木曽川開発の歴史

木曽川history part6

電力再編成と関西電力の水力開発

・9配電会社の誕生
 昭和14年4月1日の日本発送電株式会社設立時には、残る配電事業の統制についても既に方向性が示されていました。昭和12年に閣議決定された「第一次電力国策要綱」により優良配電会社に小規模事業者を吸収合併させるなどして整理統合を進め、料金の国家管理をも行う体制を目指していました。が、これにも限度があり整理統合がこれ以上進まないとみるや、昭和15年には「第二次電力国策要綱」に基づき全国の配電事業を数地区の特殊会社にまとめ、配電管理が容易にでき、且つ既に国策化した日本発送電とも緊密化が図れるような体制整備を行うこととしたのです。
 この「電力国策要綱」に対し、日本経済連盟等を中心とした民間から反対論がでていましたが、その一文に「電力卸売専門会社は、日本発送電に帰属することなく理想的統制案が確立されるまで・・・」と記されていました。これは日本発送電を解体し、ブロック別に発送配電一貫経営を示すもので、現在の9電力会社体制の到来を予感させる考え方でした。しかしこれらの抵抗もむなしく、「国家総動員法」の改正と「配電統制令」の公布により「国策配電会社」が設立され、国家をバックとした会社統廃合が更に進み、電力の国家管理は揺るぎないものとなっていったのでした。
 昭和17年には現在の9電力会社とほぼ管理区域を同じくする9配電会社が設立され終戦後しばらくまで日本発送電とともに日本の電力供給を担っていくこととなったのです。

・電力再編成問題
 昭和20年の終戦を迎え、戦中の軍需産業、生産の拡大を目的としていた電気事業の国家管理体制のあり方そのものが問い直されることとなったのは当然のことですが、当時の世情や電力事情の不安定さから早急な変革は混乱を来すとの判断から、配電会社は営利を目的とした商法上の一般会社として、日本発送電は国家管理の特殊会社として当分の間存続することとなりました。が、旧財閥解体で有名な占領軍の民主化政策「過度経済力集中排除法」に基づき、電力事業も再編成を余儀なくされることになりました。
 この再編案にあたって、日本発送電と9配電会社との間で相当の綱引きがありました。再編に関する基本方針を審議する「電気事業再編審議会」内において、9ブロック会社の他に、日本発送電の約半分の発電設備と超高圧送電線の大半を移管し電力融通を行う会社設立を計画する一派と、同審議会会長「松永安左エ門」率いる、発送配電設備を9ブロック会社が所有し事業を行う体制を目指す者たちが暗闘を繰り広げました。

・関西電力東海支社は「潮流主義」と「一河川一会社主義」から成る
 松永安左エ門については、五大電力の一つであった東邦電力の実質的な経営者であり福沢桃介とも浅からぬ縁があることは既に紹介しました。関西電力東海支社に一番関連のある事業家としては、木曽川の水力開発を行った「桃介」の名前が一番に挙げられますが、支社の誕生に一番影響を与えた人物が「松永」その人なのです。
 先述の審議会で松永が唱えた方針は、9ブロック会社設立のほか桃介同様「一河川一会社主義」、発送電設備と建設中設備の所在地如何にかかわらず消費地に直結するものは、その主たる消費地の地区別会社に所属させるという「潮流主義」であり、まさに関西電力東海支社発足の諸条件を満たす考え方を主張していたのでした。
 最終的にはこの案を骨子とした再編成が実施され昭和26年5月1日、現在の9電力会社や関西電力東海支社も発足したのでした。
 この時の両派の暗闘を物語るあるエピソードがあります。最後の日本発送電総裁であった小坂順造氏が昭和29年発刊の「日本発送電社史」冒頭あいさつの中で触れているのですが、「発送配一貫の9電力会社発足間もないこの時期に、その業態を批判するには早計に失するかもしれないが・・(中略)・・電気事業は国家的見地に立って総合的に実施すべきで各電力会社の恣意に委すべきものではない・・・」とあります。再編成実施後にあえてこのような表記をされたところからも、当時のせめぎ合いの厳しさがうかがい知れるのではないでしょうか。

・再編成時付近の木曽川水力開発
 日本発送電により着工、竣工を迎えた発電所としては、三浦調整池の竣工(昭和17年)、湛水開始間もなく建設工事が開始され、終戦間際の昭和20年1月に運転を開始した三浦発電所や昭和18年着工、昭和22年2月に竣工した上松発電所、御岳発電所(1~2号機)があります。
 これらの発電所は戦況が悪化、建設資材や労働者が不足する中、廃止される発電所の機器を関西から運搬・流用したり発電機コイル用の銅不足のため、アルミ線を代用するなど建設に関わった方々の苦労は並大抵ではなかったことが推察されます。
 関西電力発足後としては、日本発送電から継承を受け完成した滝越発電所(昭和26年)があり、その後丸山発電所、御岳発電所3号機がそれぞれ昭和29年に竣工しています。

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