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織田(おた)の劔(つるぎ)神社 越前町
信長が氏神として保護織田一族発祥の地
 越前国一の宮は敦賀の氣比(けひ)神宮、二の宮が越前町織田(おた)の劔(つるぎ)神社です。戦国武将織田(おだ)信長の先祖は、越前織田の出身とされ、信長自身も劔神社を氏神(うじがみ)として手厚く保護しました。
 劔神社には、信長政権が発した多くの文書が残されています。天正元年(1573)、朝倉氏を滅ぼして越前を掌握した直後に信長が出した「安堵(あんど)状」では、劔神社が従来の所領を引き続き支配することや税の免除などを認めています。その2年後に越前一向一揆を鎮圧した際、信長は越前南部の寺社領をことごとく没収するよう家臣に命じたなかで、劔神社だけは対象外としました。
 信長から越前の統治を任された柴田勝家は、劔神社の門前に対し諸税を免除した「諸役(しょやく)免許状」の中で、劔神社を「殿様御氏神」と記しています。この「殿様」とは言うまでもなく信長です。
 信長の祖先は、越前織田で劔神社の神官をしていたとか、織田荘の荘官をしていたといわれており、室町時代の初めころ、越前守護・斯波(しば)氏に取り立てられ、同氏が尾張守護を兼任するのに伴って尾張に移ったと伝えられていますが、残念ながら、その裏付けとなる史料は確認されていません。
 越前町織田文化歴史館の高木久史学芸員によると、「明徳4年(1393)に藤原信昌(のぶまさ)・将広(まさひろ)父子が劔神社再興に力を尽くすことを誓約して奉納した文書が同神社に伝わっており、信昌・将広は信長ら織田一族の祖先にあたると考えられています。この親子の代に尾張へ移り、故郷の地名をとって織田姓を名乗り始めたものと推定されます。1500年代後半に活躍した信長は、織田氏の傍系の子孫にあたります。ただ、信長の直系の先祖のうち、確実な史料で名前がたどれるのは曾祖父までで、それ以前の系譜は定かではありません」とのこと。
 劔神社の境内には、昭和59年に信長生誕450年を記念して建てられた「戦国武将 織田一族発祥地」の石碑があります。同神社の宝物殿には、信長の安堵状や勝家の諸役免許状など多数の古文書のほか、国宝の劔御子(みこ)寺梵鐘(奈良時代に鋳造)があり、実物を見学(拝観料300円)することができます。また、境内北側に隣接する町の歴史資料館(入館料100円)では、劔神社を中心に発展してきた織田の歴史や、織田信長との関わりなどが分かりやすく展示、解説されています。
 小国の一領主に過ぎなかった信長がまたたく間に「天下布武(ふぶ)」を推し進めた原動力は、鉄砲の活用や軍艦の建造、関所の撤廃、楽市楽座をはじめとする経済政策など、合理主義に徹し、時代を超越した革新性と実行力にありました。日本の歴史を動かした人物として、筆頭にあげられる織田信長。そのルーツとも言える織田の劔神社には、合格成就や勝運隆昌の祈願に大勢の人が訪れています。
劔神社本殿
▲劔神社本殿(拝殿の 後方)。江戸初期に再建された入母屋造り、こけら葺きの建物です。
織田一族発祥地の石碑 通称「信長通り」に立つ威風堂々とした信長像
▲織田一族発祥地の石碑(劔神社境内) ▲通称「信長通り」に立つ威風堂々とした信長像
劔神社の宝物殿
▲信長の「安堵状」(右上)など、古文書や国宝の梵鐘が展示されている劔神社の宝物殿。権祢宜の宮澤さんにご説明をいただきました。
地図
おもかる石
▲拝殿に置かれている「おもかる石」。 願い事が かなうときは軽く持ち上がるそうです。
【参考文献】
『図録 織田一族の肖像画展』(織田町歴史資料館・平成16年発行)
【取材協力】 劔神社の田中範夫宮司、宮澤進権祢宜、越前町織田文化歴史館の高木久史学芸員からご教示をいただきました。


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