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おおい町の語り部たち
田楽・扇(翁)の舞 |
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ササラと太鼓で素朴なリズムを刻む |
平安時代中期以降に流行した田楽は、田園の行事から発生した芸能のひとつ。その「田楽」と、続いて行われる「扇の舞」が、大島には残っています。行われるのは秋の10月9日・10日の2日間。9日は島山神社と余永神社の2ヵ所で、10日は島山神社だけで行われます。メンバーは4人で、庄司、中根、大道、寺戸の4家の人々が代々、演者としての役割を担っています。衣装は、黒羽二重の紋付きの上に、裏地のない藍染めの麻織りでできた直垂れ(ひたたれ)と切袴をつけ、草履をはきます。 田楽で用いられる楽器はごく簡単なもので、太鼓とビンササラの2種類。ビンササラは、多くの木片を少しずつあけて重ね、上端をひもで連ね、両端を持ち、激しく振ると音が出ます。構成は、太鼓打ちが1人、ビンササラが3人。演奏では、腰をかがめて向かいあったり、立ったり、回ったりしながら、ササラを3回、太鼓を3回同時に鳴らし、それを3回繰り返します。次の扇の舞では、田楽出演者のうちの1人が、神殿の石段へ上がり、白扇をかざして、下段にいる一人が打つ緩慢な太鼓のリズムに合わせて緩やかに扇の舞を演じます。ちなみに”おうのまい”は、白扇をもって演じるところから”扇の舞”と解釈されていますが、本来は能楽の”翁”の名残ではないかと考えられています。 | |
「子供の頃、よく見に連れて行かされました」と語る庄司庫雄さんは、田楽メンバーの一人。父親の戦死により20歳頃から活躍を続けています。「当日は、神社の本殿で禰宜(ねぎ)さんが祝詞をあげた後で、ササラと太鼓と帽子の入った籠を出してもらい、それらを身につけ、舞に入るのです。扇の舞は当番制で、4人が毎年交替で舞い、舞った人にお宮さんからお米1升が与えられます。日当のようなもんですな。田楽も扇の舞いもそう難しいもんじゃありませんが、間違えちゃいかんということで、気持ちを引き締めてやっていますよ」と庄司さん。「先祖代々から引き継がれてきたものなんで、絶やすことなく、子供から孫へと伝えていきたいね」と語る言葉から、若い世代への期待感がうかがわれます。 |
![]() これがビンササラと呼ばれる楽器。 激しく振って音を出します。 |
![]() 舞を演じる人が石段の上に上がり、 残りの3人が太鼓の役目。 |
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