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園田 英弘・国際日本文化研究センター教授

2007.04.01
「この国の面白さ──固有のDNAを甦らせ、長い人生を楽しもう」

園田 英弘・国際日本文化研究センター教授

園田 英弘  そのだ ひでひろ
国際日本文化研究センター教授(日本社会史;比較社会学;歴史社会学)
1947年福岡県生まれ。京都大学教育学部卒、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。人間科学博士。京都大学人文科学研究所助手、国立民族学博物館助教授を経て、87年国際日本文化センター助教授、94年教授。総合研究大学院大学教授併任。著書「西洋化の構造―黒船・武士・国家」「『みやこ』という宇宙―都会・郊外・田舎」「忘年会」「逆欠如の日本生活文化―日本にあるものは世界にあるか」「世界一周の誕生」「幕末文化の研究"幕末海防と文明―共有世界の成立と展開"」「新・電気文明の展望」「流動化する日本の『文化』―グローバル時代の自己認識」、共著「都市のフォークロア」など。


http://www.nichibun.ac.jp/research/staff1/sonoda_hidehiro1.html

「団塊の世代」というのは、役所が政策を考えたり、企業がマーケティング戦略を練るときには重要なポイントだとしても、個人の生き方として、この世代特有の何かがあるわけではない。1947年〜49年生まれを狭義の団塊の世代と言い、私自身1947年生まれだがそもそも団塊の世代であることを意識して生きてきたわけではない。

むしろ戦後に幼少時代を過ごした者としては、「テレ前派」「テレ中派」「テレ後派」──テレビが登場する前か途中か後かという分類の方がしっくり来る。私自身は小学校の途中でテレビが家にやってきたのでラジオを捨てた。もう少し後の世代だと、テレビがあるのは当然で、加えてラジオも聴こうと、深夜族、ながら族が出現した。これは意識としてはすごく大きい違いだと思う。

高度経済成長が日本人の暮らしを変え、人々の意識を大きく変えた。私の子供時代の暖房は、江戸時代と同じで火鉢だった。手だけ、部分だけを暖めるわけで、部屋全体を暖めるという発想はなかった。電化機器の登場による一連の変化は非常に大きいが、それを体験したのは団塊の世代だけではない。

また、都市と田舎の違いも大きい。私が育った九州では高校1年の頃まで旧国鉄の蒸気機関車が走っていたが、同世代でも都会出身者はSLを見たことがないそうで、生活実感はかなり異なる。

だから団塊の世代といっても生き方はさまざまであり、2007年からのリタイア後に新しい人生が始まるというより、多分ドラマは既に始まっている。80年代に「分衆」という言葉が流行った頃から生き方は多様化し、それ以前の一億総中流みたいなことがなくなり、自然食品派もいればエステ派、癒し派もいるし、都会で働き続ける人もいれば田舎で農業を始める人も……と、社会も生き方も分節化した。一体幾通りの生き方があるかわからないのが、今の世の中だ。

もちろんそれは日本が豊かになったからではあるが、日本の団塊世代を語るとき、よく引き合いに出されるのが、アメリカのベビーブーマー。主に日本の団塊世代のあと、朝鮮戦争後に生まれ、黄金の60年代70年代を過ごして豊かさを体現した世代だ。親の世代は教会に行ったり、地区対抗のボウリングを楽しんだりしていたが、彼らは地域対抗戦ではなく、個人的にボウリングをする。ロバート・パットナムが『孤独なボウリング』という本で、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という概念を提唱し、豊かになったアメリカでは、社会的関係性を断ち切って生きていく傾向が見えると指摘した。

私はここ数年「逆欠如」──つまり西洋にあるものが日本にはない「欠如」という観点からでなく、出発点を日本に置き「日本にあるものは世界にあるか」と問う形で文化比較を行ってきた。その成果の1つとして昨年『忘年会』という本を上梓した。結論を言えば忘年会は中国にも韓国にも台湾にも、そしてアメリカにもある。しかしそれぞれ趣は異なり、アメリカの企業忘年会などは社長から招待状が届き、100%会社持ちで行われる。日本でも忘年会というと「企業忘年会」をイメージするが、遡れば600年前、室町貴族の「連歌の会」に端を発している。近年は企業忘年会よりも、むしろそうした趣味の集まりでの「納会型忘年会」や、家族や親しい人が集まる「年忘れ型忘年会」が増えている。

日本も社会が豊かになる過程では一時期、地域社会の繋がりを断ち切り、会社に依存する形が見られたが、その後はまた会社から距離を置くようになり、今は会社のつきあいが半分、それ以外が半分といったところ。だから退職したからといって、アメリカのように全く孤立することは少ない。但し、豊かな社会の特徴として、アメリカ同様、社会的凝縮力が少ない個別バラバラの選択をしてしまう傾向はあるようだ。

例えば、よく第2の人生として、それまでの関係性を断ち切って、東南アジアのリゾート地などで暮らすことが語られるが、1年ならともかく2年3年と、もつかどうか疑問に思う。知り合いの話では、1年目は冬がないのが嬉しかったが、次第に季節の変化がないことに、退屈で退屈で耐えられなくなるとも聞く。

日本ほど、季節変化に敏感な国民はいない。2月に暖かいと「温暖化だ」と騒ぎ、3月に少し寒くなると大騒動し、気象庁が桜の開花宣言を間違えたと謝る。こんな国がほかにあるだろうか。私はアメリカに2年、オーストラリアに1年住んだが、天気予報は天気予報。だけど日本では、それに梅が咲いたとか桜が何とか、梅雨がどうした、月見がどうした、と歳時記的世界がくっついている。

この面白さ。世界に歳時記がないことは、俳句がそのままHaikuとして英語になっていることからもわかるが、日本では和歌、俳句と続いてきた文芸史の伝統の中で季節の変化が重視され、その季節ごとの年中行事が生まれた。俳句を詠まない人も花見はするわけで、こういう人生をエンジョイするしかけは江戸時代に根づいていった。平和な時代が200年間続くなかで、いろんな形の年中行事から、「連」など今でいうクラブや、「講」というレクリエーションのための資金積み立て組合も考案され、喜びの種が至るところに蒔かれていた。暇にしないで生きる技術やノウハウが、日本文化のDNAの中にある。

それは日本の長い歴史が培ったものである。日本は世界でも珍しく民族移動がない国だ。トルコ民族は中央アジアから西へ流れて今の地に至ったし、現在の各国はそれぞれに民族移動をして、今に至っている。しかし、日本人の祖先は古代に各地から上陸したあとは何千年もこの島を動かず、じわじわと今の日本文化を創りあげてきた。そのため、文化固有のDNAは日本人一人ひとりの中に自然と蓄積されている。

ところが今、日本人は自分たちが持っているこの社会の面白さにあまりに鈍感になりすぎている。多分、日本人は外国に長く暮らすなどして、それを失ったときに初めてそれに気づく。戦後、高度経済成長の時は働くことだけが強調されたが、成熟社会になれば、江戸時代的生き方、つまりもともと日本人が持っていた、西洋に影響されるまでのパターンがいろんな形で見直されるのではないか。

だからふつうの日本人の生き方をまともに面白がる感受性をもっていれば、第2の人生などと肩肘張らなくても、結構この国は面白い。家族や友人と、季節を遊ぶ。既に自分の中に埋め込まれている文化的DNAを解きほぐしていけば人生は十分楽しめる、と私は思っている。 ■


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