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「『日本文化』への視点――今だから考えたい日本的なるもの」

「日本文化」の周辺:

 

●嵯峨天皇の花見

『日本後紀』によると、最も古い観桜の宴は弘仁3(812)年、嵯峨天皇が催したとされる。桜の花が咲き誇る神泉苑に行幸し、花宴を催した。『凌雲集』に収める嵯峨天皇の詩に「神泉苑花宴賦ニ落花ー篇」というものがある。以前は中国の影響で梅の観賞が流行ったが、嵯峨天皇以降、花見の行事が盛んになる。といっても当時は、貴族など上流階級の遊びであり、庶民に定着するのは江戸時代になる。

●権力者と桜

有名なのが慶長3(1598)年、豊臣秀吉が京都醍醐寺三宝院を中心とする5km四方の山々で行った「醍醐の花見」。山内には趣向を凝らした茶室があちこちに仮設され、茶や食事、風雅な道具の鑑賞など、贅を尽くした宴を繰り広げ、数百名に及ぶ参会者を驚嘆させたといわれている。それ以前、室町幕府の三代将軍足利義満は、邸宅を埋め尽くすほどの桜を植えたことから、邸宅が「花の御所」と呼ばれた。

●花見の大衆化

江戸時代、3代将軍徳川家光が上野に寛永寺を建て、吉野の桜を移植、隅田川河畔に桜を植えた。また、8代将軍吉宗が飛鳥山を桜の名所にしたことなどから、桜の下で宴会をする現在の花見が庶民に定着。桜を花の代表と形容する「花は桜木、人は武士」は、江戸中期の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」のせりふ。国学者・本居宣長も「敷島のやまと心を人問はば朝日ににほふ山桜花」と日本人の心に例えて賛美した。

●「桜」の語源

古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)のさくやが転化したという説、また、さくらの「さ」は穀霊(穀物の霊;稲田の神)を表す古語で、「くら」は神霊が鎮座する場所を意味し、「さ+くら」で、穀霊の集まる依代(よりしろ)を表すという説がある。桜の開花が農作業の目安の一つになっていたことから、桜に神が宿ると考えられていた。

●能・狂言

ルーツは、五穀豊穣を祈る芸能や田楽、物まね芸能の猿楽、中国から伝わった散楽などが、互いに交流、影響しあって徐々に発展したとされる。南北朝時代に、大和猿楽の観阿弥(1333〜1384)が物まね主体の猿楽能に、当時流行していた曲舞の音曲をもとに音楽性・舞踏性の要素を取り入れ、新風の謡(うたい)を打ち出し、その子・世阿弥(1363〜1443)が幽玄美を追求する夢幻能を確立させた。

●歌舞伎

桃山時代から江戸時代初期、異様な風体で街を歩く若者を「かぶき者」と呼び、その風俗や振る舞いを取り入れた「かぶき踊り」がルーツ。演劇としての歌舞伎は、1603年、出雲大社の巫女だったといわれる阿国の一座が京都で興行した新規な踊りに始まる。芸能の世界だけでなく、新規な上方や衣装の色柄などファッションの世界をリードする役割も果たした。

●浮世絵

版画の浮世絵は、17世紀末、元禄時代の絵師・菱川師宣に始まり、美人画の喜多川歌麿、役者絵・相撲絵の東洲斎写楽、風景画の葛飾北斎、安藤広重など、多くの作品が残る。海外でブームになったのは、1856年パリの版画家・ブラックモンが、日本から輸入された陶器の包み紙が北斎の「北斎漫画」だったことに気づいたからとされている。以来ヨーロッパでジャポニズムブームが起き、ゴッホやマネ、モネなど印象派の画家に影響を与えた。

●寿司;鮨

語源は「酸し(すし)」とする説が有力。日本に伝わったのは、養老2(718)年「養老律令」に『鮨・鮓』の文字が登場。それは魚介の漬け物、「馴れずし」「鮒ずし」にあたり、現在の形の鮨は江戸時代に確立した。

●海外sushi事情

アメリカ東部では1960年以前、西海岸のロスアンジェルスで本格的な握り寿司を出す店が現れたのは1960年代。当時は日本人客がほとんどだったが、1970年代後半から、スシが健康食として話題になり、80年代にはカウンター席の店が「スシ・バー」として人気に。カリフォルニアロール(アボカドやカニ肉などを巻いたスシ)などもそのころ現れたが、今日ではこうした欧米風アレンジだけでなく、本来の日本食の寿司も普通に食されている。現在、欧米では回転寿司が人気。ぐるぐる回るエンターテインメント性や自分で好きに選べる点がウケてるもよう。またランチ時にスーパーやカフェでテイクアウト用sushiパックを買って食べる事はごく一般的になっている。

●ファッションの和風ブーム

漢字プリントのTシャツはかなり前から欧米やアジア各国で出回っていたが、パリやミラノの2003年春夏コレクションでは、着物袖のジャケットや和風柄を多くのブランドが手がけていた。グッチやヴィトン、ジョルジオ・アルマーニをはじめ、若手や新進ブランドにまで、一斉に和風ブームが到来している。

●海外で通じる日本語

「禅」「わび・さび」「歌舞伎」「能」「浮世絵」「茶の湯」「生け花」「俳句」「盆栽」「漆」「根付」「着物」「帝(みかど)」「将軍」「大名」「侍」「武士道」「腹切り」「忍者」「坊主(bonze)」「やくざ」「相撲」「柔道」「芸者」「人力車」「指圧」「畳」「障子」「布団」「寿司」「刺身」「すき焼き」「天麩羅」「豆腐」「照り焼き」「枝豆」「大根」「なっぱ(白菜)」「ラーメン」「醤油」「酒」「弁当」「温泉」「碁」「漫画」「カラオケ」「交番」「系列」など、海外でもそのまま通用する日本語は多い。1997年頃からフランスを中心に起こり、今もヨーロッパで続いている日本ブームは、香の幽玄な香りや鉄瓶や和食器の静的な美に「禅」の精神を感じることから、「ZEN(ゼン)」と呼ばれている。

●ジャパニメーション(日本製アニメ)

『バトル・オブ・ザ・プラネット(科学忍者隊ガッチャマン)』『ロボテック(超時空要塞マクロス)』『ポケモン』『ドラえもん』『アラレちゃん』『一休さん』『ちびまるこ』『クレヨンしんちゃん』『AKIRA』『ドラゴン・ボール』『セーラー・ムーン』、そして宮崎駿の『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』(ベルリン映画祭金熊賞受賞/アカデミー賞受賞)など「宮崎アニメ」まで、日本アニメが世界で流行、70年代には「ジャパニメーション」といった言葉もつくられた。
海外の日本アニメブームは古くは手塚治虫の『鉄腕アトム』に遡る。アメリカでは1963年『アストロボーイ』のタイトルでテレビ放映され、それを見た、当時無名のスタンリー・キューブリックが手塚治虫に手紙を出し、「今、私はSF映画を創ろうと思っています。テレビに出てくる、ロボット、宇宙ステーション、未来都市、全てが私の考えていることばかりです。私が制作しようとしている未来科学映画の美術デザインを担当していただけないでしょうか」と要請。手塚は要請を受けたかったが、日本での仕事の関係で叶わず、5年後、完成した映画が、『2001年宇宙の旅』。日本アニメが映画史上不滅の名作をを生んだという逸話がある。ちなみに2003年4月7日はアトム生誕の日とされている。

●海外で人気の日本のテレビ番組

日本のテレビ番組は特に1980年代以降、各国に浸透し始めた。1983年に放映された「おしん」(NHK)は、シンガポール、中国、インドネシア等近隣諸国で放映され、話題を呼び、エジプト等中近東諸国やメキシコ、ペルー等中南米諸国にも波及、世界約60カ国で放映。90年代には「東京ラブストーリー」(フジテレビ)など、日本のトレンディドラマが東アジア各地で爆発的なブームとなった。また子供番組も多く輸出されており、「ゴレンジャー」(テレビ朝日)はアメリカでは「Power Rangers」と呼ばれ、最初は日本で放映された画像をそのまま流していたが、後にアメリカ人俳優が演じ、アメリカ流にアレンジ。「Power Rangers」はイギリスでも子供番組のトップ10に入り、フランスでは50%以上の子供たちが視聴。ドイツ、オーストラリア、南アフリカなど各国で高視聴率を獲得。「ウルトラマン」(円谷プロ;MBS)は90年代、中国に輸出され、「奥特曼」としてブームになった。

●海外映画に影響を与えた日本文化

キューブリックの『2001年宇宙の旅』に影響を与えたのが『鉄腕アトム』だったように、海外の映画作品に影響を与えた日本文化も数多い。有名なところでは、黒澤明の『七人の侍』(1954年)を翻案した西部劇映画『荒野の七人』(1960年)。黒沢作品では、ほかにも『用心棒』を翻案した『荒野の用心棒』が世界にマカロニ・ウエスタンブームを広げ、『隠し砦の三悪人』に登場する農民コンビは『スター・ウォーズ』の二体のロボットに翻案され、『羅生門』はフェリーニの『道』、ベルイマンの『処女の泉』に影響を与え、『乱』の合戦シーンなどはディカプリオ主演の『ギャング・オブ・ニューヨーク』に影響を与えた。このほか、『ゴジラ』は『ジュラシック・パーク』に影響を与え、東映の『宇宙刑事シリーズ』から『ロボコップ』が生まれた。さらに日本製アニメの影響を受けた『マトリックス』、日本製ゲームが原作の『バイオハザード』、『子連れ狼』の影響を受けて創られた『ロード・トゥ・パーディション』、『ザ・リング』のハリウッドリメイク版などがある。

●内藤湖南(1866〜1934)

東洋史学者。大阪朝日新聞などの記者を経て京都帝国大学教授。シナ学の発展に貢献。日本文化については、1921年「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前の事は外国の歴史と同じくらいにしか感じられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だといっていいのであります」と講演。つまり、応仁の乱から織田信長・豊臣秀吉にいたる120年ぐらいの間に、古代からの流れはすべて絶たれ、今日の日本文化を支える新しい動きが出てきた。事実、能、狂言、生け花、茶の湯のどれもがこの時期に発生。詳細は著書『日本文化史研究』(講談社)に。

*白幡洋三郎氏著「知らなきゃ恥ずかしい日本文化」「花見と桜」をはじめ、書籍・雑誌・新聞等を参考に編集室まとめ


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