イノベーターズSTORY no.02 vol.1 “国を超えて人がつながる”仕組みを生み出した関西電力 森脇健吾氏の物語「諦めるな、道はいくつもある」イノベーターズSTORY no.02 vol.1 “国を超えて人がつながる”仕組みを生み出した関西電力 森脇健吾氏の物語「諦めるな、道はいくつもある」

プロローグ

「社長になるのか……」
去年の今頃には、まさか1年後に自分が社長になるとは、思ってもみなかった。
森脇はこれから始まる新しいチャレンジに胸を躍らせていた。

———2019年10月。
関西電力グループに新たな会社が誕生する。
会社名はTRAPOL合同会社。代表を務めるのは、関西電力から出向となった森脇健吾(もりわきけんご)、32歳。

同社が提供する予定のサービス「TRAPOL(トラポル)」は、「届ける、それが旅になる」をコンセプトにした、新しいスタイルの旅行サービス。“ニッポンのお土産”を現地(海外)に届けると、お土産を受け取った現地の人が、「現地の暮らしに溶け込む旅」に連れ出してくれる。旅とお土産を通じて、人と人がつながるきっかけを作るという仕組み。
https://lp.trapol.co.jp

森脇は、2018年の「かんでん起業チャレンジ制度(※1)」(以降、起業チャレンジと表記)にて「TRAPOL」を提案し、一次審査、最終審査を経て、見事合格。

2016年に「k-hack(ケイハック)」という新規事業の創出を目的とした若手社員の有志団体を立ち上げた森脇は、そこでの仲間との出会いをきっかけに、この「TRAPOL」にたどり着いた。

「もし起業チャレンジで合格しなかったとしても、別の手段でやっていたと思う」
そう語る森脇の「TRAPOL」への想い、そして起業チャレンジ合格に至るまでのストーリーをお届けします。

(※1)「グループの事業領域の拡大」「競争時代にふさわしい人材の育成と風土づくり」をねらいに、平成10年に創設した社内ベンチャー制度。現在は、年1回から年2回に機会を増やし、その可能性を広げている。

第1章 出口の見えない“モヤモヤ期”

入社3年目の起業チャレンジで不合格

森脇は関西生まれ関西育ち。
大学時代、就職活動を始めた頃には、新規事業への興味関心を持っていた。
関西電力に入社を希望したのも、エネルギー分野に興味があるというよりも、「関西電力の巨大なリソースを活用して、新しい領域に挑戦したい!」そう考えていたからだ。

2010年、森脇は新卒で関西電力に入社した。
最初の2年間は、神戸管内で営業を経験。3年目に本店IT戦略室で勤務することになる。ちょうどこの頃、全社で新しい業績評価制度のシステムを導入するというタイミングにあり、森脇は同システムの企画に従事する。

しかし、森脇の興味は新規事業創出。
実は入社以前から、社内で起業チャレンジ制度があることも知っており、入社後はチャレンジしてみたいと考えていた。
そして本店勤務になった入社3年目の頃、同制度に応募を試みた。

———しかし。
結果は不合格だった。

このままじゃ、事業は起こせない……

森脇が提案したアイデアは、子育て支援アプリだった。
着想は自身の経験から生まれた。

森脇は、ちょうど自身の子どもが生まれたタイミングということもあり、子育ての大変さを身を以て感じていた時期だった。

そこで、
「子育てに関連する何かをやりたい……」
そう考えるようになっていた。

共働きのため保育園に子どもを預けていた森脇は、保育園の連絡帳をはじめ、保育園のシステムがもっとデジタルだったら、保育園側も子どもを預ける側も便利なのでは? という発想を持っていた。
そこで、保育園と保護者との連絡や、保育園にいる子どもの様子などをデジタルで管理できるアプリを考案する。

残念ながら、結果は不合格だった。
合格に至れなかった要因として、求められるような事業計画・収支計画が出せなかったからだと考える。
しかし、「何が何でも実現したい!」と思えるほどの情熱もなかったため、諦めも早かった。どちらかというと、この頃はまだ自分が実現したいことを手探りで探していた時期でもあり、起業チャレンジはどういうものかを試してみたかったという気持ちも大きかった。

———だが、実際に起業チャレンジを利用したことで、同制度に対する大きな気づきもあった。それは、事業開発において必要な「仲間を作る」ための環境や、「トライアルの場」が用意されているわけではないということ。

ひとりで何でも動かせるような経験者だったり、サポートしてくれる仲間が既にいる環境であれば、制度の機会提供だけで良いかもしれない。

しかし、自分のような経験がない人間は、ひとりでできることには限界がある。
資料上で、いくら事業計画・収支計画を出したとしても、それが本当に実現可能なのか、わからないのだ。

「このままじゃ、事業は起こせない……」
森脇は自身のアイデアが合格しなかったことよりも、どうしたら本当に事業開発ができるのか? それが見えないことにモヤモヤし始めていた。

モヤモヤ期を経て生まれた「k-hack」

チャレンジ制度を終えてからの森脇は、新規事業につながりそうな部門への異動希望を出したり、社外との接点を増やすなど、事業開発がしやすい環境と仲間を求める日々を送っていた。

それでもやらなければいけない業務は目の前に溢れている。
森脇はモヤモヤしながら過ごしていた。
転職しようか……、そう考えたこともあった。

———ちょうどその頃。
大手企業の社員を中心に、ある取り組みが世の中を賑わせていた。
それは、複数の大手企業の若手が集まる「ONE JAPAN」などを筆頭に、大手企業の社員がひとつになり、イノベーションを仕掛けていくというような、会社の垣根を超えた新しいネットワークだった。また、パナソニックの有志団体「One Panasonic」のように、社内で世代や部署を超えてつながり合う取り組みも注目されていた。

当然、森脇もそれらの動きに注目し、参加を試みたりしていたのだが、たまたま同じ部門にも、積極的に参加しているメンバーがいた。
それが、のちに「k-hack」を共に立ち上げることになる財津だ。

「関西電力でも、有志団体を作ろう」
財津の呼びかけに森脇が賛同するかたちで、2人は意気投合した。

財津は元々、社員同士のネットワークやコミュニティを作りたいという構想を持っていた。一方の森脇は、事業を起こせるプラットフォームを作りたいと考えていたこともあり、その想いが重なった。

起業チャレンジを通じて「新規事業をひとりでやるには心が折れる……」、それを経験していた森脇は、強く共感してくれる仲間がつくれる環境が必要だと考えていた。
また、新規事業は数字とにらめっこしても何も生まれない。
実践で試してみるとか、論理的に説明がつかないものでも、何となく面白いからやってみるという環境がないと新しい価値は生み出せないと考えていた。WILLをもった少数がガッと動きまくることで何かが始まる。

「k-hack」はそういう場所になればいい、そう考えていた。

———そして2016年。

2人で社内ネットワークを立ち上げた。
名前は「k-hack」に決めた。

経営層へ自ら宣言

まずは2人で「k-hack」はどんなコミュニティにしようか? 何をやろうか? やりたいことを書き出してみた。

そして、「35歳以下の若手が参加できるコミュニティ。何かやりたいことを持った人たちが、やりたいことを持ち込んでネットワークを作る場所にしよう!」という話でまとまる。

非公式の取り組みではあるものの、会社のトップにも、現場の想いを理解してもらいたいということもあり、「僕たち、こういうことをやろうと思っています!」と、2人は所属部門の部門長へ報告。
すると、「面白い!」と応援の意志を示してくれた。

経営層が応援してくれるということも大きな自信となった。
それからは、周囲に「k-hack」の存在を言って回り、説明会を開いたりもした。
すると「自分も参加したい!」と一気に人が集まった。

「社内でこんなに同じ想いを持った人たちがいるんだ……」

正直驚いた。それからというもの、森脇らが告知せずとも、口コミでどんどん広がり、2019年時点でなんと140人ほどのネットワークができあがった。

そして、自ら志願してやってきたひとりに、今回の「TRAPOL」の着想のきっかけになった、ベトナム国籍のクアンさんがいた。

k-hack関連のイベントで講演する森脇
k-hack関連のイベントで講演する森脇

第2章へ続く