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エコルーツ紀行――作家・神戸夙川(しゅくがわ)学院大学教授 後藤 正治(ごとうまさはる)

黒部川の電源開発を辿る

久々の、黒部だった。学生時代であるからかれこれ四十年も前のこと。黒部峡谷の「上の廊下」支流に分け入り、岩魚(いわな)を釣り上げ、塩焼きにして舌鼓をうったっけ。翌日か翌々日、黒部ダムに辿り着いたと記憶する。ダムが竣工して数年後の夏である。両側の峻険な山肌にがっちりとしたアーチ型ダムが食い込み、上流は青々とした黒部湖が広がっている。下流に向かっては、放水口からふた筋、ラッパ状に広がったシャワーが吹き出ている――。光景は往時のまま、何ひとつ変わってはいない。もっとも、こちらの変容ははなはだしい。往時の健脚はとっくに失われ、ダム展望台の階段を上るのも途中でひと休みするていたらくであった。

ごとう まさはる氏プロフィール
一九四六年京都府生まれ。京都大学農学部卒。スポーツや医療、人物論をテーマにノンフィクション作家として活躍。主な著書『リターンマッチ』『遠いリング』『空白の軌跡』『スカウト』『私だけの勲章』『奪われぬもの』『ふたつの生命』『牙―江夏豊とその時代』『秋の季節に』『咬ませ犬(かませいぬ)』『ベラ・チャスラフスカ』『不屈者』『復活─10の不死鳥伝説』『ラグビー・ロマン』『はたらく若者たち』など。二〇〇七年より神戸しゅくがわ学院大学教授も務める。

黒部に怪我なし

このたびは取材として特別に、下流の「下(した)の廊下」から遡るかたちで、関西電力の工事用ルートで黒部ダムを目指した。起点は宇奈月。早朝、黒部峡谷鉄道のトロッコ電車に乗り込む。発電設備建設の資機材運搬のための敷設を起源とする、オレンジ色に塗られた小さな車輌である。黒部峡谷には黒部川(がわ)第四発電所(黒四)を含め、関西電力の四つのダム、十カ所の発電所がある。送電線を含め、日々、巡視点検に当たる人々がいる。ヘルメットをかぶり、用具を背負い、地下足袋を履いた作業員が車輌に乗り込む。彼らを束ねるのは黒部川電力システムセンター所長の米澤出穂(よねざわいずほ)氏。地元・富山の出身で、いわゆる「水力屋」。入社以来、水力発電の技術業務に携わり神通川(じんつうがわ)水系の発電所や本社勤務などを経て、三年前、黒部へやってきた。車輌はゆっくりと進んでいく。峡谷の眺めは見とれるほどに美しい。見上げれば急峻な山並み、目線を下げれば深く切り込んだ谷間。その底を、たっぷりとした水量の清流が飛沫を散らして走っている。高低があって水量豊かであることが水力発電の条件であるが、黒部がその条件を兼ね備えていることがよくわかる。万年雪をいただくひょうこう三千メートル級の立山連峰と後立山連峰に挟まれ、深く刻まれた黒部峡谷。冬場は雪崩が頻発し、豪雨が降れば激流が谷を襲う。秘境は自然環境がつくりあげたものであった。大正期に電源開発の調査が始まり、昭和の初め、日本電力による柳河原(やながわら)発電所が黒部川流域の初めての発電所として誕生している。電源開発以前はもちろんトロッコの走る軌道などはなく、崖に沿った、人ひとりが通れる歩道があっただけである。黒部に怪我なし――という言い伝えはこのころできたものであろう。歩道から転落すればすなわちあの世へまいるという意である。黒一と言うべきこの発電所は既に水没しているが、一九九三年、新やながわら発電所として再生。トロッコ電車からも「こじょうに浮かぶ城」をイメージした瀟洒なつくりの建屋が見える。黒部川第二発電所(黒二)、橋、トンネル、ダム……車輌はゆっくりと奥地へ分け入っていく。終点は欅平(けやきだいら)。黒部川第三発電所(黒三)がある地点だ。日中戦争がドロ沼化していた一九三八年、電力は国家管理体制のもとに置かれ、日本発送電へ統合される。この二年前より、黒三は電源開発の目玉として進められていたが、建設は難航した。トンネル工事は地熱帯に遭遇して幾度か頓挫し、あるいは大雪崩によって作業宿舎が吹き飛ばされる惨事もあった。黒三建設の苦闘史は吉村昭の名作『高熱隧道』に活写(かっしゃ)されている。岩盤温度が一六〇℃以上にもなったと言われる、当時の灼熱はないが、地熱帯はいまなお生きている。欅平から竪坑エレベーターで上へ出て、バッテリーカーに乗り換える。トンネル内を進む車輌の窓を開けると、肌色の地肌からむっとする熱気が吹きつけてくる。トンネルを吹き抜ける風や、並行して敷設された導水管による冷却効果もあり、現在の岩盤温度は四〇℃程度だという。

社運を賭ける

戦後六年目の一九五一年、日本発送電は九電力体制に分割・再編され、関西電力もその時に誕生した。当時、電力不足は深刻だった。家庭の電灯が消えることは日常茶飯事であり、産業用電力の需要も逼迫していた。黒三の上流にさらに発電所を設ける。プラン自体は戦前からあったが、黒三を上回る難工事は必至であり、巨額な建設費用を要する。七割成功の見通しがあれば勇断をもって実行する――当時の社長・太田垣士郎の言葉が残されている。出力規模三十三万余キロワット。黒三が八万余キロワットであるから、黒四はそれまでの規模をはるかに超える巨大発電所。関西電力の社運を賭けた事業であったが、土木・建設・重機にまたがる各界の総力を挙げた事業でもあった。工事は七年に及んだ。幾多の困難があったが、最大の難関が関電トンネル(かんでんトンネル)と呼ばれる付近の地層に潜んでいた「大破砕帯」の突破であった。このルートが開かれないと大型機材は現場に届かず、事実上、ダム建設はできない。苦闘すること七カ月――。ついに悪路は開通する。ダム・発電所の完成はこの六年後、一九六三年である。工事に従事した者は一千万人、総工費は当初予定の約四百億円を大きく上回り、結果的に五百十三億円に達した。

地下の発電所

バッテリーカーは、地下軌道をゆっくりと進んでいく。やがてこうこうとしたあかりが集まる地点でストップした。黒部川(がわ)第四発電所黒部ダムからは十キロメートル下流、地下二百メートルの地点である。ダムに湛えられた水は地下水路を伝ってこの発電所へとやってくる。計器類が並ぶ制御室、オフィス、そして発電施設-。すべてが地下に埋め込まれたのは、中部山岳国立公園内にある当地の美観を損なわないため、さらに雪崩から施設を守るためである。建設当時は巨大なあんきょであったろう。よくぞつくったものだと思う。目の前に、ステンレス製の「ペルトン水車ランナー」が横たわっていた。水を受ける受け口は、切れ目の入った花弁のごとき形をしている。磁石が高速回転することによって電気が発生する-。遠い昔、理科の授業で習ったことがよぎる。

補修とメンテナンスの日々

米澤さんをヘッドとする黒部川電力システムセンターに所属する人々が、発電所の点検とメンテナンスを担ってきた。送電線でいえば、徒歩、あるいはヘリコプターを使った目視点検がある。鉄塔に登って調べる定期点検がある。発電所でいえば、運転状態のままの巡視点検、停止させて調べる定期点検、さらに数年に一回、発電機をばらして調べる分解点検がある。休みなき仕事である。人々は、早朝、宇奈月からトロッコ電車で作業現場へ向かい、夕刻のびんで戻る。流域に点在する宿舎での泊まり勤務もある。積雪期、トロッコ電車は動かない。軌道に沿って細いトンネルが掘られていて、徒歩で現場に向かう。最も遠い現場へは片道三時間近くの道のりとなる。米澤さんによれば、「補修とメンテナンスをきちんとしていけば、水力発電所は百年、二百年と稼働し続けていくだろう」と。まさしく次世代へ手渡していける貴重な資産である。日々、淡々と繰り返される点検という業務。そこに特に劇的なものはないが、それが黒部川水系の発電を支えてきたことを知るのである。

息の長い静(しず)かなる情熱、四十六年目の黒四スピリット

この半世紀、電力を取り巻く環境は大きく変化した。電力需要が右肩上がりを続けていた昭和三十年代、一刻も早く大型発電所をつくることは時代の要請であり、正義であった。近年、電力需要は微増あるいは横ばいである。それは日本が成熟社会へ移った証左でもあろう。振り返れば、黒四建設は、ひたすら前を見つめて駆け上る"戦後版・坂の上の雲"という色彩を帯びている--。今回の取材で、「黒四スピリット」という言葉を幾度か耳にした。困難にめげず、目標に向かって努力することは、どんな時代にも求められる普遍的な価値である。と同時に、スピリットの質は時代の中で変容していく。時代は複雑化し、何が正義かということも多様化している今、黒四建設を追っていると、シンプルな明瞭さにふと羨望の念がよぎったりする。言えることは、電力は現代文明を維持する必須の要件であり、空気や水のごとく、ことさらありがたみを意識されずとも安定的に供給され続けなければならないということである。息の長い、しずかなる情熱--そこに、受け継ぐべきスピリットを見いだすべきなのかもしれない。

地下発電所を出て、インクラインで五百メートルほど上がり、トンネルを抜けて、黒部ダムへ。ダムへは、富山県側、長野県側のどちらからでも行くことができ、観光コースとしてもすっかり定着した。幾度か中国語の会話を耳にする。観光地クロヨンは国際化しているのであろう。ダムからの帰り道はトロリーバス。ルートはかの破砕帯を含む大町ルートである。もはやその痕跡はかん電トンネル内の印のみ。十数分で扇沢駅(おうぎさわえき)へと達する。バスの中、眠りに落ちつつ、登山具を背負って黒部ダムに辿り着いた往時の日を思い起こしていた。同じように、からりと晴れた日であったな-。大自然の中、突如、現れた人工物の威容に驚いたものだった。その威容に変わりはないが、ダムはもはや黒部の自然の中に溶け込んであるものとして映った。歳月がなせることであろう。ダムはこれからもまた長い時間を刻んでいく。そしてさらに一層、風景に溶け込んでいくのだろう。あたかも遠い日からそこにあったかのように。

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