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2023.8.31
藤田達生氏著書より作成
泰平の世となった江戸時代。戦いはなくなったが、相次ぐ地震や大火事、水害、飢饉などに見舞われ、幕府と諸藩は災害対応に追われた。江戸幕府は救済システムを構築し、被災者を収容する仮小屋の設置や炊き出しのほか、被災地の大名には復興資金を貸し出すなどして支援した。
防災面での戦国時代との大きな違いは、藩を超えた取り組みが行われたこと。洪水対策や治水工事への協力はその1つ。三重から京都に流れる木津川は周辺の藩が協力して見回り、治水工事を行った。江戸時代、藩主は国家官僚でもあり、自分の藩だけでなく日本全体を守る視点が求められた。参勤交代は、政治的な情報や人間関係をアップデートするほか、防災や災害対応の面で、江戸の進んだ技術を藩に持ち帰る効果もあった。
先進的な災害対策を行った藩もある。加賀藩の前田綱紀は、飢饉の際に設置した救済小屋に職業訓練機能を加え、生活困窮者の自立を図った。伊勢・伊賀の藤堂藩では、火災で家が焼けた場合、藩が建て直しのための用材を提供。地震などの災害時は、食料や金品の支給のほか、医師や大工も無料で派遣。安政伊賀地震の復興予算は伊賀領だけでも約2万5千両と、藩の年間収入の7割を超えた。
平和が続いた江戸時代ならではの変化もある。戦国時代の城下町は、城へ攻め込みにくくするため、枝道や行き止まりが多かったが、災害時に逃げやすいようまっすぐに整備。防災に配慮した街づくりが行われた。
国全体を守る視点で、インフラだけでなく民家も含めて社会資本と捉えて復旧を支援し、民衆の生活再建までサポートした江戸時代の災害対応。江戸幕府が260年続いた所以ともいえる。