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黒部川電源開発
 黒部川の水力電源開発は、大正時代から始まりました。「日本の屋根」といわれる高い山々に挟まれた黒部峡谷は人々をよせつけない地形でした。しかし降雨量が多く急峻な河川であるため、水力発電に極めて有利な条件を備えていたのです。
黒部開発の苦闘とその全貌
 大正7年、猟師すら足を踏み入れないと言われた秘境黒部に、 タカジアスターゼの発見者として知られる高峰譲吉博士が黒部の水力発電の可能性にいち早く注目し調査を始めました。大正12年には、日本電力によって宇奈月~猫又間の軌道の開削に着手、また日電歩道も開削され調査が進められていきました。
黒部峡谷最初の発電所、柳河原発電所は大洪水や大雪崩などの自然災害に阻まれ、大正13年の着工から3年後の昭和2年に運転を開始しました。
トロッコ電車は工事用の資材を運搬するために利用されていました。「安全を保証しません」と書かれた当時のキップ(右写真)は、断崖絶壁を走る電車の危険さを物語っています。
昭和12年には欅平まで電車が開通し、昭和11年に宇奈月より下流の愛本発電所が運転開始、黒部川第二、第三発電所と黒部川をさかのぼって発電所が建設されていきました。
山岡順太郎(やまおかじゅんたろう)氏
 大正8年12月、日本電力の初代社長に就任し、在任約9年、「電源ありしこうして産業あり」の信念に基づき幾多の難関を突破して会社の基礎を確立しました。
山岡氏は宇奈月の地をこよなく愛し、その人柄を慕う社員の浄財をもとに建てられた別邸を「独楽荘」と名付け、独楽荘主人と号していましたが、難工事であった柳河原発電所の完成をみた翌昭和3年逝去されました。
山田胖(やまだゆたか)氏
 宇奈月の繁栄の基礎を築いた恩人です。黒部川電源開発の為には資材補給や従業員の厚生娯楽の基地として宇奈月の開発が重要であると開発に熱をそそぎ、大正12年には、無人の荒れ地であった桃原(今の宇奈月、桃原はウナヅキ平とも呼ばれていた)に温泉を引湯して、宇奈月温泉の基礎を築かれました。
日電歩道
 大正14年ごろ、黒部開発の調査のため、黒部川左岸の絶壁の岩を削ってつくられた幅50センチほどの日電歩道 (16.6km) を、測量隊は大きな荷物を担いで命がけで運んでいました。 いまでは幅80センチに広げられ、登山者が欅平から黒部ダムまでを歩行できるよう、毎年整備されています。
高熱隧道
 昭和11年9月に始まった黒部川第三発電所の阿曽原~仙人谷間の隧道掘削中、岩盤温度が不気味に上昇する高熱地帯に遭遇しました。工事が進むにつれ岩盤温度は最高165度にも達し、工事は難航。渓谷の水を注入したり、アンモニア式冷却機による切羽への送風を行うなどして作業を継続。昭和15年11月、黒部川第三発電所は完成しました。
 
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