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越前若狭探訪

越前若狭探訪

列島創成期、水中大噴火が生んだ足羽山(あすわやま)の笏谷石(しゃくだにいし)〈福井市〉

足羽山〈福井市〉地図

朝日山不動寺の笏谷石露天掘り跡
▲ 朝日山不動寺の笏谷石露天掘り跡

足羽山の地中深く広がる七ツ尾口坑の採掘跡
▲ 足羽山の地中深く広がる七ツ尾口坑の採掘跡。歴史的産業遺産として民間企業が保存に取り組んでいる。

機械掘りが行われた縦坑
▲ 機械掘りが行われた縦坑。地下水で水没している。

壁に刻まれたツルハシの跡
▲ 壁に刻まれたツルハシの跡

 福井市中心部の足羽山は、越前の名石として知られる笏谷石(別名・越前青石)の産地。青みを帯びてキメが細かく、加工がしやすいことから、1500年以上にわたり様々な用途に使われてきた。古墳時代の石棺(せっかん)をはじめ、戦国朝倉時代の石仏・石塔のほか火鉢等の生活用品、また丸岡城の石瓦、北ノ庄城や福井城の石垣、現代の建築石材に至るまで。2016年には日本地質学会から「福井県の石」に選定された。

 笏谷石の成り立ちは、今から約1800万年前頃。地殻(ちかく)変動により、ユーラシア大陸の縁(へり)から、のちに日本列島となる陸地が引き裂かれて日本海ができ、それに伴う水中火山活動で、膨大な量の火山灰・軽石・岩石片が火砕流(かさいりゅう)となって噴出。笏谷石は、それらが堆積して固まった厚さ約100mに及ぶ「デイサイト軽石火山礫凝灰岩(れきぎょうかいがん)」だ。

福井市自然史博物館
▲福井市自然史博物館の笏谷石展示・解説

 足羽山には、61カ所の採掘場跡(露天掘り跡22、採掘坑道跡39。2007年調査)が確認された。東麓の朝日山不動寺は、明治中頃まで採掘が行われた露天掘り跡。同寺の背後に切り立つ高さ30m以上もの岩壁は、採掘の規模を物語る。

 七ツ尾口坑と呼ばれる地下採掘跡は、石の名前にもなっている北西山麓の笏谷に位置する。太平洋戦争末期には舞鶴海軍の戦闘機部品を作る地下工場や防空壕として使用。その際、七ツ尾口に貫通口(出入り用の横穴)を設け、多数の縦坑(採掘場)を連結した。内部には、良質な石の層を探して掘り進み、幾筋にも分岐した横坑、地下水で水没した縦坑や、高さ十数mの大空間も。壁面には人がツルハシなどを用い、手作業で丹念に石を切り出した痕跡が残されている。ここは1963年(昭和38)まで採掘が行われた。

 足羽川は河川改修が行われた昭和初期まで、笏谷へ大きく蛇行して流れていた(下図)。笏谷一帯には多くの採石場があり、古くから、笏谷石を川岸で舟に載せ、舟運により越前国内外へ送り出した。特に江戸時代には、三国湊から北前船で、船を安定させる役目を兼ねて船底に積み、越前特産の石材として主に日本海側各地に運ばれた。

 大正末からは石材用カッターや電力ウインチが導入され、機械化が進んだが、後にコンクリートやタイルの普及、人件費の高騰、石職人の減少、安い外国産石材にもおされ、1999年(平成11)に笏谷石採掘を終了した。

 2019年5月、笏谷石は、一乗谷朝倉氏遺跡や福井城址などとともに日本遺産「400年の歴史の扉を開ける旅〜石から読み解く中世・近世のまちづくり越前・福井〜」に認定、「日本人と石との共生の歴史や屈指の石づくり文化を体感させてくれる」と評価された。笏谷石は、今も敷石や縁石などとして私たちの暮らしの身近にあり、親しみと愛着を感じさせる存在だ。

足羽山(あすわやま)の笏谷石(しゃくだにいし)〈福井市〉地図

*デイサイト…火山岩の一種

【参考】福井市自然史博物館・吉澤康暢元特別館長の講演・資料、同博物館の展示・解説、「福井市史資料編13 民俗」(福井市・1988年発行)、「笏谷石造りをたずねて」(大久保まさ子著・1993年発行)、ふくい笏谷石の会サイト

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