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苅谷 剛彦・東京大学大学院教育学研究科教授

2007.02.15
「少子高齢時代──次の世代の育て方」

苅谷 剛彦・東京大学大学院教育学研究科教授

苅谷 剛彦  かりや たけひこ
東京大学大学院教育学研究科教授(教育社会学・比較社会学)
1955年東京都生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院教育学研究科修士課程修了、ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。社会学博士。同大学客員講師、放送教育開発センター助教授などを経て、現職。主な著書『いまこの国で大人になるということ』『教育の世紀』『学校って何だろう』『なぜ教育論争は不毛なのか』『階層化日本と教育危機』『教育改革の幻想』『大衆教育社会のゆくえ』、共著『欲ばり過ぎるニッポンの教育』『考えあう技術』『教えることの復権』『封印される不平等』『教育改革を評価する─犬山市教育委員会の挑戦』など。


ゆとりから学力へ、「教育」を巡り、揺り戻しのような現象が起きている。
僕の見ている感じだと、教育改革とか教育政策を論じるスピードがすごく速まっているが、それが決して良いことだとは思えない。この十数年の試行錯誤で多くの問題が出てきたが、一体どこに問題があり、どう変えたら良いか、データに基づく分析が欠けたまま、ある種、世の中の空気、世論に流されているような気がする。

90年代後半に教育問題を考えていた時と比べると、今は随分社会の状況が変わった。社会の変化と教育がどう結びついているか、そしてそれが少子高齢化とどう結びついているか──を考えると、社会の変化で大きいのが、雇用状況の変化に伴う「格差社会」。バブル崩壊後の長い景気低迷で、雇用を含め従来の日本的なしくみが壊れるなかで、「格差」という問題が出てきた。例えば、正社員を中心とした長期雇用のしくみが崩れ、フリーターや若年失業などの現象が現れ、安定した正社員と、30代半ばでも時給800円とかのフリーターとの格差が顕在化している。

それを少子高齢化との関係で言うと、若い人が家族を持って子育てができるのかという問題。フリーターが増えると、安定した家族の形成が難しく、少子化に拍車がかかる。

しかも格差社会が拡がってしまうと、どういう家庭に育つかで義務教育段階から子供の間で格差が生じてしまう。つまり昔の画一教育の時代と異なり、個性に応じて進路を選ぼうとなったとき、子育てのコスト、リスクが平等には分配されておらず、親の経済力や熱意、文化資本などによって違いが生じやすくなる。となると、子供を持つことのリスクは以前よりはるかに大きいし、子育ての過程で生じるリスクは学力や就職機会だけでなく、いじめや不登校など問題が多様化・複雑化している。

格差社会のなかで、経済的に家族を持てず少子化に結びつく現象と同時に、教育問題がクローズアップされることで、子育てにかかわるコスト、リスクから逃れようと子供を持たない選択をする人も出てくる。そして経済力や文化資本などの差で、一部の人しか質の高い教育、質の高い子育てができないとなると、全体として子供の質が低下する可能性がある。

だから少子化は、1つは「量」の問題として子供の数が言われるが、もう1つは「質」──どういう次世代が育成されるかという子供の質の問題でもある。少子高齢化のなかで、生産性を高め企業活力を維持し、生活の質を高めるには、人材の数だけでなく質が重要になる。まさに少子化時代は子供の質を高め、教育の質を高めないといけない。

ところが、数が減るだけでなく、質が低下してしまえば、これは相当ピンチだ。正規雇用を減らし、フリーターなど、低賃金で流動性の高い外部労働市場をつくったことは、短期的には企業にプラスだったが、中長期的には社会全体で質量両面での少子化問題を引き起こす。

そのような問題を前提に、どうすれば教育が良くなるかを考えたとき、いくつかのやるべきことがある。全体の質を高めること、安心感のある安定したシステムであること、しかもそれは格差を伴ってはいけないということ。少なくともその3つが、学校教育で取り組むべき重要な要件だ。

実は質を高める一番安上がりの方法は、義務教育で対処することだ。そのあと拡がった質の格差を縮めるより最初に格差が拡がらないようにしておく方が、当然コストは安い。だから公教育に人と金を投入し、全国どこで生まれ育っても、地元で安心して質の高い学校教育を受けられる社会を実現したい。

ところが現状は「欲ばり過ぎる教育」。あれもこれも採り入れて、言葉だけはすごく綺麗で、中央集権より分権化、画一教育より多様な個性ある教育の方がいいよね、と。確かにそう思うが、その実現にはやはり金がかかる。少人数学級にして、質の高い教師を雇わないといけない。そのときに、既に進行している教員定数や教育費を削減し、教育に「競争」を導入するような大きな改革が、果たして望ましいかどうか。

むしろ今、必要なのは、改革でなく、「カイゼン」。改革続きで教育現場には疲れも見えるなか、今の日本の公教育のキャパシティを見極め、達成可能なことを堅実にやる。そして必要な資源を再投入する。増やすべきは教育費。授業時間数を増やすなら「総合の時間」などのために月2回土曜日を復活させればいい。土曜日だから親が参加しやすいので、地域に根ざした教育をやる。

そろそろ欲ばり過ぎるのをやめて、キャパシティに見合ったことを行う。教育に信頼と安心を復活させ、地域に根ざして、地道にできることをやっていく。実際にいくつかの自治体では成功例も出ている。例えば犬山市では、「犬山市の子供は犬山市で育てる」という理念のもと、給食センターの外部化でコストを削減し、その費用で非常勤講師を雇って少人数授業を実践したり、教員向けの指導書の購入をやめる代わりに教師自ら副教本をつくる。同じ予算が姿を変えた途端に、先生たちのやる気が出たり、教育が充実する。これは改善の発想だ。

もちろんその間、文科省が、学級定数の変更や教員採用などを国でなく市町村でできるよう規制緩和──使い勝手がいいように「運用」の弾力化を行ったことも良かった。要は、地域自ら身の丈にあった改善を足元からしっかりやっていく。それが「欲ばり過ぎない」ということだ。

従来の教育をもう少しポジティブに見てもいい。今までの教育の良さを生かしながら、問題点を改善していく発想の方が良かったのに、あたかも根元的に悪い、時代遅れであるかのようにやってきた歪みが出ていて、その歪みを直そうと場当たり的な対応をすることがまた別の歪みを生み出している。

今は子供の数が少なくなり、豊かになったことで、子育ての要求水準が高まっている。そして要求水準が高いほど失敗の確率は増える。放っておいた時代には失敗かどうかもわからなかった。人間の発達とか人が育つということには、計算できない要素が多い。人間の成長メカニズム自体が複雑だし、友達や教師、学級の雰囲気などにも影響されるから、どんなに緻密にプログラムしても、そうはならない。むしろそこから漏れた部分が多いほど、人間の自ら成長させる力が発揮される。

受験戦争が激しかった僕らの世代は、当時、受験勉強は正答主義──正解が1つしかない世界を押しつけるから、そう思い込む人間をつくることになり、危険だと言われた。ところが当時は今より、もっとすき間があったから、テスト以外の世界では答が1つでないことくらい子供なりに知っていた。放っておかれる時間やプログラム化されていない要素が多ければ、子供なりに自分で考え、多様な答を獲得していく。だけど逆に、答が1つでないことを完璧に教えようとするほど、今度は教えてもらえる環境に依存するだけの子供をつくってしまう。

放っておかれることによる人間の成長力への信頼を前提にするのか、緻密にプログラム化して周到に準備するのか──子供の自己成長力は、ある程度放っておかれたからこそ育った。しかし社会が成熟すると、用意した方がいいと考え、だんだんいろんなことが増えてくる。これがポジティブ・リスト、足し算の発想。多様なものを計画化してあてがうと、「依存症」を増やすだけ。親はいいと思ってやっているが、子供が大人になっていくプロセスではむしろ自ら育つ力を失っているかもしれない。

少子高齢時代──学校でしかできないことを見極め、欲ばり過ぎることなく、教育「改善」を行うと同時に、子供自身の自己成長力を信じる社会でありたい。 ■


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