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佐藤 寛・アジア経済研究所主任研究員

2004.06.15
「国際協力とソーシャル・キャピタル──活発化するNGOアプローチの中で」

佐藤 寛・アジア経済研究所主任研究員


さとう ひろし
アジア経済研究所開発研究センター主任研究員(開発社会学;地域研究)
1957年生まれ。東京大学文学部社会学科卒。アジア経済研究所入所。85〜88年海外派遣員及び在北イエメン(当時)日本大使館専門調査員としてサナアに滞在。91〜92年国立民族学博物館に研究員として出向。のち、経済協力調査室所属を経て、海外調査員として再びサナアに駐在。のち現職。著書「援助と社会関係資本―ソーシャルキャピタル論の可能性」「援助と住民組織化」「参加型開発の再検討」「援助の社会的影響」「援助と社会の固有要因」「イエメン―もうひとつのアラビア」など。

アジア経済研究所>> http://www.ide.go.jp/

国際協力活動の垣根が低くなっている。地球規模のネットワークができ、情報が簡単に入手できるようになったことで、昨日まで何も知らなかった人が今日はNGOをつくり、イラクでもアフガンでも行ってしまう。しかし国際協力を簡単に考えてはいけない。「善意」があったとしても、それは必ずしも「善行」を保証しない。援助される側は、もらえるものならどんな形であれもらいたいので、拒否することはめったにない。しかし「無邪気な援助」は無責任につながることをわきまえておいた方がいい。

相手側の事情を考慮し、良かれと思って始めても、失敗することもあるのが国際協力だ。同じ費用をかけ、同じ建物を建て、同じトレーニングをしても、結果が同じとは限らない。一体、何が結果を左右するのか。経済力か統治力か法制度か……と考えるなか、90年代以降、注目されてきたのが、援助を受け入れる側のソーシャル・キャピタルだ。

ソーシャル・キャピタルとは、人と人の関係性の中に蓄積されている知恵のようなもの。それは規範やネットワーク、信頼関係と置き換えてもいいし、「この村はまとまりがある」というような漠然とした言い方もできるが、とにかくそういうものがある地域は、ない地域よりプロジェクトはうまく進む。だからドナー(援助する側)としては、予めソーシャル・キャピタルがある地域を選んで介入すれば成功率は高くなる。

しかし逆に言えば、うまくいかないからこそ途上国なわけで、ソーシャル・キャピタルのない地域の方がより貧困で、援助を必要とする場合が多い。例えばイラクやアフガン、アフリカなど紛争後の社会では、人々の間に不信感が渦巻いている。そういう地域に、ドナーの手でソーシャル・キャピタルをつくれるか、というのが、今、我々が国際協力の現場で直面していることだ。

人と人との信頼関係はどうすればつくれるのか。互いに不信感を持つ人々をどうつなぐのか。例えば、JICAの農村開発プロジェクト。インドネシアでは、現場の行政官と住民の間をつなごうと、行政官には住民の声を聴くトレーニングを行い、住民には行政文書の書き方を教えた。そうやって対話の下地をつくり、双方が何度かやりとりするうちに、住民には行政への信頼感が芽生え、行政官は「喜ばれた」という充実感を得る。不信感しかなかった行政とコミュニティの間に信頼関係が築かれるわけだ。

但し問題もある。ドナーが介入している間はうまくいっても、プロジェクトが終わった途端、元に戻ってしまうケースは多い。あるいは協同組合のような相互扶助組織をつくったものの、資金の持ち逃げといったトラブルが起き、却ってコミュニティ内の信頼関係が損なわれる場合もある。ドナーという「よそ者」に誘導されたソーシャル・キャピタルは本当に根づくのか、が次の課題だ。

実際、早く結果を出したいあまり、「ソーシャル・キャピタルの促成栽培」みたいなことをしているNGOもある。彼らにすれば、活動資金として寄付が必要だし、寄付を集めるには実績が要る。だから長期的に見ればマイナスになること──例えば、「参加型開発」と称し、本来自主的に参加してもらうべき集会に交通費を支給するなどインセンティブをつけて参加を促すようなことをし、結果としてソーシャル・キャピタルは根づかないまま依存心だけ植えつけてしまうケースも起きている。よそ者としては、ソーシャル・キャピタルは「簡単には根づかない」ことを前提に、慎重を期してアプローチしないといけない。

もちろん成功例もある。バングラデシュで始めた「グラミンバンク」もその一つだ。これは農村の貧しい女性を対象とするNGOの融資制度で、女性5人のグループをつくれば、無担保で金を借りられる代わり、1人が完済するまで他の4人は借りられない。つまり連帯責任という形でソーシャル・キャピタルを人為的につくった結果、相互監視がうまく機能して、返済率は90%以上。ビジネスとして成り立つほどに成功し、他地域にも拡がっている。

ただ相互監視はうまくいく場合もあれば、窮屈な因習としてマイナスに働く場合もある。ソーシャル・キャピタルも、プロジェクトにとって必要なものは活用したいし、不要なものは除去したい、芽のあるものは醸成したい。それにソーシャル・キャピタルは「キャピタル」の言葉が示すように、「つくる」こともできるし、貯める努力をしなければ「消耗」してなくなってしまう。

例えば日本のソーシャル・キャピタル──共同体の規範とか、仕事を一生懸命やるといった倫理観は、長い歴史の中で培われたものであり、日本は戦後の復興期、これを使って高度成長を成し遂げた。だけど消費するばかりで貯めることをしなかったので、今やソーシャル・キャピタルが尽きてしまい、さまざまな社会的歪みが起きている、と言えるかもしれない。

日本のソーシャル・キャピタルの消耗は、いわば制度との不整合。実績主義・成果主義といった欧米型システムが、伝統的なソーシャル・キャピタルと馴染まない面があるからだ。戦後、農村の生活改善運動に携わった生活改良普及員や保健婦さんたちは、本当に献身的に活動していたが、彼らには細かい業務指示書があったわけでも、数値目標があったわけでもない。単に「人々のために働きなさい」と言われただけであり、「どれだけ人々に感謝されているか」が唯一の評価基準だった。ところが報酬と結びついた成果主義が持ち込まれたことで、「残業手当がないなら働かない」となってしまった。

グローバルスタンダードに合わせることで、失われるソーシャル・キャピタルがある。となれば、一つの教訓としては、途上国援助の際、短期的な成果主義などを持ち込むのでなく、かつての日本が持っていた緩いシステムを持ち込んでもいい。要はそれぞれの国や地域がもともと持っていたソーシャル・キャピタルを活用するなど、その国に合わせた形で制度をつくったり援助を行うことだ。連続性という視点でソーシャル・キャピタルの栄枯盛衰を捉えれば、日本の事例を途上国援助で生かすことができる。

日本の援助はこれまでインフラや箱モノばかりと批判され、日本も少しでも欧米に近づこうと努力してきたが、私は現在の日本の援助がもうさほど遜色があるとは思わない。むしろ植民地諸国へのキリスト教的チャリティから始まった欧米の援助とは別の方法、日本の経験を生かした援助を発信できる時期に来ていると思う。

実は日本の場合、行政が灌漑水路をつくれば住民が自主的に水利組合をつくるなど、自分の所属する組織に対し献身的に動く人たちがいた。いわば日本のインフラは「ソーシャル・キャピタル織り込み済み」のインフラ。それが当たり前だったから、他の国でもインフラをつくれば自動的に機能すると思い込んでたフシがあり、箱モノ偏重につながったのかもしれない。ところが途上国ではそうはいかないとわかったわけで、それならインフラを使うためのソーシャル・キャピタルの醸成を考えればいい。

焼け野原からの戦後復興を経験した日本には、途上国援助に活用できるノウハウが山ほどある。残念ながら今までは日本人自身がこの「宝の山」の存在を忘れがちだったが、経験をきちんと精査すれば、必ず役立つものが見つかるはず。そしてそれこそが、非欧米ドナーであり、かつて途上国だった唯一のドナーである日本の役割だ、と私は思っている。■


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