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河合 幹雄・桐蔭横浜大学法学部教授河合 幹雄・桐蔭横浜大学法学部教授

2005.02.01
「地域社会の治安を守る──安全神話崩壊後の共同体再生」


 

かわい みきお
桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)
1960年奈良県生まれ。京都大学理学部生物系卒、同大学文学部で社会学を学んだ後、同大学院法学研究科博士課程修了。パリ第二大学留学、京都大学助手、桐蔭横浜大学助教授を経て、教授。社会統制と法、個人主義と法などをテーマに研究。著書「安全神話崩壊のパラドックス」、共著「法の臨界II」「体制改革としての司法改革」「人間の心と法」「現代法社会学入門」、翻訳「司法が活躍する民主主義──司法介入の急増とフランス国家のゆくえ」、共訳「ユングと共時性」など。

ホームページ>> http://www.cc.toin.ac.jp/UNIV/labo/laboj-kwi.htm

日本の安全神話は崩壊したと言われる。確かに「神話」は信じられなくなったら終わりだから、その意味で安全神話は崩壊したのだろう。だが日本の治安が悪化したとか、犯罪が急増しているという認識は、事実とは異なる。

国内の犯罪実数は、高度成長期以降ほぼ一貫して減少し、90年代後半から微増したかどうかという程度。知り合いで最近犯罪に遭った人がいるかと聞けば、空き巣のような比較的軽微な犯罪はともかく、殺人や強盗事件は、ほとんどの人が「ない」と答えるだろう。実際、先頃『犯罪白書』に発表された全国被害調査でも、2004年は2000年に比べて減少。にもかかわらず、安全神話が崩壊したと言われるのは、多くの人が漠然とした不安を抱いているから──「体感治安」が悪化しているからだ。

なぜ体感治安が悪化したかと言えば、住宅街と繁華街、昼と夜など、「安全な日常=ケ」と「危険な非日常=ハレ」の境界が曖昧になったから。かつては表社会と裏社会は隔離されていて、一般の人が犯罪に巻き込まれることはほとんどなかった。住宅街と繁華街は全く別の空間だったから、繁華街でいくら抗争が起きても一般市民は安心していられた。けれども今や、住宅街のコンビニも24時間営業で非行少年がたむろしていたり、ビデオショップでは、子供向けアニメの棚の向こうにアダルトコーナーがあったりする。あらゆる空間、時間の境界が曖昧になった結果、「薄く広く危険な」状況になっている。

共同体の崩壊で人間関係が希薄化し、「匿名性」が高まったのも安心できない要因だ。井戸端会議が消え、古い商店街が消えたことで、ご近所の交流機会が失われ、隣人の名前も顔もわからなくなった。これにトドメを刺したのが、車で行く郊外型量販店やファミレスの登場。日常の買い物や食事さえ車で出掛けるから、すれ違いざまの挨拶もしなくなり、ますます人間関係が希薄になった。

加えて、過剰なマスコミ報道が人々の不安感を煽っているという指摘もある。確かにマスコミの影響は大きいが、むしろ問題は、ミニコミの衰退である。たとえマスコミがセンセーショナルな報道をしようと、自分の近所は大丈夫とわかっていれば「所詮はよそ事」と安心していられる。ところがご近所情報が入ってこないからマスコミに頼らざるを得ず、遠い所の事件も我が事のように感じ、不安になってしまう。

こうしたなかで治安を守り、安心感を高めるには、まずケとハレの境界を取り戻すこと。そして一人に一人ガードマンをつけるわけにはいかないとすれば、防犯はゾーンディフェンス。近隣の人間関係、信頼関係を回復し、互いに顔見知りであるような「共同体」を再生するしか方法はない。

例えば昼夜の境界なら、コンビニが文字どおりセブン・イレブン、7〜11時営業に戻るだけで随分違う。今はどこも24時間営業だから、泥棒は職務質問されても「そこのコンビニまで」と答えればすむが、住宅街のコンビニが深夜閉店すれば、歩いているのは警官と泥棒だけ。となれば取り締まりはやりやすい。

もちろん静かで安全な住宅街とは別に、ネオン瞬く大人の街があっていい。ただしメリハリと距離感は必要。ハレの空間は至る所にある必要はないし、会社帰りに気軽に寄れなくていい。行きたい人は覚悟を決め、気合いを入れて行けばいい。カジノを認可するとしても、東京のど真ん中になどつくってはダメ。まして全国一律解禁など、治安には最悪だ。

昼と夜、住宅街と繁華街の境界を取り戻せたとしても、住宅街の「体感治安」を良くするのは難問だ。最近は商店街などに防犯カメラを設置する自治体も増えているが、防犯カメラは個人を検索可能な形で十分に識別できないから効果があまり期待できないうえ、そもそもパトロールする人間の代わりということだから、人間関係回復という観点からは逆行であり、情けない。

結局は「隣は何をする人ぞ」を知るしかない。ポイントは職業を知ること。例えば隣に恐そうな外国人が越してきたら、名前を知っても不安は消えないが、彼がK-1選手とわかれば一気に安心する。日常的な出会いの機会を捉え、何をしている人かを訊く。もちろんそれ以上プライバシーに踏み込む必要はない。

車でなく自分の足で、地元を歩いてみるのもいい。散歩をすれば街のことがわかるし、ご近所に顔馴染みもできる。しかも人がいれば犯罪者は活動しにくい。忙しい勤め人には難しいとしても、例えばお年寄りたちが学童の通学時間帯に散歩しているだけで、かなりの犯罪抑止効果がある。

大事なことは、いろんな人が一つの街に住むということ。高齢者もいれば勤め人も子供もいて、世代の人数バランスが良いことが大事。共同体=ヨコのつながりと思いがちだが、タテのつながりがあってこそ健全な共同体だ。その意味で、昼間は女性と子供しかいないニュータウンに住み、車で量販店に行くというのは、安心感を得るには最悪のパターンと言えよう。残念ながら近年はそういう街も増えているが、もともと日本は、世代だけでなく職業、階層もバラバラの人が混じり合った共同体。ブルジョアばかり、軍人ばかりの街がある欧米とは違う。この健全さは、今後もできる限り大切にすべきだろう。

欧米との違いで言えば、共同体における防犯の概念も全く違った。欧米の場合、個人が集まって連帯して外敵と闘うのが防犯だが、日本は違う。例えばある人が自棄を起こして泥棒でもしてやろうと家を出た途端、隣のおばさんが「おや、どちらまで」と声をかける。お節介、お世話好きの隣人、あるいは「地域は自分のものだ」と思い、他人の行動に踏み込む地域のリーダー的存在がいて、「放っておかない」ことで犯罪を未然に防ぐ。それが「内から犯人を出さない」かつての日本の共同体の防犯であり、クビキでもあった。

その後の西欧化・近代化の過程では、このクビキの負の部分──個人の自由を束縛したり、プライバシーに踏み込む部分ばかりが強調され、古い日本型の共同体は否定されてきた。しかし一方、欧米型の個人主義より日本型のお節介の方が、防犯に効果を上げていたのも事実。だとすれば、伝統的な方法のうち「鬱陶しかったけど良かった」ものは何か、それを再生するにはどうすればいいか、をきちんと議論しなければいけない。

もちろんかつてのような、共同体の利益を個人の利益に優先する社会に後戻りしてはならないが、ここまで共同体が崩壊した今、その心配はないように思う。日本人は、個人の自由や価値観の多様化を強調する「個人主義」の名のもとに、共同体を忘れすぎた。今一度、伝統を見直し、一人ひとりが個人を優先したうえで共同体も重視する「方法論的共同体主義」の視点を持つことこそ、地域の安全・安心を取り戻す道ではないだろうか。■


関連資料

「『治安・防犯』の周辺」 関連図書 「治安」を読み解く9冊


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