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越前若狭探訪

北谷町小原(きただにちょうおはら)(勝山市)
限界集落で新たな息吹 修復民家で山村体験

北谷町小原集落
▲南向きの斜面に石垣を築いて敷地を造り、
家が段々状に立ち並ぶ北谷町小原集落
小原の民家
小原の民家
▲蚕を飼う部屋として使われた2階に出入り
口やウデギ(ベランダ)がある小原の民家
人工の水路
▲集落内の石垣の脇に設けられている人工の水路

 勝山市の北谷町小原(きただにちょうおはら)は、石川県との県境に近い谷あいの標高400~500mにある集落で、冬季、多いときには一晩で1m以上の雪が積もり、積雪4mにもなる県内有数の豪雪地域です。
 勝山市街地から国道157号線を白峰(しらみね)方面へ向かい、小原大橋を渡ったところで国道を右折、滝波川沿いの細い道を600mほど進むと、小原に到着します。
 明治24年(1891)に戸数93、人口535人だったのが、昭和30年代以降、減り続け、三八・五六豪雪が離村に拍車をかけて、昭和58年には25戸に。その後も過疎化が進み、人が住む家は平成15年に5戸となり、数年前からは定住者わずか数名という現状です。
 家々は、南向きの日当たりのよい斜面に石垣で小さな敷地を造り、段々状に約30棟が建てられています。集落内を歩くと、丹念に高く積まれた石垣や大きな岩を削った石段、その脇を流れる人工の水路があり、この地で暮らした人々が培った石積み等の技術、生活を維持するための苦労を実感します。
 建物の跡地は畑として、春になるとジャガイモなどを栽培。村を離れた後も、勝山や大野在住の数名の方が、畑仕事をするために通ってきています。
 かつて小原では、雪解けを待って、村の上流で焼き畑、下流で水田耕作の出作(でづく)りをしました。江戸時代の中頃からは養蚕が盛んになり、明治以降は炭焼きが現金収入をもたらしました。冬場は出稼ぎに出たほか、残った人たちも臼(うす)・こね鉢・まな板・下駄(げた)などの木工品や蓑(みの)作りをして、旧正月前に開かれる勝山年の市で販売しました。
 豪雪と養蚕は、小原の家の造りにも影響しています。1、2階を貫く太い通し柱を立てて雪の重みに耐え、その柱を土壁で厚く塗り固め、すき間をなくして冬の寒さをしのぐ工夫がされています。大壁(おおかべ)という土蔵のような造りです。2階には、間仕切りのない広い空間を確保して蚕(かいこ)を飼いました。どの家も2階に大きな窓(出入り口)が複数あり、風通しや明かりとり目的のほか、積雪時の出入りや物の出し入れに利用しました。2階南側や東側には、地元でウデギと呼ぶベランダを設け、物干しや収穫物の乾燥のため、山間地の乏しい日照を取り込んでいます。
 平成18年春、朽ち果てた空き家が並ぶ小原で、「自分たちが育ったふるさとを守りたい」という地元の人たちや、「優れた集落景観と学術的にも貴重な白山麓(はくさんろく)特有の民家を残したい」という福井工業大学工学部の吉田純一教授と学生の皆さんによって、『小原ECOプロジェクト』(代表・國吉一實(くによしかずみ)小原生産森林組合長)が発足。毎年、夏休みを利用して泊まり込みで家の修復(昨年までに計8棟)を進め、その民家を活用した山村体験イベントなどを開いてきました。この取り組みは、若者をはじめ多くの人を小原に呼び込んでいます。
 昔、平家(へいけ)の落人(おちうど)が白峰から移ってきて開いたと伝えられる小原。今、修復された民家と魅力ある集落景観、豊かな山村の自然を〝武器〟に、限界集落からの新たな再生を目指しています。

地図

小原ECOプロジェクトは平成27年度ふるさとづくり大賞(内閣総理大臣賞)を受賞しました。

【取材協力】北谷町小原と小原ECOプロジェクト関係者の皆さまからお話を伺いました。

【参考文献】『北谷見聞記』(北谷町老人クラブ北寿会・昭和58年発行)、『白山文化フォーラム2004・2005記録集』(勝山市教育委員会・平成18年発行)、『よみがえった古民家 小原ECOプロジェクト/古民家修復の記録』(福井工業大学建築学専攻 吉田研究室・平成20年発行)

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