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土井 善晴・料理研究家

2005.08.01
「四季を楽しむ料理と日本人の心」

土井 善晴・料理研究家

どい よしはる
料理研究家;フードプロデューサー;おいしいもの研究所代表
1957年大阪生まれ。芦屋大学教育産業科卒。スイス、フランスでフランス料理を学んだのち、日本料理の老舗大阪の「味吉兆」で日本料理を修業、92年おいしいもの研究所を設立し、独立。テレビ朝日系「おかずのクッキング」、朝日放送「食べて元気! ほらね」などのレギュラー出演ほか、各料理雑誌で家庭料理を指導。丹波篠山「特産館ささやま」はじめレストラン開発、商品開発、講義、講演会なども行う。著書「日本の家庭料理独習書」「土井家の『一生もん』2品献立」「四季の魚料理」「野菜党宣言」「土井善晴おかずクッキング」など。料理研究家・土井勝氏の次男。


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日本文化はすべて自然なり四季が背景にある。こまやかな季節の移ろいを感じながら、自然とともに生活を営んできた。旬を食べたいとみんなが思うのも、豊かな自然があってこそ。日本の料理文化は、自然と一体になって季節を楽しむものだ。

季節の楽しみ方には「はしり」「旬」「名残」がある。「はしり」は出始め。非常に高価で、初鰹に代表されるように「初物を食べると75日長生きする」とか、粋であり贅沢であることの象徴だ。季節を先取りして、もうすぐ来る季節を待ち焦がれる喜びがある。「名残」は今年最後の食べ納め、季節の終わりを愛おしむ。

そして「旬」。野菜にしても魚にしても最もおいしいのがこの時期だ。 「春は芽のもの」。七草の時分、2月を過ぎる頃に地面の下から春がやってくる。山菜や筍、天に向かって伸びる勢いがあるものをいただく。わらびなんて、ピクニックの行きがけにはちょっとしか芽を出していなくても、帰り道では15cmくらいになってるほど、みるみる伸びる。「夏は水のもの」。みずみずしいトマトや茄子など実のなる野菜。種子という子孫を持ち、子供を守る水がある。茄子は6月の中頃に初生りが出て、10月中頃まで何度も実をつけ、それぞれの時期においしさは変わる。「秋は実のもの」。果物、森の木の実や茸がおいしくなる。そして「冬は根のもの」。緑の見えない冬枯れの季節にも、地面の中では根菜類が根を太らせている。正月にはそれでお節の煮しめを炊く。最も栄養価の高い、命の在処を人が頂戴する。

今はもう旬はなくなったと言われ、人間は季節をコントロールする技術を持ったつもりかもしれないが、自然がつくり出すおいしさは人の力ではつくれない。やっぱり太陽に当たったトマトはおいしいし、ぎゅっと絞れば水が出てくるようなみずみずしい皮の薄い茄子などを、季節外れにはつくれない。味は百人百様で、みんながおいしいと感じるものはないと言われる。人がつくる味はそうかもしれないが、自然がつくる味は万人を唸らせる。素材自体のおいしさ。その味こそ栄養価値の証明であり、それがわからない人は、生きる力が弱い。味という点で、天然・自然のものを再現する力は人間にはない。見た目の美しさにしても、生命力溢れる天然物の美しさは、人間にはつくり出せないものだ。

日本はヨーロッパや中国に比べ、植物の種類が一桁違う。素材の種類が多いから、茹でる、焼く、炊く、煮る、蒸すといったシンプルな調理で豊かに楽しめる。だから日本の家庭料理には名前がない。ほとんどが「筍の炊いたの」とか「小芋の煮たの」と素材が冠についている。それは、素材が豊かで調理がシンプルだからだ。

その土地のものを土地の料理方法で食べることを「土産土法」と言い、これが一番おいしくて健康に良い。昔の家庭料理はみんなそうで、一汁一菜。旬の野菜を油揚げと一緒に煮て、ごく僅かな脂肪分を採ったり、あと魚や肉があればごちそうだった。旬を味わうという点で家庭には豊かな食生活があったし、等身大というか、無理をしないで料理をしていた。

私は24歳で料理の世界に入った。フランス料理から入ったわけだが、当時、ヌーベルキュイジーヌということで、素材を生かす手法を取り入れていた。素材を生かす、旬を生かすなら日本料理こそ世界一だと、日本料理の世界に移って、私は衝撃を受けた。日本では家庭で旬のものを食べているから、料理屋は家とは違うものをつくる。例えば「梅人参」。これは梅干しだけで人参を煮る。姿形は人参だが、味は梅。つまり見た目はあくまで素材を大事にするが、味を入れ替えてしまうのだ。

今、ちゃんとした家庭の味がなくなりつつあるなか、逆に料理屋が素材の味を生かしたかつての家庭料理を出している。イタリアンなど外国もそれを学んでいる。それほど日本の家庭料理は素晴らしかった。でも今、昔のようにおいしい家庭料理をつくるのは難しい時代だ。

なぜなら自然が弱くなっている。昔の野菜はアクが強かった。その分、味が濃くておいしかったのに、土の匂いがするほうれん草なんて子供たちが食べないからと、人間が手を加えすぎ、とても弱々しい野菜をつくってきた。小ぎれいなものがおいしいわけではない。おいしいカボチャは「どてカボチャ」。ゴツゴツした力強さ、逞しさを感じるものこそおいしい。健康ブームなどというが、人間だけが健康になるなんて厚かましい話。まず自然を健康にしてやることで、人間も健康になっていく。

今、赤ちゃん向けの料理本を見ると、日本の将来が心配になる。昔は子供が食べるものは、大人と別につくるものじゃなかった。父母と同じものを、ほぐしたりくだいたりして食べさせた。それが小手先でつくったようなものばかり。これでは病気になってしまう。不安というより悲しくなる。

料理書の弊害もあるかもしれない。江戸時代から料理書はプロが書いていて、料理はプロから教わるもの。だけど家庭料理と違うことをするのがプロ。例えば大根おろしはなぜ皮を剥くのか。魚も野菜も皮と身の間においしさがある。汚れても傷んでもいないのに皮を剥くなんて、勿体ないという心を持っている日本人がするはずがない。それは料理屋の料理。見た目が綺麗な「みぞれおろし」だ。あるいは面取りはなぜするのか。煮くずれないように? いや、面取りしなくても煮くずれることはない。お客さんを迎えるとき、角が立たないようにという心で面を取るのが始まりだった。本来シンプルでいいものを、手間ばかりかけて難しくし、ますます料理をしないという悪循環。

日本人は昔に比べて体力がなくなった。家事をしないから体力がなくなったのか、体力がないから家事をしないのか、とにかく弱々しくなった。料理は体力。そして楽しむこと。生活することが楽しい、季節の移ろいが楽しい、旬のものを食べておいしい、と楽しんでほしい。簡単な料理でいい。自分で料理をしてほしい。

別に難しいことではない。料理の前に手とまな板を洗い、料理用の台ふきんとぞうきんを区別する。子供の頃に教わったようなことだ。こうしたけじめの意識があれば、料理はちゃんとできる。日本人は世界一清潔、生ものを食べる文化は世界のどこにも負けない。最近、NASAが考案したHACCP(=Hazard Analysis Critical Control Point;ハサップ)という衛生管理技術が言われる。それ以上に、日本人は昔から、食材を管理する技術、方法、知恵として「浄、不浄」という、遙かに深い感覚を持っている。たとえ汚れていなくても拭いて「清める」心がある。今使った包丁をふきんで拭いて次のものを切るという習慣は外国にはなかった。三つ星のシェフが、日本のやり方を学んで取り入れたほどだ。

究極の日本料理は、できれば味も付けない、姿も変えないのが最高。必要最小限のことを行い、無駄なことは一切しない。今は、日本の良いところ取りを外国にされているが、もともと日本人の方が遙かに繊細な感覚を持っていることは間違いない。だから重要なのは、外国に目を向けることではなく、日本の古典、そして日本の自然に目を向けることだ。都会で暮らしていると、季節を感じることが少ない。季節の野菜が出ているから夏だと気づくのは食卓だ。「やっぱり夏のトマトはおいしいね」「旬の茄子の皮が薄くて、煮えるのが早いね」と、言葉を添える。料理をする人の役割は、家の中に自然、季節を持ち込むことにもある。

家庭料理が復活すれば、日本人はもっと幸せになれる。
日本料理は今一度、自然と料理の本来の姿に目を向けるべきだと思う。■


関連資料

「旬」の周辺 関連図書 「日本の料理」を読み解く9冊


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