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越前若狭探訪

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よみがえった大正~昭和初期の名建築 愛山(あいざん)荘〈越前市〉

愛山荘〈越前市〉地図

愛山荘
▲主屋は大正5年(1916)建築。離れは昭和17年(1942)に増築。
 池を囲む回遊式庭園は、昭和初期に京都から庭師を招いて作庭した。

離れ
主屋

愛山荘の門と玄関に続く前庭
▲大正から昭和初期のロマンの世界に来館者を招き入れる…愛山荘の門と玄関に続く前庭。

 愛山荘(越前市若竹町)は、蚊帳(かや)の生産などで財をなした地元の実業家が、大正から昭和初期にかけ、隠居後の別邸として建てた数寄屋(すきや)風書院の邸宅。修復の後、平成27年春から一般公開されている。越前市の新しい人気スポットとして、昨年、来館者累計1万人を達成した。
 約5500m2の敷地に、和風建築技術の粋(すい)を結集した主屋(おもや)と離れのほか蔵座敷、石蔵、土蔵、茶室などが並ぶ(いずれも昨年、国の登録有形文化財に選定)。銘木をふんだんに使い、凝(こ)った意匠が施されている豪邸だが、洗練された開放的な造りで落ち着いた風情(ふぜい)が漂う。錦鯉が泳ぐ池を囲む回遊式庭園では、さまざまな樹木が季節ごとに花を咲かせ、借景(しゃっけい)の越前富士・日野山とも見事に調和する。
 修復以前は老朽化が進み、解体も検討されたが、同市観光協会長を務める三村義雄氏が「貴重な文化財を守り、地域や文化振興のために役立てたい」という思いから購入、1年がかりで建物と庭を修復整備し、かつての姿によみがえらせた。

 昭和41年発行の『武生市史』では、この邸宅を建てた愛山翁(おう)(1868~1951)について、次のように記している。
 25歳で家督を相続し、家業の蚊帳製造を業とした。日清戦争直前、軍用麻脚絆(きゃはん)※1の大量生産に成功。大正に入り、光輝畳縁(べり)※2の製法を創案、その元祖となった。蚊帳と畳縁の生産では全国首位に。村国山麓の土地を寄付して芦山(ろざん)公園を造り、図書館や公会堂の建設に尽力した。寛容闊達(かったつ)、誠実勤勉な人物で、早寝早起き、禁酒禁煙を厳守。汽車は必ず三等に乗り、旅館も上流には泊まらず、浮いた費用を社会福祉に用いた。(要約)
 自己に対して極めて謹厳な人であったが、愛山荘には惜しみなく金を使い、隠居後の暮らしを楽しんだ。枯淡(こたん)風流を解し、俳句を好み、多くの文人・茶人がこの別邸を訪れたという。「愛山」は、こよなく日野山を愛(め)でたことに由来するとともに、翁の俳号でもある。
  • ※1 脚絆…歩きやすくするため、ズボンの裾を押さえ、すねから足首を覆うもの。
  • ※2 光輝畳縁…つや出しをした綿糸を用いて、細幅に織り上げた光沢のある畳縁。

離れの座敷
主屋の座敷から眺める庭と日野山
▲天井が高く、窓も大きく開放的で、
緑豊かな和風庭園としっくり馴染む。

愛山荘の配置図
▲愛山荘の配置図

大谷(おおや)石の外壁と天井、鉄扉で防火対策を徹底した石蔵。
▲大谷(おおや)石の外壁と天井、
鉄扉で防火対策を徹底した石蔵。

主屋と蔵座敷などを屋根付きの渡り廊下がつなぐ。

地図

数寄屋造りの閑静な茶室。
▲数寄屋造りの閑静な茶室。茶道をはじめ
 生け花や句会などにも利用されている。

【愛山荘】越前市若竹町6-27 TEL0778-23-5011 《HP》http://aizanso.com/
開館/10時から17時、不定休 料金/1,000 円、中学生以下500 円(飲み物、ケーキ付き)

【取材協力・写真提供】愛山荘

【参考文献】『武生市史 資料篇 人物・系譜・金石文』(武生市・昭和41年発行)、『絵暦 武生の気になる庭篇』(武生ルネサンス出版部・平成13年発行)

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