人材を資本と捉え価値を最大化する人的資本経営への取り組みが加速している。企業の持続的成長には、社員に選ばれ、彼らが心身ともに健康で、意欲的に仕事に取り組むことが不可欠だ。ウェルビーイング(Well-being)経営について考えた──

小室 本日のテーマは「働きがいと企業成長を実現するウェルビーイング経営」です。ウェルビーイングについては、年々関心が高まっていますが、なぜこれほど高まってきたのか、というところから。

前野 関心が高まった理由は2つ。1つは学問の進歩です。ウェルビーイング、特に心の幸せな状態に関する研究は心理学や経営学で進み、幸せな人は創造性や生産性が高いとか、社員が幸せだと会社の業績が良いなど、皆が気になるデータが数多く現れた。ですから、社員を幸せにし、エンゲージメントの高い状態にすることが必須だという気運が、ここ20年、米英を中心に急速に拡がり、その波が日本にも来たのが学術的背景です。
もう1つは社会的背景で、働きがいを感じながらワクワクして働いている人の割合が、残念ながら日本は先進国の中で最下位に近い。失われた30年と言われ、経済も諸外国に抜かれて苦境にあるなか、もっと幸せに働いて企業革新するニーズは、日本固有の理由としても高まっています。
前野 前野さんはロボットの研究から心や組織の研究に移られたそうですが、そこに着目されたきっかけは何ですか?
小室 私自身はもともとエンジニアでした。人々に幸せになってほしくてカメラやロボットをつくっているのに、シャッタースピード0.3秒とか重さ1kg以内とか、スペックを満たしても、使う人が幸せになる保障はない。そういった背景もあり、使うと幸せになるロボットや家庭・職場のあり方の研究を始め、その後社会人大学院に移り、幸せの研究を増やしたところ、働く幸せを考えたいと社会人学生がどっと増えた。それが2008年です。
前野 日本の人口構造が少子高齢化の人口オーナス期に入ったことで、経営者たちの目が若者に向いてきたという、皮肉な背景もありますね。
小室 それもあります。今、若い人に聞くと、昇格や昇給よりも、幸せで成長できる職場で働きたいと。若者に来てもらうには、ウェルビーイング経営をしなければいけない時代が来たということですね。
人口オーナス期
少子高齢化により生産年齢人口(15〜64歳)が減少し、支える人より支えられる人の比率が高い(onus)人口構造の状態。
エンゲージメント(Engagement)
仕事にやりがい・誇りを感じ、熱心に取り組み、仕事から活力を得ている状態。

小室 そこで、気になるデータについて、ウェルビーイングが業績にプラスであるというエビデンスをいくつか教えていただけますか。
前野 ハーバードビジネスレビュー掲載の有名な調査結果で、幸せな社員は不幸せな社員より創造性は3倍、生産性は31%高い。離職率は59%低く、業務上のミスは70%少ない等々。会社レベルでは、オックスフォード大学が行った米国上場企業1,500社を対象とした調査で、社員が幸せであれば企業価値が高まり高業績だと。だから、米国企業など社員のウェルビーイングに大きく舵を切っている。
小室 業績との関係について、まさに私たちの働き方改革コンサルティングで、残業時間を半減させた企業の業績が上がっていくんです。私たちのアプローチは残業削減ではなく、実は心理的安全性を上げることを徹底的に行う。ある金融系企業で、長年人事部から言われても全く残業が減らなかった部署があった。ところが私たちと心理的安全性を高めるワークショップを毎月やって、8カ月後に各部署の心理的安全性がいかに上がったか成果を発表し合った。するとその部署が説明し終わった後、ひと言、「それで、残業が半分になったんです」と。
前野 素晴らしい。(笑)
小室 報告を聞いて驚いた役員が、20年ほどその部署にいる元事務職の女性に「何が変わったの?」と証言を求めると、「ミスをしたとき、今までは報告メールを50分ほどかけてつくり、やっとのことで送信ボタンを押していたのが、今2分ほどで『やってしまいました。ヘルプ』と、すぐに送信ボタンを押せるようになった」と。
前野 内部の摩擦にすごいエネルギーをかけていたわけですね。
小室 企業経営にウェルビーイングは重要な概念ですが、改めてウェルビーイングの定義──それは幸せとはどう違いますか。
前野 ウェルビーイングは、1946年WHO世界保健機関の健康の定義で使われてメジャーになりました。健康とは身体的、精神的、社会的に「良好な状態」と訳されたのがウェルビーイング。医療系では身体の良い状態、心理学系では主観的幸福、福祉系で福祉と捉えられていて、健康、幸せ、福祉を包含した概念です。それがここ10年は、心理学的エビデンスが注目されたため、幸せに近い意味で使われるようになった。

小室 それを実践できている企業の特徴、望ましい姿を描くと?
前野 幸せの条件を因子分析すると4つあり、これを満たしている会社が幸せな会社。1つ目は「やってみよう因子」。夢や目標、パーパスを持ち、やる気、主体性がある。2つ目は「ありがとう因子」。感謝や利他、繫がり、人と人との関係性が良い。3つ目は「なんとかなる因子」。楽観的で前向きに新しいことに挑戦。4つ目は「ありのままに因子」。人と自分を比べ過ぎるのでなく、自分は自分という個性を発揮できる会社です。
そういう幸せな会社は、中小企業に多い。理念が浸透していて、家族主義的経営で仲がいい。欧米のウェルビーイング経営は、家族というよりラグビーチーム。仲はいいけど金曜日に「さようなら」と別れる。日本は、ライフとワークをミックスしたような形です。

パーパス(Purpose)
目的、意図、意義。企業の社会的存在意義。
小室 ウェルビーイング経営をどうやって実現するのか。理念の浸透が大事だとすると、現場では難しい面もあります。
前野 某250人規模の会社は、朝礼を毎日1時間やっているんです。理念唱和に始まり、理念を自分たちの現場でどう実践しているか、発表や改善提案をすごく楽しそうに行う。朝礼で互いの理解が深まり、幸福度が上がり生産性が上がるから、朝礼時間は帳消しになり残業は増えない。しかし、新型コロナウイルスの感染防止対策として対面での打合せなどに制限がかかり、2年間朝礼をしない時期があった。朝礼を実施していた時は朝礼1時間に否定的だった社員も、朝礼を止めたことで、社員の連携が取れず、手戻りが増え、効率が悪化し、朝礼1時間をやらないなんてあり得ませんと。
会議を減らすのが時短ではない。良い会議をたっぷりやることで、理念が浸透し、心理的安全性が高くやる気の溢れる場づくりに繫がり、時短も実現できる。
小室 1on1も同じですね。1on1の時間が増えたとしても、理解し合えた分、その後の仕事の手戻りが減って生産性が爆上がりする。
管理職に余裕がない職場では若手のエンゲージメントが下がる。若手の離職が多い職場に共通しているのが、「今の職場では成長できない」と。実際は随分成長していたのに、誰からもフィードバックされず実感できなかった。理念を浸透させようとすると、本人がわかるまで繰り返し伝えようとするが、むしろ、あなたは今、理念に則った行動ができている、成長できているよと承認すると、もっと理念を深く理解して行動しようと意欲が湧く。成長実感を与えられるのは観察と差分のフィードバックです。
前野 先ほどの1時間朝礼では「成長」「貢献」という言葉が頻繁に出てくる。「君はここが成長したね」と皆が言い合うから、社員に「どんなときが幸せか」を聞くと、「成長や貢献ができたときです」と。幸せでない会社は「金曜日の午後が幸せ」と、土日が待ち遠しいようだが、幸せな会社は、成長と貢献を実感させることができている。
小室 毎日1時間かけて成長フィードバックをもらえる会社って最高です。私は切に思うのが、管理職にそのスキルと余裕を持ってもらいたい。
コンサル先の会社で管理職の評価基準に生産性評価を加えたんです。かけた時間も加味して時間あたりの生産性で順位をつけたところ、短い時間で高い成果を上げた人が1位になる。管理職は残業代をカウントされないから、時間外に働いても誰にも迷惑かけてないと思いがちですが、睡眠不足の上司は部下に不機嫌に対応するので、多大な迷惑をかけているんですね。だから、やっぱり管理職こそ休息をとることが大事です。
小室 私たち、「なぜ、労働時間の短縮が必要なのか」とよく聞かれますが、昔と今では仕事の質は激変。昔はとにかく売上を上げることだけに邁進。今はSDGsやエコ、コンプライアンスなど全部クリアして、かつ売上を上げるという、集中力と倫理観を併せ持つことが不可欠。上司にすれば、目に見えない部下の集中力と倫理観を、どうやって担保するか。これはシンプルで、睡眠がそれを担保するんです。集中力は13時間しか保たないので、朝6時前後に起きた人は19時には判断力・集中力が著しく低下する傾向にある。脳の真ん中の扁桃体、これは怒りの発生源となる部分で、睡眠不足になると肥大化し怒りやすい状態になる。また、集中力が落ちた状態で倍以上の時間をかけてミスを頻発し、その修正にさらに時間をかけるより、適切な睡眠で集中力と倫理観を担保するほうがいい。
解決策は勤務間インターバル。勤務と勤務の間を11時間空ける。7時間の睡眠と前後1時間ずつの食事や入浴等の生活、1時間ずつの通勤。11時間休息は最低限の時間ですが、11時間空いてない方って結構いらっしゃる。

前野 どきっ(笑)。いや、僕は仕事が趣味みたいなものなので。
小室 やってみよう因子の主体的業務ですからね。(笑)
あるアパレル企業は、もともと管理職は男性ばかりの会社でしたが、女性登用や勤務間インターバルを実践し、残業を65%削減、新入社員の離職が4年連続ゼロになった。
女性活躍など、多様性とウェルビーイングはどう結びつきますか?
前野 多様性と幸福度の関係、友達は多いより多様なほうが幸福度が高い。多様な人がいると、多様な意見に触発され新しい気づきにも繫がる。だから、多様性もウェルビーイング経営です。
小室 多様性の最大の良さって、違う考えがぶつかり合ってイノベーションが起きること。とすれば、特にエネルギー事業者は、多様性を実現していただきたい。エネルギー事業者は今、毎日の安定供給をしながら、地球の未来に向け新しいソリューションの創出を迫られている。それには、意思決定層に多様な人が入り、フラットに議論できる組織風土と働き方が不可欠。エネルギー事業者への提言を伺いたい。
前野 エネルギー事業者は、事業の特性上、リスクを未然に防ぐ風土が強く、これが安定供給・安全第一を守っている。だからこそ、安全管理の実行にあたってポジティブに考える社風が大事です。
私、技術者倫理教育もやっていて、ミスを防ぎ不正など倫理問題を起こさないようにする「予防倫理」と、より良い社会をつくろうという志の倫理「志向倫理」がある。危機管理が重要なエネルギーや医療の業界ほど、ネガティブなものをなくそうとする「予防倫理」寄り。ウェルビーイングの視点からは、病気の予防だけでなく、幸せに健康に働く方向に舵を切ることが必要です。
心理的安全性を高め、理念浸透や権限委譲でやる気を醸成し、マニュアル、ルール漬けにしない。マニュアルだらけになると、視野が狭くなる。安全管理のためマニュアルのリスト100個チェックしろというと、それだけに目が行って、101個目の問題が起きたとき対処できない。
エネルギー業界など安全管理が大事な業界は、まず理念に戻る。人々の幸せな生活を支えるという大事な役割を担っていることを、魂のこもった理念として個々の社員が受け止め、自ら考えて動く会社づくりが必要です。
小室 そうですね。ミスが起きると、それをカバーするため安全手順書が増ページになり、チェックの重複も増えるが、多過ぎるなんて言うと「安全を軽視しているのか」と怒られる。私たちのコンサル先の企業で、安全チェック項目が多過ぎると若手が指摘し、自分たちで重複事項を洗い出し減らした結果、マニュアルの厚みが3分の1になり、むしろ1つ1つを丁寧に確認できるようになって、危険箇所の未然発見が3倍増えた。主体性をインプットする仕組みをつくれば、ウェルビーイングを実現しながら安全をしっかり守れます。
今日は実にエキサイティングでした。ありがとうございました。

