第七日 100万ドルの夜景」再び

  • 1.ついに「その時」は訪れた
  • 2.それぞれの胸中
  • 3.一枚のはがき

1月23日 応急送電完了

1.ついに「その時」は訪れた

前日22日は、地震発生後初めての雨天となった。地震で地盤の緩んだ地域では土砂崩れやがけ崩れが相次ぎ、人々は再び恐怖と不安におののいた。

雨は電力復旧にも影響を与えた。「5日以内」の目標のもと、同日中の応急送電完了をめざした関西電力だが、交通遮断によって、あるいは二次災害の恐れから、一部の地域では工事を見合わせざるを得なかった。それでもその他の地域では夜半まで作業が行われ、停電軒数は着実に減り続けた。

そして迎えた23日。午前9時現在の停電軒数は、神戸市中央区、長田区、須磨区など約2000軒を残すのみ。雨も上がった街で、約4000人の復旧員が懸命の作業を続けた。

午後3時04分。ついに「その時」が訪れた。応急送電完了──地震発生から6日目、153時間後のことだった。

停電軒数の時間推移

午後4時30分、関西電力は記者会見を開き、「管内全域で応急送電の体制が整った」と発表。秋山喜久社長は同様の内容を、通産省資源エネルギー庁長官に報告した。

もちろんそれはまだ本格復旧には程遠い、応急措置でしかなかった。お客さま側の事情などによって、送電が不可能な箇所も残されていた。とはいえ関西電力が総力を挙げ、確実に第1ステップを踏み越えたことだけは間違いなかった。

その夜神戸の街には、色とりどりの明かりがきらめいていた。100万ドルの夜景、とまではいかなかったが、山の手には港町のシンボル「いかり」の灯も輝いた。

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2.それぞれの胸中

各地で復旧作業が進む

神戸支店お客さま室(ネットワーク技術)の喜田定逸は、17日夜から丸4日間、支店地下の対策本部で不眠不休の作業を続けた。気が張っていたため疲労は感じなかったが、妻や子どもたちに「お父さんは肝心な時に家にいない」と言われたのは辛かった。でも、それが自分の仕事だから……。そう思い直した。応急送電体制が整った時は、ただただ嬉しかった。「街や家に電気が灯っているのを見ると、ホッと安心する。だから電気を正常に送れるようになるまで、もう少し頑張ろう」と決意を新たにした。

神戸電力所地中保線課の田中誠にとっては、これからが本当の勝負だった。地中送電線はケーブルを納めた管路の4~5割が損傷していた。しかし今は交通事情が悪過ぎ、補修作業も容易に進まない。相当の長期戦を覚悟し、「体調にだけは気を配って頑張ろう」と地中保線課22人が声を掛け合った。幸いケーブル自体の被害は少ない──「お客さまとの絆を結ぶ電力ケーブルは強い」と実感できたのは大きな支えだ。神戸の電気は我々が守る!みんなの気持ちも一つにまとまった。

「電気の復旧は早かった!ありがとう」。兵庫営業所長の土山裕司には、お客さまから聞いたその言葉が何よりの財産として胸に残った。これも遠路駆けつけてくれた他電力の応援部隊や協力会社、関西電力各支店の協力があってこそ、と改めて感謝の念を抱いた。危機的状況のなか、「電力仲間」の一体感を体験できたこともまた、土山にとって貴重な財産となった。

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3.一枚のはがき

応急送電完了から一週間余りが過ぎた2月1日、三宮営業所に一枚のはがきが届いた。宛名は「三宮営業所所長様・御一同様」と記されていた。神戸市灘区のお客さまから届いた、早期送電に対する感謝と所員への励ましの便りだった。その心のこもった文面に思わず目頭を熱くした丸野三明所長は、お客さまの名前だけを伏せてコピーをとり、営業所員はもちろん、ともに復旧作業に携わった関連会社の社員にも全員に配布した。

応急送電が完了したとはいえ、本格復旧に向けた作業が休むことなく続く毎日。疲労も極限に達していた時だけに、そのはがきはまさに一服の清涼剤となった。

はがきを読み終えた所員たちはみな、生き返ったような表情を浮かべていた。眼に涙をにじませる者も多かった。「電気の復旧は必ず成功するぞ」。そんな所員たちを見ながら、丸野は確信を抱いた。この時ほど、電気事業に携わることの喜びを肌で感じたことはなかった。

神戸市灘区のお客さまからのお便り

この度は大変な災害に日夜ご奮闘いただきまして、心より感謝申し上げます。私は十七日夜、大多忙の中にお電話して悪いと思いながらも「近所は電灯がついているのですが……」と申し上げた者です。対応に出てくださいました方が、本当にいい方で実に丁重なご応答をくださいました。その上、十八日朝わざわざお電話くださいまして「電灯はつきましたか」とのありがたいお言葉です。「いえ、外灯はつきましたが家はまだです」とお答えしました。(中略)

夕方近く電灯がパッとともり主人と手をたたきました。あまりのうれしさに不躾でしたが三階のベランダから「関西電力さん、ほんとにありがとうございます」と大声を張り上げました。別のお部屋の方も「ありがとうございます」、そこを通りかかった子どもも「ありがとう」と叫んでいました。「つきましたか」と会社の方。「ええ、もううれしくて」と申し上げると、にっこり笑ってすぐお帰りになりました。

暗がりで余震におののき、寒さに震えておりましたが、今夜から明るい部屋で暖かく、ご飯にもありつけます。散らばったガラス片も掃除機をかけられます。ご活躍のおかげです。(中略)

思うことを言い表せませんが、誠にありがとうございました。こういう時ですので、いつこれが着きますかわかりませんが、一言お礼申し上げたくペンをとりました。どうか皆様お体ご大切にご活動くださいませ。

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※文中に登場した関西電力社員などの肩書きは、すべて1995年1月時点のものです。

現在の神戸

画像は現在の神戸