木曽川開発の歴史

木曽川history part2

東海地方における電気事業と木曽川における水力発電のはじまり

1.木曽川初の水力発電所 八百津発電所の建設
 長距離高圧送電技術の向上などにより、順次発展をしてきた電気事業の将来性に着目した財界は、各地域での河川開発による水力発電に乗り出すことになりました。
 とりわけ当支社に深く関わる木曽川では、中部地方の財界が設立した名古屋電力株式会社が名古屋市内外への供給を目的として1904年(明治37年)に岐阜県加茂郡八百津町での水力電気用水路の新設を県知事に出願、2年後に発電所着工の運びとなりました。当時「木曽川発電所」と呼ばれたその発電所は後に「八百津発電所」に改称され、中部地方に貴重な電力を供給していく’木曽川初’の発電所となったのです。

 明治40年代における出力1万KW級、約670万円の費用を要するその工事は当時としては画期的な大工事であり土木界からも注目をあびていたのですが、折しも日露戦争の反動不況の真っ直中。併せて難工事の連続から、当初の計画より工期、費用とも多くを要することとなり着工から5年後の1911年(明治44年)に竣工しました。また、放水路の落差を利用した極めて珍しいシステムの放水口発電所 (1,200KW)が1917年(大正6年)に竣工しています。
 この発電所が竣工に至るまでには数々のエピソードがありました。河川開発による水力発電の専門技術が確立されていない時期であり、発電所の設計も築港・鉄道関係の土木技術者が行ったことはおもしろいものなのですが、発電所を建設していた名古屋電力が、名古屋市内外での電力販売の競争相手としていた名古屋電灯に1910年(明治43年)吸収合併されてしまったのです。ライバルに対抗するための発電所建設が、結果的に会社の体力を奪いあげくのはてに発電所までとられてしまうという皮肉な結果となったのです。電力、配電会社乱立時代を象徴する出来事ではないでしょうか。

2.八百津発電所の廃止とその後
 八百津発電所は、1954年(昭和29年)の丸山ダム、1971年(昭和46年)の新丸山発電所完成後も負荷調整が可能な発電所として運転を続けていましたが、1974年(昭和49年)11月に設備老朽化のため63年間の’現役生活’に幕を下ろしました。
 その後は、発電所建物や発電機は、地元八百津町に譲渡され貴重な民俗資料、出土品を展示する郷土資料館として新たなスタートを切りました。
 1977年(昭和52年)には岐阜県の重要文化財に、そして1998年(平成10年)5月には’近代化遺産’としての国の重要文化財の指定を受け「旧八百津発電所資料館」として貴重な放水口発電所、発電機内部の公開を行うなどその歴史的価値の高さを十分にアピールしています。

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