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仕事ストーリー Project01 Project02
Project01 関西電力初、オーストラリアのLNG上流権益を取得せよ
プルートLNGプロジェクトを推進するチームの一員に抜擢

「出たー!!」
その瞬間、吉田は思わず絶叫した。2007年7月27日、吉田が食い入るように見つめていたのは、オーストラリア証券取引所のWebサイト。それは、豪州のウッドサイド社がプルートLNG(液化天然ガス)プロジェクトのFID(最終投資決定)を下した旨がアップされた瞬間のことだった。


ダミー
話は3年前に遡る。2005年4月、オーストラリア北西部のカラサ沖でガス田が発見された。このプルート・ガス田の権益を有していたのは、豪州最大手の石油・天然ガス事業者であるウッドサイド社である。そして、ウッドサイド社がプルートLNG開発における共同事業者として白羽の矢を立てたのが、他でもない関西電力だった。ウッドサイド社から「プルートLNGプロジェクトに参画しないか」という打診を受け、関西電力は、自社初となるLNGの上流権益の取得に乗り出す決断を下す。

これまで関西電力では、商社を通じてLNGの調達を行ってきた。それが今回、LNGの購入者としてではなく、開発者として参画する──。関西電力にとって、大きな意味を持つプロジェクトとなることは間違いない。その重大なプロジェクトを推進するチームの一員として抜擢されたのが、当時燃料室・燃料計画グループに所属していた吉田だった。


敷かれたレールのない契約交渉の日々
プロジェクトに参画するには、第三者の立場でプルート・ガス田の資産価値や埋蔵量などを評価してくれる海外コンサルタントの力が必要だった。吉田は、事前にアポイントを取り、目当てのコンサルタントを訪問するため上司と二人、オーストラリアのパースへ飛んだ。この時期は、まだウッドサイド社との協議は水面下で行われており、契約も結んではいない段階であったため、他社に動きを察知されないよう細心の注意を払う必要があった。いわば極秘ミッションである。目的地であるパースは美しい街並みで知られているが、その一方でエネルギー資源の町の顔も持つ。「エネルギー業界は意外に狭く、パースのメーンストリートで業界の人間と鉢合わせることも少なくない。非常に緊張感のある日々でした。」と吉田は当時を振り返る。

ダミー
パースへの出張後、コンサルタントとの契約交渉がスタートした。相手が海外の企業ということもあり、契約内容の交渉はほとんどが国際電話によるもの。その交渉にあたったのが吉田だった。もともと、英語が得意だった吉田にとって、交渉を英語で行うことには語学的に何の不安もない。しかし、上流権益に関わる海外コンサルタントとの契約は、関西電力にとって初めての試み。吉田は、白紙の状態で交渉に臨まなければならなかった。それでも、時には上司のサポートを受け、時には法務部門に相談するなどして難所を乗り切った吉田は、2005年9月にコンサルタントとの契約の締結に成功する。

コンサルタントとの契約締結後、関西電力はウッドサイド社との本格的な交渉に入った。交渉に際し、吉田はその語学力を買われて議事録の作成を任された。会議は、前回の発言を受けて次回の交渉に臨むというロジックの積み重ねによって進行していく。そのため議事録の不備は許されない。当初吉田は、英語の発言を日本語に翻訳しながらノートに手書きで記載していたが、それでは議論が白熱すると到底追いつかない。そこで、パソコンに直接英語と日本語の発言を打ち込み、後から英語を翻訳して議事録を仕上げるようにした。この議事録はそのまま、関西電力のノウハウ蓄積の軌跡に他ならない。 「とにかく、初めての試みなので、自社に確立された知見がない。上流権益に係る契約において、何が業界標準で、どこに着目して、どう着地すれば関西電力にとって望ましい契約となるのかをつかむまでが大変でした。この分野に詳しい見識者の意見を求めたり、専門の弁護士事務所にサポートを受けたりしながら、手探り状態で交渉を進めていきました」 交渉が最終局面を迎える頃には、吉田ら担当メンバーはパース〜東京〜大阪の間を文字通り飛び回る日々で、多忙を極めた。そして2006年3月、LNG売買・LNG輸送・上流権益売買に関する基本合意書の締結にいたった。 。


豪州首相が出席したオペラハウスでの調印式
基本合意書の締結が済んでも、最終的にプロジェクトを進めるかどうかは、ウッドサイド社の取締役会が決定を下す。実際、設備に必要な鋼材原料高騰の影響などで、LNGプロジェクトに二の足を踏む企業も少なくない。ウッドサイド社の最終投資決定が行われるその日、吉田はパソコンから離れることができなかった。意思決定の結果は、オーストラリア証券取引所(ASX)のサイトにアップされる。ウッドサイド社にとっても、総投資額が自社の売上高の3倍にもあたる大型プロジェクトだ。取締役会で慎重な議論が重ねられているのか、昼休みを過ぎてもASXのサイトには何の変化もなかった。吉田が焦り始めたその時、ようやくASXのサイトに「ウッドサイド社、最終投資決定」の情報がアップされた。「出たー!!」。それは、吉田のこれまでの苦労が実を結んだ瞬間だった。

ダミー
2007年8月24日、吉田はシドニーのオペラハウスにいた。関西電力とウッドサイド社とのLNG売買・上流権益売買契約締結の調印式は、世界遺産であり、オーストラリアでもっとも有名なこの場所で行われた。資源輸出国オーストラリアのプルートLNGプロジェクトに対する意気込みを示すかのように、調印式にはハワード首相(当時)をはじめ豪州政府関係者が多数出席。吉田はこの日、調印者に契約書をまわすという大役を果たす。ガス田発見からここに至るまで、世界でも異例のスピードで進んだプルートLNGプロジェクト。そのプロジェクトが確実な一歩を踏み出した調印式は、プロジェクトに奔走してきた吉田にとっても感慨深いものがあった。

関西電力と吉田を進化させたプルートLNGプロジェクト

調印式から3ヶ月が過ぎた2007年11月、吉田はプルートLNGプロジェクトの起工式で建設中のサイト「バラップLNGパーク」を訪れた。見渡す限り岩山が広がる砂漠のような大地。その地に立って、吉田は思い至った。「このような過酷な環境でLNG液化プラントの安全操業のために尽力してくれている現地の人々がいる。電力の安定供給は、こういう人々に支えられているのだ」と。オフィスにいるだけでは、資源国側や資源開発企業の苦労を推し量ることはできなかっただろう。今回のウッドサイド社との交渉も、関西電力、ウッドサイド社という垣根を取り払い、一つのワーキンググループとして交渉がなされた。アイデアを出し合い、意見交換し、お互いがベストと思える道を模索した。「今後は、相手の立場を理解した上で、『交渉』というより『調整』していく関係を相手方と構築していきたい」と言う吉田。2年余りにわたるプルートLNGプロジェクトを通して、吉田の意識も変わった。

ダミー
プルートLNGプロジェクト参画によって、関西電力の電力供給チェーンは、資源国におけるガス田開発という最上流まで行き着いた。LNG輸送の専用船も保有することになり、ガス田からエンドユーザーであるお客さままで、一つのLNGチェーンで繋がった。吉田が関西電力に入社した頃には考えられなかったことだ。関西電力は進化し、その進化を支える人材もまた、進化を遂げる。「このプルートLNGプロジェクトで培った経験・知見を活かして、今度は他資源国における資源開発を手がけたい。そして、ゆくゆくは関電オーストラリアのパース事務所に勤務して、世界のエネルギー最前線で立ち回ってみたいですね」。吉田の夢がまた一回り、大きくなった。
プルートLNGプロジェクトの流れ

2005年4月
西オーストラリア州北西部カラサ沖合でプルート・ガス田発見。

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2005年8月
上流権益の資産評価にtechnical adviserとfinancial/commercial adviserが必要。コンサルタント調査を開始。

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2005年9月
technical adviserと契約締結。

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2005年11月
ウッドサイド社とLNG売買・LNG輸送・上流権益売買に関するターム・シート(主要条件)の合意文書を締結。

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2006年3月
ウッドサイド社とLNG売買・LNG輸送・上流権益売買に関する基本合意書(HOA)を締結。

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2007年7月
ウッドサイド社、最終投資決定(FID)。

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2007年8月
ウッドサイド社とLNG売買・上流権益売買契約書を締結。オーストラリア、オペラハウスで調印式。
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2007年10月
豪州連邦政府、プルートLNGプロジェクトの環境承認。

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2007年11月
プルートLNGプロジェクト、現地で起工式を開催。

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2010年末
LNG供給開始予定。
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