに、心からお見舞い申し上げます。
 当社は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を、同じ原子力事業に携わる者として、大変重く受け止めており、今回のような事故を絶対起こさないとの決意のもと、原子力発電所の安全確保に全力で取り組んでいます。
 今回本誌では、「平成23年東北地方太平洋沖地震の知見等を踏まえた原子力施設への地震動及び津波の影響に関する安全性評価の実施状況」「美浜発電所3号機の安全性に関する総合評価に係る報告書の提出」についてお知らせします。
 当社は、引き続き、安全を最優先に原子力発電所の安定運転に努め、電力供給力の確保に最大限努力するとともに、福島第一原子力発電所事故を踏まえた安全性向上対策を速やかに実施してまいります。
 また、今後も、新たな情報が得られ次第、迅速かつ的確に必要な対策を追加・実施し、原子力発電所の安全確保に全力で取り組んでまいります。

平成23年東北地方太平洋沖地震の知見等を踏まえた原子力施設への地震動及び津波の影響に関する安全性評価の実施状況について
1天正地震に関する津波堆積物調査結果の報告について

 当社、日本原子力発電株式会社、独立行政法人日本原子力研究開発機構の3社は、過去の津波の痕跡の情報を蓄積することを目的に、若狭湾沿岸における津波堆積物調査として、平成23年10月24日から平成23年12月10日の間、若狭湾沿岸9箇所でボーリング調査を実施し、約1年かけて約1万年前まで遡った地層を調べることとしています。
 そうした中、平成23年11月11日に原子力安全・保安院から天正地震に関する調査結果の報告のご指示を受け、天正地震の年代を含む地層を採取し、分析調査等を行い、平成23年12月21日、以下のとおり原子力安全・保安院へ報告しました。

天正地震に関する津波堆積物調査結果 図

1.調査方法
■津波堆積物調査
ボーリング調査を行った9箇所のうち4箇所(右図参照)を選定し、天正地震(1586年)の年代を含む地層(表層1mより浅い地層)を採取・試料分析し、津波堆積物の有無を確認しました。
■文献調査
天正地震に関する最新の地質文献、地震被害に関する文献と合わせて、若狭湾沿岸の自治体によって取りまとめられた県市町村史誌に関する文献を調査しました。
■神社聞き取り調査
海岸線に近く、標高の低い神社への津波被害に関する文書等の調査や、宮司への聞き取り調査を実施しました。
2.調査結果
■津波堆積物調査
【久々子湖1地点】…久々子湖北東の日本海側から浸入してきた津波の痕跡を把握するための地点
・津波堆積物の指標となり得る砂層は認められませんでした。
・微量な海生生物(有孔虫、貝形虫及び海水性珪藻)の痕跡が確認されました。
【久々子湖2地点】…久々子湖の奥(最も陸側)まで到達するような津波の痕跡を把握するための地点
・津波堆積物の指標となり得る砂層や海生生物の痕跡は確認されませんでした。
【菅湖3、中山湿地4地点】…久々子湖を越えるような津波の痕跡を把握するための地点
・津波堆積物の指標となり得る砂層や海生生物の痕跡は確認されませんでした。
○4地点のすべてにおいて天正地震の年代を含む地層では、津波堆積物の指標となり得る砂層は認められませんでした。
○久々子湖1地点の地層に海生生物の痕跡が確認されました。これは、堆積環境が汽水〜淡水域であったことも要因として考えられますが、規模の小さい津波や高潮・暴浪により海水が流入した可能性は否定できないものの、久々子湖
2地点(久々子湖の奥まで)には至らない規模であったと考えています。
■文献調査
○天正地震に関する文献調査を行った結果、若狭湾における天正地震による津波被害が記載された文献は、1「フロイス日本史(にほんし)」、2兼見卿記(かねみきょうき)」、3「イエズス 會日本書翰集(かいにほんしょかんしゅう)」及び4「マカオしきょうくれきししりょう」の4文献 ※1であることを確認しました。
○「フロイス日本史」が、「若狭の長浜」における津波について記述したものとほぼ同じ内容で、津波の発生箇所を「近江の長浜」とする文献 ※2があること、滋賀県長浜市で実施された考古学調査結果により、天正地震で琵琶湖の湖底に沈んだ町の遺跡が発見されたことを確認しました。
○福井県及び若狭湾沿岸の県市町村史誌には、渡島大島津波(1741年)等の記載はあるものの、天正地震による津波の被害に関する記載が認められなかったことを確認しました。
※13はフロイスの書簡を参照し、41の第二部に当たるとされていることから、実質的に「フロイス日本史」、「兼見卿記」の2文献であることを確認した。
※2…飯田汲事(1987年):「天正大地震誌」、山内家史料刊行委員会(1980年):「山内家史料第一代一豊公紀」

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