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越前若狭探訪

「サクラサク」の舞台・早瀬(美浜町)

千歯扱(せんばこ)きの行商で繁栄 自由で開放的な気風

瑞林寺横の高台から望む早瀬の町並み
▲瑞林寺横の高台から望む早瀬の町並み
山車蔵
▲佐田繁治さん夫妻と幼い雅人さんが暮らした
瑞林寺の隠居所があった場所(現在は駐車場)。
右側の建物は、伝統芸能・早瀬子供歌舞伎で
使われる山車が収納されている蔵。
瑞林寺と背後の岳山(通称みろく山) 
▲瑞林寺と背後の岳山(通称みろく山)
土蔵や商家が並ぶ早瀬の町並み
▲土蔵や商家が並ぶ早瀬の町並み
若狭湾と久々子湖とを結ぶ水路「早瀬川」
▲若狭湾と久々子湖とを結ぶ水路「早瀬川」

 シンガーソングライターであり、作家としても知られるさだまさしさんの小説が原作の映画「サクラサク」(田中光敏監督)は、都会に住む“崩壊状態”の家族が、認知症を患う父親のかすかな記憶をもとに、思い出の地を訪ねながら、家族の絆(きずな)を再び取り戻していくドラマです。
 さださんの父佐田雅人さん(平成21年に89歳で死去)は幼いころ、美浜町早瀬にある曹洞宗の古刹、瑞林寺(ずいりんじ)(小説の中では瑞泉寺)で両親と一緒に暮らしており、実話を題材にしたこの物語は、瑞林寺と早瀬が重要な舞台になっています。
 この作品は、県内のさださんファンと地元の熱い思いが実って映画化が決定。福井県や美浜町をはじめ関係市町等が協力して製作が進められました。特に今年、町制施行60周年を迎えた美浜町は、平成23年から映画「サクラサク」応援隊の結成を呼びかけて強力にサポート。県内ロケでは、エキストラ出演や郷土料理の炊き出しを行いました。
 佐田家と美浜とのつながりは不明ですが、さださんの祖父繁治さん(明治4年島根県生まれ、大正15年に54歳で死去)は、中国大陸で諜報(ちょうほう)活動に従事し、のちに商工大臣秘書官を務めた人物。祖母のエンさん(昭和37年に86歳で死去)もロシアのウラジオストクで大きな日本料理屋を営み、馬賊(ばぞく)とも対等に渡り合ったという女性でした。
 佐田夫妻と幼い雅人さんは、ロシア革命、シベリア出兵と続く混乱の中で大正11年(1922)に一時帰国。その間1年ほどを過ごした早瀬は、雅人さんにとって「親子3人で穏やかに暮らした思い出の地」でした。隣町の敦賀は当時、ウラジオストクとの定期航路を持つ大陸との玄関口。何らかの縁で、佐田夫妻は、早瀬の瑞林寺を国内での滞在場所としたようです。
 早瀬は、古くから若狭有数の漁村であるとともに、漁獲物の集散地、北前船の拠点として栄えました。とりわけ行商の村として知られ、海産物を近隣各地へ売り歩き、さらに江戸後期から大正期にかけては、千歯扱(せんばこ)き(櫛(くし)状に並んだ鉄の歯で穂から籾(もみ)をこぎ取る農具)の製造と販売で全国に名を馳(は)せました。明治以降、交通の発達に伴って販売先は北海道や沖縄にまで。男女とも17、18歳になると、親方に付いたり、親子や夫婦、親類連れで、毎年初夏から半年間にも及ぶ行商に出ました。明治末期にはその数約200人、早瀬では働き手のおよそ5人に1人が千歯扱きの行商に携わったといいます。区民の約7割が千歯扱きの仕事で生計を立て、暮らし向きはとても豊かでした。
 漁業と商工業で栄えた早瀬の町並みは、漁師町とはやや異なり、商家や土蔵、料亭跡など、商家町の面影があります。土地に縛(しば)られず、全国を飛び回って広い世間を見聞きした早瀬の人たちには、自由で開放的な気風が根付きました。そうした雰囲気に迎え入れられて、佐田さん親子は、平和で心安らぐ日々を送ったのではないでしょうか。
 瑞林寺の境内や背後の岳山(だけやま)(通称みろく山)の桜は、春の訪れとともに、今年も満開の花を咲かせました。

地図

【参考文献】 『解夏(げげ)〔「サクラサク」所収の短編小説集〕』(さだまさし著・幻冬舎文庫・平成15年発行)、『さだまさし全一冊』(エフエム東京・平成11年発行)、『三方郡誌』(福井県三方郡教育会編・明治44年発行)
【協力】 瑞林寺(瀬戸弘湧住職)、美浜町商工観光課
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