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越前若狭探訪

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淡水の湖を天然の良港に変えた 日向(ひるが)運河〈美浜町〉

福井県地図

現在の日向湖
▲現在の日向湖。漁船を係留する港、トラフグの養殖場、漁獲した魚の畜養場などに利用されている。

昭和30 年代中頃の日向(『わかさ美浜町誌〈美浜の歴史〉第2巻』から)
▲昭和30年代中頃の日向
(『わかさ美浜町誌〈美浜の歴史〉第2巻』から)

漁船は、日向運河に架かるアーチ形の「日向橋」(太鼓橋とも)の下を通って若狭湾へ漁に出る
▲漁船は、日向運河に架かるアーチ 形の「日向橋」(太鼓橋とも)の下を 通って若狭湾へ漁に出る。

 三方(みかた)五湖の中で、日向湖は唯一塩水湖であり、「日向運河」(または日向川)と呼ばれる長さ約100m、幅約20mの人工の水路によって若狭湾とつながっている。
 日向湖は、周囲約3.6kmと小さいものの、最大水深は約38mあり、三方五湖の中で最も深い。周囲を山に囲まれた波穏やかなこの湖は、漁船を係留する港や養殖場として利用されている。
 日向の旧家に伝わる文書(もんじょ)によると、日向運河が切り開かれたのは、江戸初期の寛永12年(1635)で、それ以前の日向湖は、水面が海面より1.2m余り高い淡水湖だった。湖の南東側から「細川」を経て久々子(くぐし)湖に流れ出ていたという。
 日向浦は、古く鎌倉時代頃から若狭有数の漁村であり、全国的にみても早くから、大網(おおあみ)漁(大敷網(おおしきあみ)漁)を行っていた。運河開削以前は、若狭湾に面した外浜(そとのはま)を舟揚げ場としていたが、江戸初期、波浪による浸食で浜が狭くなって難儀したため、日向浦は、初代小浜藩主の酒井忠勝に、日向湖を舟だまりとするための運河開削を願い出た。寛永11年、若狭に国入りしたばかりで藩内の整備を積極的に進めていた忠勝は、翌年これを実現。日向湖は、時化(しけ)の時にも舟を守ることができる〝天然の良港〞となった。その後も運河の口は、冬の荒波などで打ち上げられる岩石や土砂によって再三埋まったが、その都度修復された。
 日向湖の周囲には、狭い平地に帯のように民家が立ち並ぶ。軽自動車がやっと通れるほどの狭い旧道を挟んで山側に母屋、湖に面してかつては舟小屋(舟揚げ場)があり、漁師たちは、母屋を出て道を横切り、舟小屋から湖に舟を下ろして若狭湾へと漁に出た。
 現在の日向は、大きく様変わりしている。平成9~12年には幅広い湖岸道路と岸壁(物揚げ場)が完成。漁船そのものも昭和45年頃から船体のFRP(繊維強化プラスチック)化が進み、木造船と違って常時水上に係留できるようになった。かつての舟小屋は不要になり、多くが離れ家などに建て替えられた。旧道の両側に家屋が対(つい)をなして立つ密度の高い家並みは、日向特有の景観として、今も漁村の風情を色濃くとどめている。

地図

日向運河で行われる伝統神事「日向の水中綱引き」(国選択無形民俗文化財、1 月第3日曜に開催)
▲日向運河で行われる伝統神事「日向の水中綱引き」(国選択無形民俗文化財、1月第3日曜に開催)。運河を通す際の岩石・土砂の除去作業を表しているとする説もある。全国的にも珍しい厳寒期に水中で綱を切り合うこの勇壮な神事は、江戸初期に開削された日向運河の恩恵を後世の人々に伝えている。

▼狭い旧道沿いに各家の母屋と離れ家や納屋が対を なして立ち並ぶ日向特有の漁村景観(左側が母屋)

▲湖岸に設けられた道路と岸壁

日向運河の開削以前に舟揚げ場だった外浜
▲日向運河の開削以前に舟揚げ場だった外浜。 現在は日向漁港として、防波堤や水揚げ岸壁 などが整備されている。

【取材協力】美浜町歴史文化館、美浜町商工観光課、渡辺利一さん(美浜町日向)

【参考文献】『わかさ美浜町誌〈美浜の歴史〉第1巻 ふりかえる若狭』(美浜町・平成22年発行)、『わかさ美浜町誌〈美浜の文化〉第1巻暮らす・生きる』(美浜町・平成14年発行)、『三方歴史ブックレット④ 三方五湖の漁業(下)』(三方古文書を読む会編・平成5年発行)

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