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吉田 和男・京都大学大学院経済学研究科教授

2005.01.01
「いまなぜ『信頼』なのか?──信頼をキーワードに見た現代日本と日本人」

吉田 和男・京都大学大学院経済学研究科教授


よしだ かずお
京都大学大学院経済学研究科現代経済学専攻教授
1948年大阪府生まれ。京都大学経済学部卒。大蔵省入省、主計局主査などを経て、85年大阪大学助教授、87年京都大学助教授、88年教授。96年私塾・桜下塾を開講、陽明学を教える。主な著書『日本人の心を育てた陽明学』『桜の下の陽明学』『複雑系としての日本型システム』『日本型経営システムの功罪』『21世紀日本をどうするか─新たな日本の建設への提言』など。内閣府「日本21世紀ビジョン」に関する専門調査会委員。

ホームページ>> http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~yosida/

「信頼」はつくるのは大変だけど、壊れるのは簡単だ。
あらかじめ結果を予見できない複雑な社会において、経済取引などが円滑に行われる背景には「信頼」がある。昨今の規制緩和にしても、自主的にきちんとやるだろうと信頼して、規制側も規制を緩和するわけで、自由化も信頼をベースに成り立つ。信頼関係が成立していれば、いちいちチェックしなくて済み、モニターコストが削減できる。いわば信頼が社会の複雑性を縮減する。

ところが昨今、産地の偽装やデータの書き換えなど、企業では不祥事が頻発し、地域社会においても治安が揺らぎ、子どもが一人では遊べないような状況。社会の根幹にあるべき信頼がどんどん崩れ、あらゆるところで信頼の再構築が必要になっている。

信頼の再構築。それは社会の根幹の再構築だ。
方法は2つ。人間関係の信頼をいかに醸成するか、ということと、法的な仕組みをしっかり制度化してそれに対するコンプライアンスを求めていくこと。強制力がある法整備と、人間関係における信頼醸成、両方が必要だ。

日本はもともと法よりも、人間関係の信頼に大きく依存していた。経済取引も、個人の強い信頼関係を基盤に、両者間の相互利益になることを積み重ね、長期的取引を行ってきた。内と外を峻別し、内への信頼は強いが、外は信頼しないという長期的取引は、悪く言えば排他的になりやすい。

一方アメリカは、信頼の基礎に法を置く訴訟社会。アメリカでもエンロン事件のように公認会計士が関与して信頼を失墜させる事件が起きるが、アメリカのすごいところは、発覚したらすぐに監査法人を解散させる。米国SEC(証券取引委員会)は企業の監視について非常に強い権限を持っていて、実際にそれを執行することが信頼の源泉になっている。

日本も今後は、法的な仕組みを軸に信頼を構築することが増えるのではないか。企業ならディスクローズ、コンプライアンス、コーポレートガバナンス。情報公開の原則をつくり、隠さない。そしてコンプライアンスを掲げ、実行できる仕組みを持つ。コンプライアンスのセンスが、企業の信頼性を強めることになる。今までの長期的関係依存から、新たに信頼を得るための仕組みづくりが大切になっている。

ただ、具体的にできることは仕組みづくりだが、それだけではうまくいかない。仕組みと精神、両方が必要だ。ところが今は、どうも動きが機械的。仕組み自体もまるでマシーン、心で捉えることがない。社会全体の風潮として、「心」が軽視されてきたように思えてならない。

今の日本社会の最大の問題は、個人にとって社会の全体像が見えなくなったことだろう。分業が進みすぎ、自分のやっていることはわかるが他のことはわからない。わからないからこそ信頼が重要なのに、わからないことが増えると信頼することはなくなる。

私は、21世紀の日本人のあり方として、日本が大事にしてきた精神の柱を復活させることが必要だと思っている。我々が持っていた貴重な財産を掘り起こす。例えば日本には、神道、仏教、儒学という3つの精神の柱があったが、ずいぶんおざなりにしてきた面がある。戦後、公教育からも完全に宗教教育は排除して、食事の前に手を合わせるのは仏教の押しつけになるからしてはいけないなんて、見当違いの指摘がなされてきた。それをまずは改める。

もともと日本の神道は、八百万の神。いろんな価値観を吸収しながら、何でも日本型にしてしまう。日本は儒教国家といわれるが、儒教の儀礼は何もやらない。宗教としての儒教はないが、儒教の精神は日本人なりに消化して、儒学として学び、実践していた。

21世紀の日本人の精神のあり方として、私が特に注目しているのが、儒学、陽明学だ。明の王陽明が唱えた儒学、陽明学の基本は、全てのものは心を通じてつながっているということ。全ての人に「良知」がある。良知とは知識でなく心。みんな別々の人格だけど、みんな良知を持っていて、全てのものは心で通じているから、良知をいたせば「万物一体の仁」、一体として仁をなす。そこには人間の心への強い信頼がある。王陽明の一番の大風呂敷は、瓦石草木に至るまで通じているということ。なぜなら瓦が割れてたら残念だと思うし、木が折れてたら可哀想に思う。心は草木とも通じている。それが万物一体の仁。ただ、そこに欲望があると信頼が崩れるので、人欲を排除しようと、「排人欲、従天理」が行動原理。

とりわけ陽明学は実践を強調する。行っていないのに知ってるなんてありえない。「知行合一」。大事なことは、できることをすること。できないことをやれといっても無理。小さなところから始めて拡げていく。精神は間近なところからしか動かない。自ら実践していけば、周りの人に影響を与え、みんなが共感してついてくる。それがだんだん拡がって、社会が変わっていけばいい。

福岡県の柳川は水郷の町なのに川がどんどん汚れ、暗渠にしようという話が出た。それに反対した一個人が、川の掃除を始めた。するとみんながまねをするようになって水郷の町が復活したという。一つの実践が人を動かし、社会を動かしていく。明治維新も、萩の田舎の若者・吉田松陰の小さな運動から始まった。いわばバタフライ効果、小さな変化が大きな動きを生む。

分業が進んだ現代社会では、全体を直観する能力、万物一体の仁を理解する力が低下し、全てが「他人事」。他人には興味関心すら持たない。しかも「人欲」に呪縛されてる現代人は「行動」ができずに、知ったかぶりの評論ばかり。だけどみんなが人欲を排して小さなことから実践すれば、信頼が醸成される。また逆にみんなが実践するという信頼があれば、信頼社会になっていく。

大事なことは、みんなで社会全体を考えていくこと。最近、自治会が地域をパトロールするなど、自分の家だけでなく地域が抱えている問題を共有しようという動きも出始めた。一つの可能性としては、会社社会をつくってきた団塊の世代が、定年を迎えて地域に帰り、地域社会をつくること。
現代日本に信頼を取り戻すために、私も小さなことだけど、地域で私塾「桜下塾」を開き、陽明学の講義を続けている。

2005年、日本に少しは明るい兆しが出て欲しい。私自身、望むべくは文化的な余裕をつくりたい。現代人は、精神を議論する以前の問題として、花鳥風月を楽しむことが少なくなった。江戸期は結構文化水準が高く、店の小僧さんまで論語を読んだり、みんなが庄屋さんの家に集まって連歌を楽しんだりしていた。下句づけや上句づけで互いの心をつないでいく連歌、もてなしの心を表すお茶やお花。日本には心を通じ合わせる遊びや文化があった。ところが今は、そういう心の余裕がなくなり、何となく乾いている。だから、もう一度心を呼び戻す。日本社会が信頼の心を取り戻せるよう、私も日本人のあり方を一生懸命考えていきたいと思っている。■


関連資料

「『信頼社会』の周辺」 関連図書 「信頼社会」を読み解く9冊


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