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柴田 昌三・京都大学大学院地球環境学堂フィールド科学教育研究センター 助教授

2006.04.01
「里山の春を愛でる──緑の生態系からのメッセージ」

柴田 昌三・京都大学大学院地球環境学堂フィールド科学教育研究センター 助教授

しばた しょうぞう
京都大学大学院地球環境学堂
    フィールド科学教育研究センター 助教授
1959年京都生まれ。京都大学農学部林学科卒、同大学院農学研究科修士課程修了、同博士後期課程修了。農学博士。京都大学助手、講師を経て、2002年同地球環境学堂・農学研究科附属演習林両任助教授、2003年同地球環境学堂地球親和技術学廊・フィールド科学教育研究センター里域生態系部門両任助教授。里山の生態と里山資源の再利用、緑化植物、タケ類の緑化・造園利用に関する研究などを行う。共著「地球環境学のすすめ」「ミティゲーション─自然環境の保全・復元技術」「ネコとタケ」「ランドスケープデザインと環境保全」、論文「滋賀県湖東地域における河辺林の変遷と林分構造」「タケ・ササ類の地被材料としての造園的利用に関する研究」など。


>>http://www.ges.kyoto-u.ac.jp/faculty_staff/shibata_shozo.html
>>http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/

地球温暖化が問題となり、人間たちは対策に苦慮しているが、実は緑の生態系、植物にとってはCO2濃度の上昇は好ましい変化だ。植物は、CO2と水に太陽エネルギーを加え、酸素と澱粉をつくる──つまり光合成を行っているから、CO2濃度の上昇は、光合成の原料が増えるということ。だから活動が活発化し、生長が早くなる。以前は大気中のCO2濃度は0.3%だったが、今は0.4%。植物にとっては効率のいい環境になっている。

ただ、CO2濃度だけ上がるならいいが、温暖化は気温上昇を伴う。となると、植物の「住める」地域がズレてくる。京都の気候に適していた植物が、温暖化によって仙台くらいでないと住めないようなことになる。動物は引越できるが、植物はできない。移動するには、次の世代の種に託すしかなく、地球本来の気候変動の中でなら分布域を変化させられたが、今はそんな悠長な話ではない。あまりに変化が激しすぎ、対応しきれない。つまり温暖化は、現世代の植物には好ましくても、将来的に種の保存ができなくなる怖れがあるし、当然それは人間の生活にも影響を及ぼす。

そんななかで近年、竹林の拡大が問題視されている。繁殖力の強い竹が周囲に地下茎を伸ばし、雑木林を竹林・竹藪に変え、生態系を乱していると。それを温暖化の影響と言う人もいるが、僕は違うと思っている。CO2濃度が高まって生長しやすくなったのは竹だけでなく、他の植物も同じ。だから竹林の拡大と温暖化は関係ないと思う。原因は、人間が緑を管理しなくなったことにある。

京都議定書以降、緑と言えばCO2固定「量」ばかり注目されているが、もっと緑の「質」についても考えた方がいい。もちろん「量」の問題もそう簡単ではない。世の中の人は、木がどんどんCO2を固定してくれると思っているが、木にも限界がある。活発にCO2を固定するのは、生長過程にある若い木だけ。何十年、何百年も経った森林は、CO2の固定量と自らが放出する量は、ほぼ±0。だから固定量を増やすには、木が新たに生長できるようにする必要がある。

例えば、間伐をして木材としてCO2をストックする。木材は炭素の塊だから、燃やすとCO2が出てしまうが、木造住宅としてCO2を固定化する。木の需要が増えれば、伐採後に植林も進み、固定量が増える。森林をきちんと維持管理し景観的にも整備するという「質」の部分と、CO2固定「量」は、実は深い関係があるわけだ。

僕らはそれを怠ってきた。例えば「里山」──雑木林があって、田圃や畑、溜め池もあるという里山は、ある年齢以上の人には、まさに原風景。子供の頃に遊んだ場所、ピクニックや土筆摘みに行った場所だった。その里山が今は、鬱蒼とした藪になり、見るからに怪我をしそうで、誰も入りたがらない場所になってしまった。

なぜそうなったかと言うと、里山が管理されなくなったから。昔はきちんと間伐や枝打ちをしていたが、今は荒れ放題のブッシュ。バリアを張り巡らせたような威圧感がある。民家の近くにあるにも拘らず、心理的には遠い存在となり、ますます放置されるという悪循環。僕らにすれば足を踏み入れたくないような里山が、今の子供たちにとっての自然であり、原風景になりつつある。

これを僕らの世代が「ヤバイ」と思えるかどうかが大事。それはそれで仕方がない、というなら放っておけばいいが、かつての原風景を知るおじさん・おばさんとしては、ヤバイと思いたい。

仮に100年、200年放っておく覚悟があれば、里山は原生林らしい風景に戻る。だけど100%は戻らない。なぜなら、長く人間が関与するなかで、要らないものは消えてしまった。生活に役立たない植物は、毎年毎年、芽を出しては刈られたから、種自体が消滅してしまった。だから「原生林もどき」。人間が手を加える以前の、縄文の原生林には戻らない。

それに現実には10年も放っておけない。放置すればますます荒れ、犯罪の温床になりかねず、潰されてしまう。現にそういう形で小さな里山は今もどんどん消えている。

そんな可哀想な扱いを受けなくても、あまり小面積で残されたら、植生は貧相になっていく。仮に大雪で何かの種が消えても、近くに同じような場所があれば、種が風で飛んできたり、鳥が来たりして補充できるが、何もなければ補充できず、生物多様性は失われ、貧相になる一方だ。

日本は国土の7割が森林で、確かに原生林的な豊かさは、まだ維持されている。人間が関与しない原生林は、彼らなりのサイクルでゆったりと回っている。しかし豊かな原生林は僅か2〜3割。里山も同じくらいで、あとは人工林。人間が関与する森は、決して豊かとは言い難い。

人工林の場合、昭和30年代に「拡大造林期」があった。当時は丸太材の価格が今の約3倍。それでも売れたから、伐れる木は全部伐り、どんどん植林を進めた。ところが1960年に丸太材の輸入が自由化され、外材に押されて日本の林業は一気に衰退。当時、植えた木が今、伐採期を迎えているが、伐採にかかる人件費の方が木材価格より高く、伐れば伐るほど赤字になるから、人工林の大半が、ここ10年ほど放置されている。

つまり日本の森は人工林も里山も、放置したための荒廃。一方、東南アジアなど開発途上国の森は、ペンペン草も生えないほど使い尽くされたことによる荒廃。同じ「荒廃」でも、中身は180度違う。使おうと思えば資源の宝庫なのに放置して荒廃させ、なおかつ途上国に木を買いに行く。それが日本の現実だ。

里山の雑木林が放置されるようになったのは、薪が使われなくなった1960年頃だが、竹林は筍が採れたから、もう少しの間、人の手で管理されていた。ところが90年代に、安価な水煮タケノコが中国から輸入されるようになり、ついに竹林も放置された。竹が暴れ出したのは、それ以降だ。

確かに竹は繁殖力が強いが、昔は少なくとも年に1度くらいは自分の山に入り、竹が侵入してきていたら伐っていた。今は5年も10年も放置して、久しぶりに行ったら自分の山が竹林になっていた、などと怒っている人がいるが、僕はそういう人に「自分の土地を5年も放っておくな!」と言いたい。

竹だけが急にパワーアップしたわけではなく、里山全体の問題の一つとして竹林の拡大を捉えるべき。原因は温暖化だと安直に結びつけるのではなく、自然環境も社会環境も含め、里山や農村を取り巻く環境がすべて変質したことに目を向けたい。かつてそこで成立していた生活や文化的側面も含めた環境が立ち行かなくなっているわけで、新しい仕組みが必要になっている。

薪を使う文化がなくなったなら、今度は薪でなく、木質バイオマス資源として使う方策を考えればいい。竹林が拡大しているなら、もっとそれを有効に使う。裏山に自生する竹をチップにして前の田圃に鍬込めば、ほとんどCO2を出さない形で、強いイネを育てられる。「地産地消」的に、村単位、集落単位の小さいサイクルで、自然資源の利用を考えれば、里山を取り戻すこともできる。

日本の里山には、竹をはじめ豊かな資源がある。これを放っておくのは、「もったいない」。竹が暴れるなら、山に入って筍を掘ってくればいい。里山の春の味覚、今が旬の筍を食し、緑を愛で、失われつつある原風景を取り戻すべく、動くことがまず大事ではないだろうか。■


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