木曽川開発の歴史
「旧八百津発電所資料館」は旧八百津発電所の廃止後、同施設を活用して平成10年4月20日にオープンし、同年5月1日には国の重要文化財に指定されました。
永きにわたり親しまれてきた本資料館は、耐震性の問題により平成30年より内部公開を休止しています。
旧八百津発電所
水車発電機
八百津発電所あらまし
八百津発電所は明治44年に、木曽川水系最初の本格的発電所として名古屋電灯株式会社により建設されました。
当初の設備は米国モルガン・スミス社製水車4台と、ジェネラル・エレクトリック社製の発電機4台が設置され、出力7,500kWを発電するもので、当時の日本では有数の発電設備でした。水車のケーシングが破裂するといった事故もありましたが、その原因解明と改良により、日本の水車製造技術が向上するという役割も果たしました。その後、大正13年までに4台とも電業社製に交換され、発電機も芝浦製作所がコイルを巻き換え、出力9,600kWの発電設備となりました。
放水口発電所
発電機
水車
放水口発電所
放水口発電所は、電気需要の逼迫を解消するために、八百津発電所から放流した水を有効利用し、大正6年に造られた出力1,200kWの発電施設です。八百津発電所は建物を洪水位より高い位置に置いたため、平常時は約7m上から河川へ放流していました。この落差を有効利用して造られたのが放水口発電所です。
横軸露出型二輪単流4連フランシス水車2台(水車ランナは全部で8輪)で発電機1台(日立製作所)を回すのは、他に類例のない設備でした。当時の日本は欧米と比較して技術が未熟であったため低落差用の発電用水車の開発が困難でした。4台の連成水車を低落差用に採用したのは、日本の水車製造技術の水準と特徴を示す貴重な産業遺産で、現存している例のないものです。
八百津発電所は明治・大正・昭和の3代にわたり活躍してきましたが、昭和46年の新丸山発電所(関西電力)の完成を機に、昭和49年に運転を停止し、約63年にわたる発電の歴史に幕を閉じました。関西電力では昭和53年に発電所施設を地元八百津町に譲渡したものです。
所在地 | 岐阜県加茂郡八百津1770番地の1 |
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電話 | 0572-43-3687、43-0390 (八百津町役場内教育委員会) |