一意専心~関西電力の安全DNA~
一人ひとりの「安全ヘの想い」

当たり前を当たり前に支えるために。~無災害への挑戦~

東海電力部 一海

1978年入社。関西電力学園で一年間の研修後、今渡電力所に配属となり、制御通信設備の保全業務に従事。1983年の長野県西部地震では、現地の技術者として設備復旧に尽力。その後、木曽電力所で保全業務の現場の責任者である作業長として活躍。2000年には、東海支社電力設備室で通信設備の設計業務を経験し、現在に至る。
安全文化。それは関西電力において、先輩から後輩へと、脈々と受け継がれてきた精神であり風土です。これまでも、そしてこれからも形成され続ける安全文化。この安全文化を守り続ける関電マンの「安全への想い」に迫ります。
一海は、1978年の入社以降、38年にわたって制御通信設備の保全業務に従事してきた。その間、設備の高度化や効率化により、水力発電所や変電所などの施設の無人化が進んできたが、それを支えるのは、給電指令所からそれぞれの設備を操作する「制御通信設備」。それは、いわば電力会社の神経のようなもの。こうした必要不可欠な設備を、現場第一線の技術者として徹底的に見守り、電気の安全・安定供給に努めてきた一海の想いに迫ります。
東海電力部の管轄は、落合ダムや今渡ダムがある木曽川水系など、愛知・岐阜・三重・長野の4県下に分散している。非常に広範囲で、氷点下20度を越える山奥の現場もあり、厳しい環境下での現場作業が必要となるため、徹底的な安全管理が不可欠である。

まだ、若かった木曽電力所の作業長時代、真冬に山奥の通信設備(中継所)を調査することになりました。想定外の積雪に加え、携帯無線も故障により繋がらない状態となり、命の危機を感じたことを覚えています。その時には、安全を最優先で考え、調査を断念。猛吹雪の中なんとか下山することができたのですが、全く連絡ができずに帰還したため、「予備バッテリーをもっていくのは当たり前」など、安全への備えなどについて、上司にこっぴどく叱られてしまいました。
遭難を心配して捜索してくれた仲間には申し訳ないことをしましたが、上司が私のことを本当に心配して叱ってもらえていると感じられ、なんだか"うれしい気持ち"になりました。この経験から、安全に対する強い想いと、相手のことを想って叱る重要性を学びました。

"専門技術技能者"という職位は、日常業務を通じて、自らの知識や経験を活かし、技術維持・伝承を行う中核的な役割を担う。一海は、仲間と家族の幸せを守るため専門技術技能者として、18名のグループ員、そして約20社にのぼる協力会社の作業員に対して日々指導を行っている。

当時の私を振り返ると、まさか自分が皆の"安全"を守る仕事で、先導役をするとは思ってもみませんでした。上司や先輩から受け継いだ"関電マンの魂"やさまざまな経験がそんな私を変えたと思うし、それを後輩へ受け継いでいく使命があると感じています。指導する相手は、自分の子供くらいの新入社員から、年上の年長者まで様々で、相手の人柄や立場などを踏まえ、臨機応変に対応しています。ただ、指導する上で私は、「本人はもとより、家族を不幸にしてはならない」という相手を思いやる気持ちをもって接することを一番に意識しています。

一海の「安全行動宣言」には、「仲間の家族を不幸な目にあわせないため、言うべきときには言う」と記されています。

毎日、何事もなく過ごせることが幸せだと考えています。本人のみならず、家族まで不幸な目に遭わせてはいけない。私も含め、人として生きるためには、家族の存在は大きく、家族のために働いているといっても過言ではないと思います。
当社がこれまで蓄積してきた事象の分析、先輩方の経験や反省。--こうした財産を活かし、これからも電力の安全・安定供給という"当たり前"を"当たり前"に支えるため、安全を最優先に作業に取り組んでいきます。

一海が所属するグループは着任以来、無災害記録を続けている。これからも一海は、いちずに、ひたむきに、安全を追求する。

一海のコンダクトカード
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