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内田 樹・神戸女学院大学教授

2005.12.15
「学び・再構築──未来に向けて変化を続ける」

内田 樹・神戸女学院大学教授

内田 樹  うちだ たつる
神戸女学院大学文学部総合文化学科教授(フランス現代思想、映画論、武道論)
1950年東京都生まれ。東京大学文学部卒、東京都立大学大学院人文科学研究科仏文学専攻博士課程中退。東京都立大学助手、神戸女学院大学助教授を経て、教授。著書「知に働けば蔵が建つ」「先生はえらい」「他者と死者」「死と身体」「街場の現代思想」「子どもは判ってくれない」「ためらいの倫理学」「『おじさん』的思考」「寝ながら学べる構造主義」「レヴィナスと愛の現象学」、共著「健全な肉体に狂気は宿る」「14歳の子を持つ親たちへ」「身体の言い分」「大人は愉しい─メル友おじさん交換日記」など。合気道6段。


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「学ぶ」とはどういうことか。
今、学校教育の場で行われていることは、本来の意味の「学び」ではない。わかりやすい比喩で言えば、「雑学」と「教養」は違う。「雑学」は二次元平面上に情報や知識をただ並べた状態で、言わば「無時間モデル」。一問一答形式の早押しクイズが基本的な形態だ。「教養」は「時間モデル」。時間の中で、学ぶ主体が、学ぶプロセスに身を投じることによって、学び始めた状態と、学びつつある状態と、学び終えた状態で、「別人」になっているのが、学びの基本的なあり方であって、そういう学び方を知っているのが教養人。学び方を知らず、自分自身の幼児的なフレームに留まったまま、ただ量的に知識やスキルが拡大している人間は、雑学者であって教養人とは言わない。

学びつつある主体は1秒ごとに変化する。ところが、キャリアデザインを言う人は、人生を、双六の盤面を駒が進む人生ゲームのようなビジュアルイメージで捉えがち。駒が動くから時間モデルみたいに思うが、これは無時間モデル。なぜなら、駒としての自分は変化しない。さまざまなキャリアを付加価値としてつけ、空間移動をしているだけ。主体が変わらないなら時間は動いていない。

今一番の問題は、新たな社会関係、新たな知識や技術や情報、新たな人との出会いを経て、自分が1秒1秒、1日1日別人になっていくという、当たり前のことをわからず、むしろ逆に、変化したくないという、極めて強い固着が働いていること。メディアも、変化するな、と強く子供たちにアピールしている。

例えば「自分探し」。これは極めて反教育的なスローガンだ。自分の中にピュアな自分があって、欲望や未制御の感情を剥き出しにすることが自分らしくあることだと思い、ちょっと不快なことは拒否したり、好きなことだけやってしまう。自分らしさにこだわるから、社会性を失い、新しいことを学ばず、進歩が止まる。実際、見た目は大人でも、精神年齢が10歳くらいで止まっている人が大勢いる。自分らしさを探求してきた一つの帰結が、これだろう。

とにかく自分らしさを探求し、自己実現したい人が増えてきて、その結果起きたのが、「学びからの逃走」。自分の矮小な価値観に基づく自己主張を奨励したから、小学校に入ってひらがなや算数を習う段になって、「何の役に立つの?」「意味があるの?」と。今の子供は自分自身の価値観に照らし、意味があればやるが、ないなら拒否する。結果、公立高校でABCが読めない子供がいる。そのまま、うっかりすると大学まで行く。それくらい学力は落ちている。

なぜそうなったかと言うと、社会関係の変化。子供は社会関係の中でアイデンティティを確立していくが、昔の子供は皿洗いや靴磨きといった家庭内労働を分担することで家族の承認を獲得し家庭内の地位を上げていった。つまり昔の子供は「労働主体」として初めて主体性の基礎づけを行った。ところが最近の子供は違う。少子化の現在、6ポケット──両親と双方の祖父母から小遣いを貰い、4歳5歳で何万円とか持ってコンビニに行く。コンビニは5歳の子供でも50歳の紳士でも1万円は1万円。坊やダメだよ、そんなお金持って、とは言わない。マニュアルどおり機械的に対応するから、子供はお金を使う全能感、つまり「消費主体」として社会関係にコミットする快適さと全能性を、幼い段階で刷り込まれてしまう。

消費主体として人格形成した人、通貨に対し等価サービスが得られると刷り込まれた人にとって、学校教育の場で行われるのは、価値も意味もわからない不当な取引であり、切り捨てることに何の逡巡もない。それが諏訪哲二さんの言う『オレ様化する子どもたち』。親たちも、経済合理性、商取引のタームで、頑張るといいことあるよ、金が入るよ、と子供を誘導する。これは「学ぶ」ということの構造的な瓦解だ。

学校教育、家庭教育では、経済合理性に基づいて努力に対するリターンを語ってはいけない。大事なことは、「うるさい黙れ、いいからやるんだ」と。学ぶということは、等価交換や商取引ではない。もっと非対称的で、不条理な経験だ。学ぶというのは、その不条理な経験、見えない未来に身を投じ、自分が今やっていることの価値や意味を、行為を通じて1秒1秒発見していく。出発点において意味はわからない。学ぶことを通じて意味として立ち上がってくる。そのダイナミックな運動プロセスに身を投じることが、学ぶということだ。

明治の人はそれをした。5歳くらいで『論語』や『大学』を読んでもわからない。でも、いいから読めと。そこで子供は、子供と大人のロジックは違っていて、自分たちには理解できないロジックで世の中は動いているらしい。これを一生懸命やっていると、わかるらしいと、学びのプロセスに身を投じる。それができるとあとは自学自習。大人は、最初に殻だけバリッと破ってやればいい。

わからないけどやってみる──グレーゾーンの中を手探りで歩むことが大事だ。わからないけど、こっちへ行きたい気分とか。学ぶプロセスは何かに引っ張られていく。キャリアデザインは、下から煉瓦を積むように、今の自分の上にキャリアを積み重ねていくが、成功した人の話を聞くと、何かの弾みである方向に行っている。何かに引かれて、「会うべき時に会うべき場所で会うべき人に」会っている。これは結局、「ただの偶然」。「未来の自分」が当時を思い返して、まるでリールが糸を巻き取るように、ドンぴしゃで出会ったと事後的に思う。出会いは自分で計画してもできない。だから自我のスキームを固定的に持ち、全て計画どおりに未来を構築していく人には、出会いは起こらない。

人生は微妙な入力の差で変化する。喋っているうちに、途中で考えが変わったり、新しい入力があるたびに自分のシステムが組み変わって出力が変わる。既知でなく未知。「時間の未知性」に敬意を表し、自分の未来を開放し、時間の中を転がっていくことが、学ぶこと、考えることだ。

停止している人とダイナミックな運動状態にある人。子供と大人で言えば、自分が自分であることにアイデンティティを持つのが子供で、自分が自分でなくなる変わり方にアイデンティティを感じるのが大人。子供と大人にはそういう次元の差異があったのに、今、次元の違う大人がいなくなった。

それは1970年から。1970年というのは、1912年・明治45年生まれの人が58歳で、明治生まれの人が社会の第一線から消えた年。僕らが子供の時は明治の人ばかりだった。小学校の校長先生は19世紀末に生まれ、誕生当時に日清戦争、続いて日露戦争があり、世界大恐慌、世界大戦を経験し、戦後、小学校の校長という、激動の人生。その都度最適な生存戦略に基づいて生き延びることを考えてきたわけだから、定型的な自己、自分探しなんて一回もない。

その人たちがいなくなり、戦後60年、外交も経済も安定し、何も起こらずここまできた。こんな国は先進国で日本しかない。民族・人口・環境・経済など、どの国もリスクを抱え、みんな一生懸命生き延びる道を探しているなかで、今日の続きに明日があることを前提にした徹底的に平和な国で、地殻変動が起きたとき生き延びられるのはどのような個体かという切実な問いはなくなり、学びを失い、自分探しという寝ぼけたことが出てきた。これが平和の代償だ。

日本から明治が消えたことが、この状況を招いた。みんな明治は遠いと言うが、戦後日本の骨格をつくったのは、明治10年とか20年代生まれの『坊ちゃん』世代の人々。明治晩年生まれは終戦当時まだ30過ぎのひよっこ。その後、彼らが働き盛りの頃、日本は一番輝いていた。僕の理想は1958年。明治がまだ強固に残り、戦後の新しいものが現れ、混在していた、すごくワイルドで明るい時代。そういう時代を経て、明治は1970年代に消えてしまった。

今の状況を何とかする簡単な処方箋は存在しない。30年ほどかけてこうなったから、改めるには30年ほどかかる。ただ僕は、日本の伝統精神はまだ熾火のように残っていて、ふっと吹けば蘇るかなと。もう30年経って、僕みたいな明治の人に育てられた人間がいなくなると、完全に消える。だから最後のチャンス。前世代の文化を次の世代に繋ぐのは、僕らの世代にかかっている。■


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