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越前若狭探訪

おんばさま(小浜市)

信心深い巡礼の娘 村の”守り神”に

尼僧姿のおんばさま
▲尼僧姿のおんばさま。その真っ白なお顔は、やさしいようにも厳しいようにも見えます。 御姥女堂
▲小浜市岡津(おこづ)の姥ヶ谷(うばがたに)にある御姥女堂(おんばどう)。岡津の人たちの信仰によって守られてきたおんばさまが、地名の由来にもなっています。

小浜西インターの近くから見た岡津地区
▲小浜西インターの近くから見た岡津地区

岡津の浜辺
▲波静かな小浜湾に面した岡津の浜辺。片江鼻(かたえはな)という小さな半島の沖には、国指定天然記念物の暖地性植物群落で知られる蒼島(あおしま)が浮かんでいます。

 舞鶴若狭自動車道の小浜西インターに近い、小浜市岡津(おこづ)の姥ヶ谷(うばがたに)のお堂に「おんばさま」(御姥女様(おんばさま))と呼ばれる白い尼僧(にそう)姿の座像がまつられています。おんばさまについて、岡津には次のような言い伝えがあります。
 昔 、雪の降る日、母と娘の巡礼が村の庄屋の家に泊めてもらうことになった。ところが、母親は旅の疲れからか、病気になって亡くなってしまった。残された幼い娘お福は、親切な庄屋夫婦の世話で葬式をすませた。子どもに恵まれなかった庄屋夫婦は、お福を哀れに思ってそのまま家に置き、自分たちの子として、かわいがって育てた。
 お福は、仏を深く信心して、美しく心のやさしい娘に成長し、村の娘らに文字や裁縫を教えた。周りから縁談が次々と持ち込まれたが、「私は仏様におつかえする身ですから」とお福は断り続けた。あるとき、その腹いせから隣村の若者が「庄屋の娘は悪い女だ」と代官所に訴え出た。代官は、かねてから年貢のことで村人をかばって言うことをきかない庄屋を困らせてやろうと思い、これ幸いとお福を捕らえた。そのとき、お福は「私は必ず村に戻ってまいります。育てていただいたご恩は一生忘れません」と言い残し、囚人かごに入れられ、船で連れて行かれた。
 ところが、沖に出ると急に海が荒れ、代官と家来たちは、 船もろとも海に沈んだ。ただ、お福の囚人かごだけは、荒れる波間に浮かび、 岡津の浜に打ち上げられた。庄屋夫婦や村人が駆け寄って、かごを開けると、 そこにお福の姿はなく、美しい女の仏様がお座りになっていた。この不思議な出来事に、人々は「これはお福さんがんが村の難儀を救ってくれたのに違いない」と思い、その仏様を村の��守り神�≠ニしてまつった。そして、いつしか「おんばさま」と呼ばれるようになった。
 語り手によって内容が少し異なるようですが、以上が、おんばさまの由来にまつわる言い伝えのあらましです。
 御姥女堂(おんばどう)と呼ばれるお堂の場所は、かつて海辺にあったときに、「波の音は嫌いじゃ」というお告げがあって、山あいに移されたとのことです。
 現在のお堂は、平成14年に建て替えられたもので、その仕事を手がけた大工の栗原由次(ゆうじ)さん(69歳)によると、古いお堂(昭和12年の建立)は、倒木などで傷み、おんばさまの像も片手が取れ、周りはタヌキなどによって荒らされた状態だったそうです。建て替えとともに像の修復も手がけた栗原さんは、その後も毎月訪れて、お堂の掃除など、世話をされてきました。
 栗原さんは、「おんばさまには、何か元になる実際の出来事があったのではないか。おそらく江戸時代のころに、巡礼で岡津に来て根を下ろし、篤い(あつい)信仰心を持ち、村に尽くした女性がいて、村人が感謝の念から、その姿を像に刻んでまつったといった話が、長い年月の間に枝葉がついて伝えられてきたのでは—。おんばさまにおまいりすることで、心がきれいになるような気がします。これからも大切にしていきたい」と話されています。

地図

【取材協力】 栗原由次さんに現地へご案内をいただき、お話を伺いました。
【参考文献】 『続ふるさとの昔話』(小浜市連合婦人会・昭和50年発行)、『続ふるさとのえばなし』(小浜市連合婦人会・昭和62年発行)
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