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佐伯 順子・同志社大学大学院社会学研究科教授

2005.09.15
「微妙さ・小ささにこだわる──文化史に見る『日本人の心』と関西」

佐伯 順子・同志社大学大学院社会学研究科教授

さえき じゅんこ
同志社大学大学院社会学研究科教授(日本文化史;比較文学;比較文化)
1961年東京都生まれ。学習院大学文学部史学科卒、東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程修了。学術博士。帝塚山学院大学専任講師、助教授を経て、教授。のち同志社大学教授。男女関係の比較文化、日本の近代化の文化史など研究。著書『遊女の文化史』『「色」と「愛」の比較文化史』『恋愛の起源』『泉鏡花』、共著『美女の図像学』、編著『一葉語録』など。祖母は観世流の能楽師で幼い頃から能に親しむ。カブキ・ロックバンドの一員として能管を吹いていたほか、謡、仕舞にも堪能。



情念を凝縮する──先日、滞日中のタイと韓国の女性研究者と一緒に、京都で能『船弁慶』を観た。能は、感情をあからさまに表現するのではなく、情念を凝縮し、様式化された抑えた演技で表現する。外国人に説明していて、やはりこれは日本文化ならではの特徴だということを改めて実感した。

ダイレクトな自己表現を避けるのは、能に限らず、日本文化に共通する特徴だ。田楽など庶民の芸能では踊りながら感情を発散させることもあるが、万葉集や王朝貴族の和歌などのように三十一文字に感情を凝集し、言わない部分を読み取ってもらう文化は、貴族や武家などある程度の知識人層には顕著だ。

日本人には口に出さないのが美学みたいな面がある。あうんの呼吸というか、気配を察することに日本人の美意識があり、口数が多いと、かえって中身がないと、軽んじられてしまう。一方、韓国人はどんどん言葉に出して自己表現する。感情をため込んで氷山の一角だけを表現するのが日本だとすれば、氷山の下まで全部ぶっちゃけて議論するのが韓国文化の特徴だ。韓国人にすれば、言わなくてもわかってもらうなんて傲慢。そんなに他人に期待してどうするんだ、と。同じアジアでも日本とは随分違う。

なぜそうなのかを考えたとき、思い当たるのは食文化の違い。韓国は欧米と同様、肉食中心で、狩猟とか肉食は、あからさまな攻撃性がないと成り立たない。穀物中心の農耕民族である日本人は、他者を攻撃するより、むしろ我慢して、じっくり育むメンタリティが文化の中核にあるのではないか。

私は日本的な節度は大事だと思っている。だが、それが度を超すと国際社会では理解してもらえないので、伝統的な価値の良さを認識しつつも必要に応じて自己主張することができればいい。そのバランスを模索しているのが現状だろう。

伝統的な日本人の心で、とりわけ私が大事にしたいのは、微妙な違いがわかる点。小さいもの、儚いもの、ひそやかなもの、かそけきものが持つ美しさに目を留める感受性。虫の音とかちょっとした季節の移り変わりを感じ取る心だ。

韓国や中国では建物はドーンと大きく、色彩はストレートで強烈。6月に久々に韓国へ行き、つくづく思いおこされたのは、20年ほど前に李御寧氏が書かれた『「縮み」志向の日本人』──確かに韓国人から見れば、日本文化は「縮み志向」に見えるな、と。建物ひとつとっても、日本では大きければ良いわけではない。お茶室のように、小さい空間の中に無限の可能性を見る美意識がある。

だから、都心の超高層ビルのように大きく高くという発想ではなく、小さい空間の中にある豊かさを追求する街づくりがあっていい。大きくて高いものをつくることで壊されてしまう文化がある。むしろ小さい空間から発信していく発想が大事であり、関西にはそれができる可能性がある。

京都に引っ越して感じたのは、京都は小さい街。少し行くだけで東山や北山に突きあたり、周り全部を見渡せてしまうくらい小さい。そして都会のすぐそばに田舎がある。店には京野菜が並んでいるし、衣食住の面で地域に密着したものが残っている。コンパクトなのはメリットだ。

地域固有の文化の存在は幅の広い感性につながる。言葉にしても、標準語は、日本人の感情の平均値を掬い上げるような表現。でも、大阪弁、京都弁など、土地の言葉は、感情の微妙な部分を掬い上げられるわけで、表現の幅が広いと言える。能も人形浄瑠璃ももともと上方が発祥だったわけだから、人間の感情の機微を掬い上げることについて関西は豊かな歴史的伝統を持っている。

そして遊び心。古典芸能の中でも狂言は笑いが身上。なのに東京の狂言は、やけに生真面目で、お堅い伝統芸能を担っているという意識が出すぎている。笑われるということはみんなに好かれていることでもあり、東京の気取った狂言には違和感を覚える。文化はもともと遊びであり、しかも地域に根づいたもの。関西には、他人様に喜んでいただいてなんぼ、というサービス精神と遊び心のある点がいい。

ただ、最近気になっているのは、微妙なものの良さをわかる世代が少なくなり、何ごとも大ざっぱで極端になっていること。例えば、私の研究分野で日本人の恋愛観の変遷を見ると、若い人の恋愛観は非常にあからさまな世界になっている。そんな若者にとって人情の機微を表現する伝統芸能は「わかる人にはわかる」というマニアックな世界になりつつある。このままでは若い世代が日本文化の良さを継承していくのは難しいし、危機意識を持たないといけない。

身近な食の分野でも、関西では街の普通の居酒屋などで、微妙なダシの味を楽しめたが、チェーン店の居酒屋やファストフードが広がって、全国どこも同じ味になり、若い人はそれが当たり前だと思っている。もっと家庭で郷土料理などを伝えていくことも大事だし、地域での結びつきを通してその土地の固有の文化に接する機会を増やしていくことが大事だろう。

文化の固有性を考えたとき、東京は大きすぎて、周辺地域の文化の固有性はほとんどないに等しい。千葉県や埼玉県民であっても、意識は東京都民。逆に関西は狭いエリアに多種多様な異なる文化がある。大阪、京都、神戸はもちろん、奈良も滋賀も和歌山もみんな違う。これはとても贅沢なことだ。

いま少子高齢化で人口減少社会が懸念されている。税収など経済的な面を考えると問題だとは思うが、文化的には「ちょうどいいサイズ」があると思う。

京都の町家の小さなレストラン、水の都・大阪のリバーサイドのカフェなど雰囲気の良い店でゆっくりくつろげるのは、東京に比べて人口の少ない関西ならでは。東京ならそうはいかない。ちょっと気の利いた店があれば、いつも混んでいて予約を取るのが大変で、値段も高い。挙げ句に、粗製濫造になって味も落ちてしまう。東京の人は、ちょっとかわいそうだ。

人が多すぎない豊かさ、小さいからこその居心地の良さ──道頓堀など、通りの幅も狭く距離も短く、東京の銀座通りなどに比べれば規模が小さいが、その小ささが持っている居心地の良さを意識的に汲み上げていかないと、東京も大阪も似たような街並みが広がっているだけで、外国人も全然魅力を感じない街になってしまう。東京と違う文化を生かすなら、例えば、近代的な大劇場をつくるのではなく小さい芝居小屋を維持・保存した方がいい。東京の歌舞伎座は大きすぎて3階席から見ると役者は豆粒。人が集まりすぎると舞台が遠くなる。京都の南座や大阪の松竹座なら、規模が小さいから一番上の席でもそこそこ見られる。気づきにくいかもしれないが、実はとても贅沢な環境が関西にある。

大きさばかりを追求するのではなく、もっと小ささ、微妙さにこだわり、コンパクトでいいから質の高いものを心がける──それが文化首都をめざす関西のとるべき道ではないかと思っている。■


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