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山下 宏文・京都教育大学教育学部社会科学科教授

2005.03.01
「守る教育から、つくる教育へ――相互信頼が支える環境教育」

山下 宏文・京都教育大学教育学部社会科学科教授


やました ひろぶみ
京都教育大学教育学部社会科学科教授(社会科教育学、環境教育)
1957年千葉県生まれ。東京学芸大学大学院教育学研究科修了。東京都公立小学校教諭を経て、96年京都教育大学助教授、2002年より現職。環境教育、とりわけ森林文化教育、エネルギー環境教育、海外の環境教育等を研究。著書『エネルギー環境教育の理論と実践』『「資源・エネルギー・環境」学習の基礎・基本』『学校の中での環境教育』(以上、共編著)など。

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「環境の世紀」と言われる21世紀がスタートして早5年。去る2月16日には地球温暖化防止のための京都議定書が発効した。

しかし人々の生活レベルでの環境意識は、まだ不十分と言わざるを得ない。まず現状への危機意識がない。今日明日人類が滅びるわけではないが、このままでは大変だという意識がない。加えてその裏返しとしての責任感のなさ。環境への取り組みは行政やマスコミの仕事で、自分にはあまり関係ない。自分が何とかするのではなく、誰かがやってくれると思っている。もう1つ、環境に対する見方、考え方が浅い。例えばゴミ問題はリサイクルで、エネルギー問題は省エネや新エネルギーで解決できるかのように思い、社会の仕組みや制度をどうしていくかは考えられていない。

この辺り、ヨーロッパ特にドイツなどは格段に違う。ドイツの環境対策は、行政よりもむしろ市民意識の方が先行してきたような気がする。とりわけ環境に対する責任、という点で大きく違う。ヨーロッパでは早くから環境問題に直面してきたこともあり、自分たちがきちんとすべきという考え方があるが、日本人は環境に抱かれ甘えてきたわけで、責任の自覚には至らなかった。

環境意識の向上に最も重要なのは、教育だ。環境対策には長期的視点が必要で、今の子供たちが20年後には社会の中枢を担うと考えると、彼らへの教育が非常に重要になってくる。「総合的な学習の時間」が導入されてから、環境教育は随分行われてきたが、質・量ともにまだまだという感じがする。

例えば、2004年10月1日、「環境教育推進法」(環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律)が完全施行されたが、学校教育関係者にはあまり知られていない。続いてこの2005年には日本が提案国となった「国連持続可能な開発のための教育の10年」が始まったが、これもほとんど知られていない。主管官庁がぞれぞれ環境省、外務省で、文部科学省ではないことも関係していると思われるが、学校教育において環境教育が量的に大きく進んでいるという実感はない。

また質的にも問題がある。それは、今の環境教育では京都議定書の公約に対応できない。なぜなら、温室効果ガスの排出削減は「エネルギー問題」であるにもかかわらず、今の環境教育でエネルギー問題はほとんど扱われていない。エネルギー問題を環境教育の柱の1つに据えているヨーロッパと異なり、日本やアメリカは環境教育としてそれを扱ってこなかった。アメリカでは環境教育としてはもっぱら自然の問題が扱われ、自然保護的な教育が行われてきた。日本もアメリカ的な環境教育が行われ、エネルギー問題に着目できなかった。最近になってようやくエネルギー問題にも目が向けられるようになってきたが、まだほんの一部にすぎない。

少し振り返ると、日本の環境教育は60年代後半に公害教育から始まった。公害教育は、産業公害の加害対被害の関係を明らかにし、「生活を守る」ための教育だったが、70年代には問題の中心が産業公害からゴミや排ガス・騒音など都市型生活公害に移り、加害対被害の関係が曖昧になった。また、現象が起きてから対応するという対症療法的なあり方への反省から、問題を生じないやり方、「よりよい環境をつくる」環境教育への転換が求められた。

公害教育から環境教育へ──環境教育という言葉が使われるようになったのは72年の国連人間環境会議以降だが、「守る」教育から「つくる」教育へと言っても、70年代、80年代の環境教育は自然保護的な性格が強かった。73年の石油ショックでエネルギーのことが問題になったとき、教育は対応できなかった。ようやく変わり始めたのが80年代末、地球的規模の環境問題とともに、ゴミ処理やダイオキシンの問題が現れ、自然保護から社会的なゴミ問題にも目を向けるようになった。そして92年の地球サミットを機に、やっとエネルギー問題が浮上したが、実際の環境教育はまだエネルギー問題に対応できてはいない。

要するにエネルギーの扱いが表層的。10年、100年先を見通して、エネルギー問題を現実の社会の中に位置づけ、社会システムのあり方まで考える必要があるのに、今の教育は社会も経済も考えず、身近な省エネの奨励に止まっている。

環境教育の質的な転換が必要だ。環境は守るのではなく自分たちでつくる。エネルギーを軸に持続可能な社会づくりという観点で、環境教育を深めるべき。

必要なことは3つ。1つは教師の意識変革。2つ目に一貫したカリキュラム。知識のつまみ食いではなく積み重ねて発展させるには、小学校から社会に出るまでの明確なカリキュラムが要る。3つ目は、学校と企業・行政・地域社会の連携・協調を可能にする体制づくり。

とりわけエネルギー環境教育は企業や行政との連携が大事で、90年代から「開かれた学校」が言われ、企業の出前授業なども増えてきたが、学校はまだ企業との連携に抵抗がある。企業は自社宣伝の場としてではなく教育的見地から教育に関わるべき。国も、政策と教育を一緒にしてはいけない。国の政策を述べるのはいいが、それが正しいと教育してはいけない。例えば、原子力中心のフランスと脱原子力のスウェーデンは、教育における原子力の扱いは同じ。利点と欠点をきちんと伝え、わが国の今の選択はこうだ、今後どうするか、決めるのはあなたたちだと選択を委ねる。日本はこの辺が下手。価値が対立している問題は対立のまま取り上げればいいのに、どちらかに導こうとするから、扱いづらいテーマとして棚上げされてしまう。

しかしエネルギー問題など、人々が知識や情報を持たないこと自体がマイナスに働く面がある。国民にエネルギーを選択できるだけの知識なり情報を提供していないので、「感情」で選択されてしまう。ニュートラルな情報提供こそ、教育の役割であり、教育がその自覚を持たないと、環境問題は解決しない。

環境教育は相互信頼社会づくりをめざした教育だ。「よりよい環境をつくる」とは、「よりよい関係をつくる」こと。自然とか建物は本来モノにすぎず、私たちとの「関係性」があって初めて環境として捉えられる。環境の良し悪しは、人間との関係が良いか悪いか。よい関係づくりには、環境への責任の自覚が必要だし、その自覚を促すことが、教育の重要な役割になる。この自覚を促すためには、学校と企業・行政などが相互信頼をベースにした協調・連携を図る必要がある。そして、環境と人間のよりよい関係、いわば相互信頼関係ができたとき、環境問題は解決するに違いない。 ■


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