木曽川開発の歴史

発電所の碑文

 木曽川流域にある関西電力の発電所には、摩訶不思議な文字や人物が描かれた銅板、石碑、人物像などがいたるところに所在しています。これらは発電所が完成した記念に、建設の経緯や建設に携わった関係者を、「紀功碑」や銅像として残しその功績を偲ぶために設置されたものです。
 ここではそれらの意味やエピソードなどをまとめました。

「山色水光傳功永」(さんしょくすいこうをとこしえにつたう)

場所:
寝覚発電所
(長野県木曽郡上松町)
意味:
「山の色、水の光、この素晴らしい自然を永く伝えよう」

■環境保護を意識した碑文である。
関西電力の前身、大同電力時代に設置された。

■第二次世界大戦中には、金属でできていた碑文は供出対象となり紀功碑も破壊されることが多かったが、この碑文を破壊しようとした憲兵に対し当時の現場長が「この紀功碑相当の金属を提供するから、私の懐中時計も・・・」といって哀願し回収を取りやめさせたという。

「水然而火」(みずもえてひ)

場所:
桃介公園
(長野県木曽郡大桑村)
意味:
「水が形をかえ、火となる」

水は水力発電所で電気へと形をかえ、やがては火を起こすなど、生活の礎となることを表している。
福沢桃介が好んで書いた言葉と伝えられている。

■昭和61年に伊奈川第二発電所が竣工したことに伴い、木曽川における水力発電所の発電能力が、100万kWを越えた。これを機に更なる躍進を祈念し建てられたもの。

■碑陰には歴代東海支社長の名が刻まれている。


福沢桃介胸像

場所:
桃介公園
(長野県木曽郡大桑村)

■福沢桃介の胸像は複数存在し、戦時中の金属供出により台座のまま放置されている状態のものもあった。
この桃介公園の胸像は、賤母発電所(岐阜県中津川市)に残されていた台座を移転し、昭和47年に桃介の木曽川開発の功績を偲んで復元再建されたもの。

目次へ戻る 次のページへ進む
東海支社HOME
企業情報