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阪本 順治・映画監督

2005.08.15
「始まりは大阪、映画の風土と日本人の心」

阪本 順治・映画監督

さかもと じゅんじ  映画監督
1958年大阪府堺市生まれ。横浜国立大学教育学部中退。助監督を経て、89年元ボクサー・赤井英和主演の『どついたるねん』で監督デビュー、各種映画賞の監督新人賞を独占。2000年藤山直美主演『顔』で国内の映画賞を総ナメにした。02年金大中拉致事件を描いた日韓合作の政治サスペンス『KT』を監督、ベルリン国際映画祭に出品。他の作品『王手』『ビリケン』『新・仁義なき戦い』『ぼくんち』(いずれも舞台は大阪、関西)、『鉄拳』『トカレフ』『ボクサー・ジョー』『愚か者―傷だらけの天使』『この世の外へ クラブ進駐軍』など。著書『孤立、無援』。2005年夏『亡国のイージス』全国ロードショー中。


『亡国のイージス』>>

日本で最初の映画興行地は大阪という説がある。エジソンから直接買い取ったという説もあるし、フランスから映写機ごと大阪湾に上陸させ、千日前あたりで上映したという話もあり、映画という娯楽の発祥地の1つだと言えるだろう。

僕が監督として映画を演出するうえで、何がOK、何がNGかを考えると、無意識のうちに自分の生まれ育った関西人の気質みたいなものが出ていると思う。

大阪の特徴は、要は大阪弁、関西弁という言葉の文化だ。まっすぐ言えばいいことをユーモアを含んで遠回しに言ってみたり、言葉そのものより、語尾のニュアンスが人間味とか人間臭さを現す。気質で言うと、自己主張が激しく、世話好きとおせっかいのスレスレ。感情のぶつかり合いが映画の魅力であるなら、喜怒哀楽をストレートに出す大阪人を描けばいい。殴り合い、汚い言葉が飛び交っても、逆にそれがあったからこそ人と人が近寄れたというか、悲惨な終わり方にならない。どんなジャンルの映画を撮っても、俺の基本は吉本かよ、松竹新喜劇かよ、と思うほど刷り込まれているものがある。

大阪は娯楽の街。そして大阪人は自分の家でメシ食わんのかというくらい、外食文化が盛んで、外食も娯楽の1つ。実は映画づくりは食文化と似ていて、良い材料があり、それを調理する技量が要り、温かいものをどうやって温かいまま届けるかとか、どういう器にどう盛りつけるかとか──それぞれのプロセスを映画に置き換えることができる。大阪は食の街だからこそ味覚に厳しく、値段に厳しく、娯楽の街だからこそ娯楽映画には非常に厳しいが、一方で街自体が多様なものを包み込む温かさもある。映画の撮影に行っても、ワーッと寄ってきたり、なんとかしたるわ、というおせっかいスレスレが多い。

僕の映画は大阪を舞台にしたものが多いが、大阪人だから大阪で映画を撮ってきたわけではなく、企画が場所を選ぶ。例えば赤井英和君とやる場合、東京が舞台だと彼が浮く面白さはあるかもしれないが、彼の土着性を生かそうとすれば自然と大阪になる。どこを舞台にするにしろ、全国の日本人に伝えたいことがあって、映画をつくっている。

これまで僕が演出したり監督したりするものは、個人を描くことが多かった。自分は自分、社会は社会と、パーソナルなものとパブリックなものを分けて考えがちだった。もちろん個人の想いだけを突き詰めることで面白い表現はできるし、日本人は割とそれが得意だったりする。しかし「個」は常に「公」にコミットしている。自分らしさは「公」とつながっている。それは大阪人とか関西人ということを超えて、日本で生まれ育った以上、必ず日本社会とコミットしているということ。自分は何者か、どうなろうとしているのか──映画なりモノをつくって提供する仕事をしている以上、自分が日本人であること、この国で生まれたことを押さえておかないといけないと思う。

僕自身、藤山直美さん主演の『顔』という映画を撮る時、公とのコミットを意識した。それまでずっと個人の生活圏を丁寧に歩くような映画が多かった。『顔』も妹を殺して逃げる逃亡劇だけど、じゃあどの時代に設定しようかと考えた時、阪神大震災とサリンの年にした。そういう時代背景の中で彼女は逃げているんだと。また『KT』という日韓で撮った映画でも考えた。国際映画祭などに呼ばれて行くと、ヨーロッパの人たちはアジアや日本の歴史なんて、ほとんど知らない。だってイギリスが真ん中にある世界地図では、日本はものすごく隅っこの国でしかなく、ほとんどの人が関心なんて持っていない。でも、それも当然。自分が「日本人はこういう民族です」とちゃんと言えないのに、外国の人にわかるはずがない。

だから映画が少しでも他の国を知るツールになればいい。その国の生活様式や文化をわかるには、その国の映画を何本か見ればいい。その意味で、僕が一番嫌いな言葉は「映画は世界の共通語」。人は自分と違う部分に興味を持つわけで、いかに共通でない部分を見せるかが、映画の使命ではないのか。韓流ブームだって、昔の日本のテレビドラマに似ているとか言われるが、似ていない。彼女のこのセリフのあとに彼のこのセリフはないだろう、というのがたくさんある。やっぱりあれは、違いが面白い。

そういうなかで、僕が大事にしたい日本人の心──それは、ネガティブに捉えられがちだけど、引っ込み思案で人のことを気にしてばかりいる点。商売的には押しが弱いとか、アピールがヘタだとか言われるけど、それでいい。恥じることを知っているのはいいことだ。どの国に行っても、まじめに働いていない人が多い。だけど日本は違う。約束したことは守らないと恥になるというような、日本人の心、気質が、戦後60年の日本の経済基盤をつくってきた。

それがバブルで価値基準が狂い、泡が弾けた時にやり直せばよかったのに、なんとかなるというか、なんとかしてくれるという感じで続いてきた。でも、日本全体が疲弊している今は、逆にチャンスだと思う。世の中が混沌として、悲観的な時の方が、ものづくりは元気になる。とりわけ映画はアウトサイドが似合う。映画館で金を払って、幸せなホームドラマなんて見たくない。表は仲良く見えても、中に入ればドロドロとか。映画の真骨頂は、人間の清濁の濁であったり、ダメな部分、弱い部分を見せることにある。

それに斜陽と言われ続けた映画がチャンスということは、映画以外の業種、みんなにチャンスがある。東大阪の人たちが「人工衛星・まいど1号を打ち上げるぞ」と意気込んでいるように、発想を転換して、自分の居場所をアピールすればいい。

自分がどういう生まれ育ちかを自問自答することで、自分の居場所がわかってくる。日本人であるとはどういうことかを考える。今のご時世で国や政治にモノを言うとき、「有権者として」ではなく、「自分の中に公がある」という意識で発言すべきだと思っている。

それは今回『亡国のイージス』を撮りながらも考えた。この映画は、自分たちの国とか日本というものを自分を含めて見つめ直すべきだと思ってつくった。最初の作業は、やっぱり自分に突きつけること。普段考えているようで考えていない、自分の根っこ探しを行って、初めて演出する言葉が出てくる。

ただ映画づくりでは、海外に向けて「これが日本人だ」と描こうとすると多分失敗する。むしろ自分はこの状況のこの国で暮らしているという「日常」を大事にする。普段の自分のアンテナの張り方というか、世間観察。監督業をやっていると、どこに行っても、つい面白い人を探すクセがつく。だから僕はできるだけ電車やバスに乗るようにしている。そうやって刷り込まれたことが自然に映画をつくる時に出てくる。自分が日本人であることがどこかに出るはず。

『亡国のイージス』もハリウッドでつくると、勧善懲悪モノになりそうだが、悲しい時に悲しい表情をさせ、悲しい音楽を流すのは、日本人にはちょっと恥ずかしい。人間は一面じゃない。ステレオタイプにしちゃいけない。言葉とは裏腹の感情がある。額面どおりでないところが日本人の面白さ。この映画には多様な人物が登場し、それぞれ自分とコミットするこだわりがないと演出なんてできない。1人の主人公に自分を重ねて演出する作品に比べると、今回は思想がいくつあっても足りないくらい引き裂かれている感じが顕著だったが、どの役にも思い入れがある。そして、日本人はこうあるべきということも、映画の中で多くのキャラクターが語っている。僕としては、自分が日本人だということを考えずにきた人は、これを機に考えてほしいと願っている。■


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