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井上 章一・国際日本文化研究センター教授

2005.06.01
「『美意識』より『安全』に向かった日本人の心」

井上 章一・国際日本文化研究センター教授

いのうえ しょういち 
評論家;国際日本文化研究センター教授(文化史;建築史;意匠論)
1955年京都市生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。建築家をめざすが、大学院時代に建築史、文化史に方向転換。芸術や美の正体に迫ろうと、独特のローアングルの視点から日本文化を考察する。京都大学人文科学研究所助手を経て、87年国際日本文化研究センター助教授、のち教授。著書「霊柩車の誕生」「つくられた桂離宮神話」「邪推する、たのしみ」「美人論」「関西人の正体」「アート・キッチュ・ジャパネスク」「ノスタルジックアイドル・二宮金次郎」「狂気と王権」「人形の誘惑」など。



水の都・大阪。その運河沿いでよく見かけるのが、高い「手すり」だ。ベニスやアムステルダムでは、まず見かけない。そこでは、酔っぱらって運河に落ちれば自己責任で、子供が落ちたら目を離した親の責任となる。運河に落ちても自己責任と思う社会と、なにがなんでも人命は守らないといけないと思う社会の差が、こんなふうに構築物に現れている。

現代日本人は、安全へのこだわりが強い。街なかで見かける「陸橋」も、ヨーロッパの古い街では、まず見ない。人命を無視するわけではないが、それよりは都市の豊かな風景を味わおうという社会と、都市景観などは少々不細工でいい、とにかく安全が第一だと考える社会の差が、「陸橋」に現れている。

あるいは「注意一秒、ケガ一生」といった看板。できたてはまだマシだが、日が経つと薄汚れ、街を汚くしているだけ。あれを見て、ハンドルをしっかり握ろうと思うドライバーはほとんどいないだろう。

このごろ日本でも、路上のオープンカフェが増えてきた。だけどあれは本来、法律違反。道路交通法とか保健所の食料衛生問題で引っかかる。バイクが突っ込むかもしれないし、排ガスが食べ物に降りかかる。ヨーロッパの人たちは、街の往来、外気の中での食事が快適だと言う。行けばわかるが、パリの人は犬の散歩をしてもその糞を拾わない。パリを1週間旅行したら、間違いなく犬の糞を踏む。空気が日本より乾燥しているから、糞はすぐ乾く。で、踏んだら粉々になり、風が吹いて、文字どおり「フン塵」の下で、カフェテラスでコーヒーを飲む。これは日本の保健所なら卒倒する出来事だ。

こんなことを見るにつけ、僕は、日本人の平均寿命が世界で一番になったのは、医学上の理由だけではなく、このような安全対策があるからではないかと思っている。手すりや陸橋をはじめとする装置が、都市を不細工にしかねない工夫が、長寿につながるのだ、と。そして世界一の長寿というポジションをここしばらくキープできているおかげか、オープンカフェも認められだしてはいるようだが、日本の役所の人に世界旅行をしてもらったら、ニューヨークで、イスタンブールで、ローマで、ここは建築基準法違反だとかここは消防法違反だとか、あちこちで文句が出てくると思う。それを聞いていれば、日本の都市計画とか建築が、世界的にどれだけ安全管理が行き届いているかが分かるのではないか。

しかし、日本も、昔の宮大工たちの日本建築は、プロポーションの美を重視していた。日本の古い寺の本堂の欄干は、かなり低い位置にある。あれは今なら建築基準法違反。つまり落ちる可能性がある。現代建築で造る場合は、もっと手すりの位置を上げないとだめ。奈良に、薬師寺本堂を復元された西岡さんという棟梁がおられた。薬師寺は天平建築の復元だが、自治体は、緑色の「非常口」のサインをつけろと言ってきたそうだ。西岡棟梁はさすがに抵抗され、緑色の表示は諦めてもらったが、防火シャッターはあちこちにつけている。安全を重視する現代日本人の心が、今の建築・都市に現れている。

もう一つ、日本の建築に関して言うと、建てるときの役所のチェックは、火事が起きたときの避難経路と、地震に備えた耐震構造で、色と形は、お咎めなし。風致地区など一部の例外を除いて、安全以外の建築規制はない。ところがヨーロッパでは、街に建築委員会というのがあり、建築プロジェクトを審査し、安全はもちろん色と形の指導を行う。だからパリでもウィーンでもロンドンでも、同じようなビルが並んでいるのは、あの形以外認められないからだ。

で、比べれば、ヨーロッパの街並みは建築表現の自由がなく、全体主義的で、近代的な自我が抑圧されている。日本は、地権者と建築家の自由が大幅に認められていて、表現の自由が確保されている。にもかかわらず、ほとんどの社会学者や多くの評論家は、近代的自我はヨーロッパで発達し、日本では未成熟だと言う。建築に関しては、全く逆の構図が見えるのに。

実はロンドンには、地主が数えるほどしかいない。貴族が大地主で、あとは借家。大地主が景観をコントロールしているわけで、美しい街並みは封建制度のおかげでもある。日本でも封建時代は街並みが整っていた。

江戸時代は家作制限があり、城下町など大変整然とした街並みだった。ところが近代の明治政府は制限をなくした。古い木造家屋が並ぶ中に、レンガの4階建てのビルとか突出したモノができると、斬新で喜ばれたのではないか。通天閣の一代目なんて、下は凱旋門で上はエッフェル塔のコピー。すごいセンスだけど、そういうのが憧れられた。つまり、近所から突出した建物が素晴らしいという価値観が、ずうっと百数十年続いた。お互い突出するようになると全体が自己主張してノイズだらけになるが、日本は、そういう方向で近代化を歩んできたのだろう。

今後、役所は相変わらず人命は大事というスタンスは崩さないと思うが、「自己責任」が言われだす。法科大学ができて法律家が増えてくると、アメリカ並みの訴訟国家に近づくだろう。揉め事を避けるために、安全第一だけを目標にすることはなくなるかもしれない。問題は、そうなったとき、都市景観が美しい方向に行くかどうか。

友達に聞いた話だが、1960年代末、日本同様、学園紛争全盛のドイツで、大学の壁やガラスが壊され、近隣の住民から大学の壁が見苦しいと苦情が出た。すると各セクトが集まり、窓ガラスを弁償する相談を始めた。当時の日本で、大学のガラスに過激派が配慮しただろうか。街並みの美しさを保つことへの情熱に、打ちのめされる思いがした、と。ヨーロッパの古い街では、隣近所から互いの家の見苦しさへの苦情は山ほどある。地権者の自由は制限され、住み難い。ただ統一感が出て美しくなる。だから、道頓堀界隈的な自由を取るのか、ヨーロッパ的整った不自由を良しとするのか。日本民族は道頓堀に向かった。

道頓堀は激しい自己主張の世界。タコとかカニとかの看板が動いている。パイオニアは、くいだおれ人形。もともとあの界隈は芝居町で、くいだおれ人形は文楽人形師が作った由緒ある人形。芝居小屋が廃れた今、くいだおれ人形が昔と今をつなぐ架け橋となり、フグ、タコ、カニ、エビが自己主張を続けている。

あるいは大阪で、屋根に自由の女神を載っけてるパチンコチェーン店がある。自由の女神はもとはフランス第三共和制のシンボルで、合衆国独立百年時にアメリカに寄贈、日本へ来たらギャンブルハウスを飾る。第三共和制が海を越えて、えらい変わり様。実は、自由の女神を置いたのは、1937年、大阪のお風呂屋さんが最初。「入浴」だからニューヨークの女神と、駄洒落がルーツだった。

日本人は人形が好き。薬局の店頭にはカエルやゾウやウサギがいるし、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像はメイドインジャパン。アメリカにはない。ルーツを辿れば、招き猫とか福助とか信楽焼の狸に遡り、商売繁盛の人形が、マネキン文化とドッキングし、やや子供っぽい形で増幅された。「子供資本主義」というか、子供におもねることで資本主義を運転させる度合いが諸外国より強いことが、日本の都市景観をユニークなものにしている。

美意識より安全、そして人形好き──以前は、デザインは自由だったけど、安全管理は抑圧的だった。今後は、そこから解放されていくと思うが、日本の都市景観はより野放図になっていくかもしれない。■


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