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若林 広幸・建築家;若林広幸建築研究所代表

2007.12.01
「守るもの変えるもの──精神文化の土台となる住まいづくりへ」

若林 広幸・建築家;若林広幸建築研究所代表

若林 広幸  わかばやし ひろゆき
建築家;若林広幸建築研究所代表
1949年京都市生まれ。1967年たち吉入社、たち吉のホームエージェンシーである京都デザインに編入社、商品開発、企画デザイナーとして活躍。1972年独立、インテリア設計事務所を自営しつつ我流で建築を学ぶ。1982年 若林広幸建築研究所設立。社会教育・研修施設/博覧会施設/レク・公園施設/老人福祉施設/病院/事務所/宿泊施設/商業施設/交通施設/総合福祉センター/集合住宅/個人住宅を手がける。主な作品に「老人ホーム・ライフ・イン京都」、「南海空港特急ラピート」(ブルーリボン賞)、「京阪宇治駅」(グッドデザイン賞)、「毎日新聞京都支局」、「PIER 624」(大阪市ハウジングデザイン賞;グッドデザイン賞)、その他京都府文化賞、日本文化フォーラム文化デザイン賞など多数。オール電化を必須とする「京の町家学生設計コンペ」審査委員長なども務める。


住宅は、家族の記憶を伝える器だ。建てた人の思い、暮らした人の記憶――。しかし今の時代、子供世代が皆、家を出ることも珍しくなく、住みつがれる家は減っている。また、かつては密接だった隣近所とのつながりも、希薄になっている。

失われたコミュニティを蘇らせたい――「京の町家学生設計コンペティション」で審査委員長兼監修を務めていたとき、多くの作品にそんな思いを感じた。建築を学ぶ学生たちが町家の新たなスタイルを提案するコンペだが、各戸のプライバシーを強固にせず、曖昧な中間領域を設けた作品が目立った。戦後失われた「向こう三軒両隣」のような暮らし方を、もう一度取り戻したい。若い人の間に、そんな思いが広がっている。

僕らが子供の頃は、まさに向こう三軒両隣の暮らし。ご近所づきあいは当たり前で、隣の家の夫婦喧嘩の声まで聞こえた。でも時代が進むにつれ、そうした生活に煩わしさを感じる人が増え、今はご近所の顔も知らないし、隣で事件が起きても気づかないような社会になっている。そして、こういう行き過ぎた状況になったことで、若い人たちが、今度は人間として不安を感じるようになっているのではないかと思う。町家コンペでコミュニティが重視されるのも、町家に住みたがる若い人が増えているのも、そうした不安感の表れのような気がする。

もうひとつ、若い人たちの作品を見て感じるのは、管理社会の窮屈さや、「曖昧なもの」の切り捨てへの反発だ。デジタル社会とはいえ、1と0だけの世界でなく、もっとファジーな部分があってもいいんじゃないか。実は1と0の間には無限に数字があるのに、現代社会はそこに目を向けようとしていない。

建築の世界でも、オートメーション化、均一化は進んでいる。例えば最近のガラスは昔のムラのある吹きガラスと異なり傷ひとつない。ほんの少し気泡が入っただけでもJIS規格不適合ということで、ロットごと廃棄処分される。安全性や性能に問題がなくても、基準に適合した「完璧なもの」以外は、すべて切り捨てられていく。

僕にとってはタイルにしても、工場の裏に二級品として捨てられているようなもの――焼きムラがあり、一つひとつ違っているもののほうが面白い。壁の仕上げも、最近はプラスターボード張りだから平滑だが、昔の漆喰壁はかすかにコテのムラがあり、それがえもいわれぬ揺らぎを醸し出していた。そういう職人の「手業」が感じられる時代のもの、手づくりゆえのホッとするあたたかみが、管理社会の中でどんどん排除されていることに対して、今の若い人たちは「何か違う」と肌で感じているのではないか。

だからこそ今、ブームといわれるほど町家見直しの気運が起きたり、景観条例が制定されたりしたわけだが、僕にいわせれば、少し手遅れの感がある。戦後、ビルが増え、町家や瓦屋根がなくなり、気がついたら取り返しのつかないところまで来てしまっている。

そもそも、今の木造住宅の防火構造は、木を腐らせる方向で基準ができていると言えなくもない。昔の町家は柱や梁が見える「真壁構造」だったが、日本人には戦時中の焼け野原の記憶や、大火のトラウマがあるから、柱が表に出ていると火に弱いといって、壁内部に隠す「大壁構造」の家が主流になった。だから中の柱が湿気で腐っても、シロアリ被害に遭っても分からず、気づいたときはもう末期症状。地震が来れば、ひとたまりもない。

僕らが子供の頃には、夏の初めに「衛生掃除」があり、町内どころか全市を挙げて、一斉に大掃除をした。畳を上げ、床を上げ、風を通す。そうすると柱が腐っているのもみつかり、ああエラいことやと大騒ぎになって、大工さんが入って直したり、継ぎ足したり、薬を撒いたり。そうやって手入れをしながら住むのが町家だった。今はそうしたことも行われていないから、ますます傷んでいく。

もちろん時代の流れのなかで、人が求めるものは変化する。僕も若い頃は、瓦屋根だけの町並みを古臭く感じたし、ビルが建つと新鮮だった。老舗の呉服屋さんも、競って近代的なビルを建てていた。コンクリートや鉄骨の大きなビルを建てたい、皆がそういう夢をもつ時代だった。

住まいに求められる要素も大きく変わってきた。戦後の経済復興の時代、都市への人口集中による住宅不足を解消するため生まれたのが、公団型2DKスタイル。限られたスペースを活用するため、また女性の社会進出といった時代背景も反映し、床の間や応接間、格式張った玄関など、古い生活様式にのっとったものは排除された。それがその後、住宅のある種のスタンダードとなっていく。床の間がある家でも、そこに四季折々の花や掛け軸を飾る習慣はなくなり、テレビ置き場と化していることも多い。

言い換えると、戦後我々が追い求めてきた「文化的な生活」とは、蛇口をひねればすぐお湯が出るとか、ダイニングテーブルで食事をするとか、いわば物質文化がもたらす便利さばかり。文化住宅、文化鍋、文化包丁……文化と名のつくものは、どれもそう。便利なものに囲まれて、ああ文化的な生活だと満足し、精神文化を疎かにしてきたように思う。

日本もかつては、優れた精神文化を持っていた。室町時代に日本を訪れた宣教師のフランシスコ・ザビエルは、日本人の精神性の高さに驚いたという。植民地化を免れたのも、大航海できるほどの船を持つ国に負けない、豊かな精神文化があったからだと言われる。逆に、滅び去った文明の多くは、物質文化が大きくなりすぎたのが原因とされる。

物質文化の極みへと向かう時代を経て、今、改めて日本の精神文化を培っていく時期に来ている。住まいにおいても、「快適さとは何か」を見直す必要がある。一時期「アメニティ」という言葉が流行語のように使われたが、隣の音が聞こえず、すきま風が入らず、外の天気に関係なく暖かい室内ということだけが「アメニティ」なのか。もっと心の豊かさを感じられる暮らし――床の間に軸を掛け、花を飾り、季節を愛でる心を取り戻す、そういう方向に向かいたい。

単に昔に戻そうという懐古趣味ではいけない。決して新しいものを否定しているわけではなく、バランスが大切だ。庭園ひとつとっても、絶対論の西洋では庭も左右対称だが、相対論の日本の庭は、一方の側に比重をかけていて、そのバランスが絶妙に美しい。それは例えば7:3。新しいものと古いものも、7:3でそれぞれのよさをうまく融合していく。これが逆だと懐古趣味になるが、そうではない。新しいもの、便利なもの、物理的快適性を7採り入れ、あとの3は精神的な快適性──心が豊かになる部分、自然を感じられる要素を採り入れる。そんな住まいづくりが重要ではないかと感じている。 ■


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