イノベーターズSTORY no.01 vol.2 気象工学で新たな道を切り開いた小久保鉄也 貫いた「私がやらねば誰がやる」の精神イノベーターズSTORY no.01 vol.2 気象工学で新たな道を切り開いた 小久保鉄也 貫いた「私がやらねば誰がやる」の精神

「第1章 すべては“危機感”から始まった」はこちら

第2章 “7割の確信”で挑んだ起業チャレンジ

起業チャレンジ、結果はなんと不合格

社内起業家としての創業を決意した小久保を後押ししてくれたのは、あの黒部ダムの建設を指揮した、太田垣社長(関西電力初代社長)の言葉だった。2度にわたる北陸支社時代、黒部川第四発電所で太田垣社長の「七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する」という銘板を、小久保は常に意識していた。

当時の小久保は、太田垣社長の言葉通り、成功への確信は7割だった。
7割というのは時期尚早でもなく、熟しているわけでもない、ちょうど良いタイミング。

また仮に8割の確信だとすると、うまくいくことがある程度想定されるためライバルも多い状態。6割だとどちらに転ぶかわからない、確信には至れない不安定な状態。
一方7割だと、頑張り次第で8割・9割に持っていけることがイメージでき、一番ふんばりが効く、努力できる状態にあるから良いと、小久保は考える。

———しかし。
7割の確信とともに挑んだ起業チャレンジは、なんと不合格という結果に終わった。

机上論ではダメ。生の声が何よりも大事

「どうして……?」
疑問を抱く小久保だったが、グループ経営推進本部への異動を命じた役員の言葉を思い出した。
以前、小久保のプレゼンを聞いたその役員は、
「これ、本当にお客さんの声入っているの?お客さんは何と言ってるの?本当にそれ必要なの?」と小久保に問う。

確かに、いくら自分が「数年後にはこのサービスが世の中で必要になるんです!」と熱弁しても、そのサービスを利用するのは自分自身ではない。机上論ではなく、利用者はどうなのか?という声がないことを指摘された。その言葉を改めて思い出した。

それから小久保は、「気象工学研究所設立準備会」と名付け、ヒアリングのための活動を始めた。顧客候補となる自治体や役所などにアポイントを取り、事業内容を説明して回った。
「確かにそれがあるといいね」という好感触から、「もっとこうしたらいいのでは?」とアドバイスをもらうこともあった。
こうしてヒアリングを重ねることで、「思っていた通りだった!」と改めて確信を深めることもあれば、机上論ではわからなかったニーズを発見することもあった。

更に小久保は、この時点で既にプレ営業まで行っていた。
なんと1年から2年先の先行予約を取ってきたのである。
おかげで稼げる見通しも立った。

それから数ヶ月後、先行予約まで獲得し、売上の見通しを立てた小久保は、2度目のプレゼンに挑んだ。

結果は合格。
見事、採択された。

やはり実際に飛び込んでみることは大事、小久保は痛感した。
現場でよく観察すれば、机上論では見えない“何か”が見えてくる。
その観察から見えてきたことをサービスに反映することで顧客を獲得し、売上の見通しを立てることで、第一歩を踏み出せる。
そして、再び現場に飛び込んで観察してみることで、今度は次の一手が見えてくる。

机上でプランを練り直すだけでは何も進まない。
むしろ机上だけで動かせるようなビジネスだとしたら、既に誰かやっている。
野球でいうと、バッターボックスに立たずに、ベンチでひたすら打撃論をしているのと同じこと。バッターボックスに立たなければ、何も見えてこない。バットを振れば見えてくるものもある。

ちょっとした手間や時間を要するかもしれない。
それでも、こういった“リアリティ”こそが、本当に事業をしていく上では大事だと身を以て知る。

ビジネスは“よーいどん”でスタートしているわけではない

こうして小久保は、事業において、企画書や計画書を作る行為よりも、行動を起こすことの重要性を感じた。

もちろん社内において、上長やトップの決裁を得るために資料作りは必要だ。
しかし、“企画を通すこと”や、“計画書を作ること自体”が目的になってしまってはダメ。
本当にやることを前提に計画されたものでないと意味がない。
そしてどんなに計画しても、計画通りに行くことなんてない。
常にアップデートをしていくことが必要なのだ。

小久保は、関西電力入社時に「PDCA」と「QCDS」の概念を教えてもらった。
社内では特に「PDCA」の「P(Plan)」を重視していたように思う。
しかし新規事業を作る上では、「PDCA」の「DCA」が重要。
PlanよりもまずはDoが大事だと考える。

アクションを起こすことで、小さくても何かしらの価値が生まれる。
すると、喜ぶお客様が出てくる。それを繰り返していくうちに、事業が育っていく。

数年前から日本でも話題になっている「OODA(ウーダ)ループ」の考え方がまさにそう。「OODAループ」は、とにかく市場を観察し、仮説を作って意思決定して行動(実行)する。それを繰り返していくというフレームワーク。
Planではなく、まずは“観察(Observe)”することから始まっているのが特徴。頭で考えるのではなく市場を観察し、素早く意思決定して実行に移すことを重視している。

そして行動とともに大切なこと、それは“早さ”である。
関西電力には経営資源も情報も揃っている。
しかし大企業も中小企業もベンチャー企業も、時間は同じ24時間。

優秀なサッカー選手は足が速い以上に、判断が早いのだ。
先回りして考えているため、早く動くことができる。
ビジネスは“よーいどん”でスタートしているわけではない。
慎重に考えても答えはわからないことが多い。さっさと発進した方が優位に立てる。

行動すること、いや考動することを、そして人よりも“早く”というのを、小久保は今でも大切にしている。

社員4名、家賃10万円からのスタート

起業チャレンジで採択された小久保は、会社の登記手続きをすることになる。
会社名は当初から決めていた気象工学研究所。

———2004年9月。
こうして、株式会社気象工学研究所がスタートした。
事務所は関電ビルから徒歩15分の、老朽ビルにある家賃10万円の一室。
メンバーは営業担当、技術担当など含めて合計4名程度、インターネット回線も自分で引いた。

「ようやく、だ……」

不安よりも「何としてもやらねば!」と、小久保は無我夢中だった。
もう後戻りはできない、後ろを見ることなくただ走り続けるしかなかった。

現在のオフィスの様子。当時から大きく拡大した。社長席から見た1枚。
現在のオフィスの様子。当時から大きく拡大した。社長席から見た1枚。

そんな小久保を支えてくれたのは、関西電力、そして仲間の存在だった。

「気象工学研究所設立準備会」というパンフレットを作り、先行予約を獲得していた時もそうだったのだが、
「関西電力の子会社なんですね」とか、「関電さんなら!」と関西電力の信用があったからこそ、営業先でプレゼンの機会が得られ、話を聞いてもらえた。
これは非常に大きなメリットであり、感謝すべきことだ。

また、仲間の存在も大きかった。
起業チャレンジに参加した際も、当時、同じ土木建築部門にいた後輩社員が、相談相手としてはもちろん、ビジネスパートナーとなり、様々なサポートをしてくれた。彼もまたグループ経営推進本部、そして気象工学研究所へと共に異動した。
彼がいてくれたおかげで創業に至れた。一人ではとても困難だった。
また、設立準備会から共にしている創業時のメンバーも、今振り返ると「よく自分のところに来てくれたな」と感謝しかない。

やはり、共に頑張ってくれる仲間がいたから、相談できる相手がいたから、自分とは違う意見をぶつけてくれたから、だから続けることができた。
創業も事業も、仲間の存在なしでは成し得なかった。

第3章へ続く