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越前若狭探訪

丸岡線<丸岡鉄道>(坂井市)
3鉄道路線を東西に連結 今も残る橋脚やホーム

北陸本線の丸岡駅に直接乗り入れた丸岡線
▲北陸本線の丸岡駅に直接乗り入れた丸岡線。現在、駐輪場とその向こう側のバス乗り場になっている所にも側線とホームがありました。
北陸本線の上を通過した丸岡線
▲北陸本線の上を通過した丸岡線。今も残る跨線橋の橋脚は、北陸本線の電化(昭和38年)の際に、かさ上げされています。
えちぜん鉄道・三国芦原線の西長田駅 右端の線路が丸岡線の発着線
▲えちぜん鉄道・三国芦原線の西長田駅。右端の線路が丸岡線の発着線。レールはホームの途中で切れています。
丸岡線と永平寺線の駅舎やホームがあった本丸岡駅跡
▲丸岡線と永平寺線の駅舎やホームがあった本丸岡駅跡。現在はバスターミナルになっています。

 坂井平野には昭和40年代前半まで、私鉄の線路が縦横に通っていました。丸岡町の市街地と春江町西長田(にしながた)の間を東西に結んだ「丸岡線」(約7.6km)や、金津(かなづ)(現JR芦原温泉駅)から丸岡を経て永平寺の門前に至る「永平寺線」(約24.6km)が存在したことは、次第に忘れ去られようとしています。
 明治30年(1897)に開通した福井駅以北の北陸線(軌間〔線路の幅〕1067mm)は、丸岡の市街地を大きく西に外れて敷設(ふせつ)されました。そのため、大正4年(1915)6月に北陸線の丸岡駅(丸岡町ではなく坂井町上新庄(かみしんじょう)に所在)と、丸岡町中心部の本(ほん)丸岡とを結ぶ目的で、丸岡鉄道(延長約4.2km、のちの京福電気鉄道「丸岡線」)が開業。軌間は762mmと狭く、「軽便(けいべん)鉄道」と呼ばれ、全長5mに満たない小型の蒸気機関車が客車等を牽引(けんいん)して走りました。県内で3番目、坂井郡内では最初の私鉄路線でした。
 その後、昭和4年(1929)には三国芦原電鉄(福井から三国、のちに京福電気鉄道、現在のえちぜん鉄道・三国芦原線)が開通。さらに同年、永平寺鉄道(のちの京福電気鉄道「永平寺線」)が全線開通しました。いずれも当初から電化、軌間は1067mmでした。
 昭和5年から6年に丸岡鉄道は、西へ路線を約3.4km延長して、三国芦原電鉄の西長田駅に接続。途中、丸岡駅では運転士が反対側に移動して逆向きに走る折り返し式でした。同時に丸岡鉄道全線の電化と改軌(1067mmに拡幅)が完成して、北陸本線丸岡駅への直接乗り入れ、本線から貨車の直通運転が実現。本丸岡や西長田でもレールの連結、駅舎等の一本化が進み、私鉄3社(三国芦原電鉄・丸岡鉄道・永平寺鉄道)の連携が図られました。
 この3社は、戦時中、京福電気鉄道に統合。昭和23年(1948)6月28日の福井地震で、震源地を走る丸岡線や永平寺線は、壊滅的な被害に遭ったものの、全線復旧を成し遂げました。
 丸岡線は、延長8kmに満たない短距離路線ですが、南北に走る三国芦原線・北陸本線・永平寺線の3路線を東西に連結する役割を果たしました。昭和30年代前半までは、通勤・通学のほか、三国祭や丸岡の祭りでは大勢の人が利用。米や肥料、織物などの貨物輸送も盛んでした。丸岡線の輸送ピークは、昭和30年頃の年間約120万人で、以後、モータリゼーションの進行とともに減少傾向が続きました。
 昭和43年(前回の福井国体開催年)7月に丸岡線は廃止。開業から53年、半世紀の歴史に幕を閉じました。永平寺線は翌年、金津から東古市(ひがしふるいち)(現在のえちぜん鉄道・永平寺口駅)間が廃線となり、残る東古市から永平寺間は平成14年に廃止されました。
 丸岡線の廃線跡は、一部が道路化、水田地帯は区画整理や用排水整備で痕跡が消滅していますが、北陸本線をまたいこだ跨(こ)線橋の橋脚や、西長田駅と丸岡駅に残るホーム、途切れたレールが面影をとどめています。本丸岡駅跡はバスターミナルとして、今も坂井平野における交通の拠点になっています。

地図

【参考文献】『霞が城を眺めて走った田舎電車』(京福電気鉄道株式会社福井鉄道部・平成10年発行)、『坂井の鐵道博覧展』(みくに龍翔館・平成18年発行)、『消えた轍ローカル私鉄廃線跡探訪3』(寺田裕一著・平成18年発行)、『京福電気鉄道88年回顧録越前線写真帖』(京福電気鉄道株式会社・平成15年発行)

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