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滋賀県立琵琶湖博物館研究顧問;京都精華大学教授

2004.05.01
「コミュナルな知恵と力の再生
   ――見えなくなった日本の伝統を見えるようにする――」

滋賀県立琵琶湖博物館研究顧問;京都精華大学教授


かだ ゆきこ
滋賀県立琵琶湖博物館・研究顧問;
   京都精華大学人文学部・環境社会学科教授(環境人類学;環境社会学)
1950年埼玉県本庄市生まれ。京都大学農学部卒、同大学院農学研究科農業経済学専攻博士課程修了、ウィスコンシン大学大学院修了。農学博士。京大時代、サバンナにあこがれて探検部に入部、タンザニアに単身住み込んだ体験もある文化人類学者。81年から滋賀県琵琶湖研究所主任研究員。文化人類学の「聞き取り」の手法で琵琶湖汚染対策へのアプローチを進める。92年琵琶湖博物館開設準備室員となり、開館後、専門学芸員、総括学芸員を経て、研究顧問。2000年より京都精華大学教授。水と文化研究会代表、子どもと川とまちのフォーラム代表、環境社会学会会長も務める。著書「環境社会学」「生活世界の環境学」、共編著「生活世界の環境学」「水と人の環境史-琵琶湖報告書」「人間にとって農業とは」など。

嘉田由紀子Webサイト>> http://www.kyoto-seika.ac.jp/kada/

 


関東平野の養蚕農家に生まれ、13人の大家族の中、長男の嫁として朝から晩まで身を粉にして働く母を見て育った私にとって、「イエ」や「ムラ」は逃げ出したい対象だった。大学で京都に来て、3回生の時、人間が暮らすうえで最も自然に近い状態を体験したくて単身アフリカへ。大学卒業後の大学院での米国留学で、指導教員に日本の農村研究を促され、琵琶湖畔の村々を訪ね歩くと、そこには私が幼い頃から抱き続けた思い──イエとは何か、ムラとは何かという問題があった。

滋賀県だけでなく、日本中の村々は、もともとそれ自体が一つの独立した行政単位。江戸時代、各村々は「藩政村」──藩の政治を司る村として、納税母体、裁判の母体、領域を支配する母体だった。例えば税金は「年貢村請制」といって、村単位で払い、どこかの家が納められない時は、村全体で肩代わりした。また、村は裁判を開く法人格を持っていて、隣村と境界争いなどが起きれば裁判で解決した。さらに水や森林、漁業資源などの共有財産を自主管理し、そこからのアガリで税金も納めるし村祭りも行う。洪水など災害時には村の男たちは水防の任に就き、草刈りや道路の雪かき、川掃除も住民総出でやった。今でいう公共事業から教育まで、すべて村が自主的に行っていた。

そんな藩政村が、明治の大合併で概ね今の小学校区に統合され、昭和30年代の大合併、平成の大合併と、どんどん大きな単位に吸収されるなかで、小さなコミュニティはまず、共有の水田や山、湿地といった共有財産を上位の行政府に吸い上げられ、財政基盤を失っていく。学校も教育委員会の管理になり、水害もそれまでは自分たちで防いでいたのが、一級河川として国が管理するようになった。兼業農家が増え、土地へのこだわりが薄れるにつれ、「その方が楽だ」という声が大きくなり、行政の中央集権化と住民の「自治の伝統を手放してもかまわない」というニーズが合致し、村は社会的機能を弱め、「自治母体」から「陳情母体」になってしまった。

もう一つ、地域の力を殺いだのはアメリカの戦後政策の影響もあった。「自治母体」であると同時に「支配の対象」でもあったコミュニティ(町内会など)は、第二次大戦中の国家総動員法下で、国家支配の末端組織となったことから、戦後のアメリカ統治下では、町内会などの禁止令まで出されることになる。アメリカには、日本の町内会などは、自治母体でなく支配母体にしか見えなかった。

というのも、実はアメリカには歴史的に自治会がなかった。教会組織やPTAなどのアソシエーション──教育、福祉といった特定目的の組織は発達しているが、日本の自治会のように、土地の領域性に根ざして教育から財産管理、政治対応までするジェネラルなコミュニティはなかった。日本のコミュニティが面とすれば、アメリカは点。移民として入植した人々が旧居住民であるインディアンの居住地に「ここは私の土地」と囲い込んできたわけだから、アメリカは基本的に「公」と「私」、公有地と私有地しかない。一方、日本は「公」「共」「私」の三元論。ある領域、なわばり内に住む人は、全員が共同体の構成員。だから今でも、引っ越してきたとたん、自治会長さんが「会費を払ってください」とやってくる。

これを前近代的と批判する人もいるが、日本の地域社会の成り立ちからみれば自然なことだし、実際今も住民は共同体の世話になっている。例えば街灯の電気料金は大抵の場合、自治会が支払っている。公共保安のための設備だから市民税から払ってもいいが、電球ひとつ切れたといって市の職員が駆けつけていたら、大変なコストがかかる。公園の草取りや回覧板、それらをすべて行政がやろうとすれば、きっと今の税金の2倍くらい必要になる。だからその地域に住む限り、自治会の世話になってるわけで、「私には関係ない」なんて言うのは過剰な近代主義ではないか。日本の伝統を見失った戦後教育の過剰な個人主義のせいではないか。

アメリカ統治下でタブー視された町内会などは、1971年に自治省がコミュニティに関する対策要綱を出して、新しい形での動きが始まったが、若い人はもう頭から封建的だと思っている。

確かにかつての地域社会にはそういう面もあった。地域社会は一種の身分制社会。性別や年齢で役割分担され、女性に発言の場はなく、子供は子供らしく、年寄りは年寄りらしくと強要される。そういう「らしさ」を求める社会は、自ら新しい価値観創出が必要な時代には不適合を起こし、まず女性が逃げ出した。私自身、母のようなしんどい生き方には疑問を感じた。女性がいなくなると男性も出ていき、地域は活力を失っていく。だから地域を元気にしたいなら、若い女性が暮らしやすい社会にすることが条件。「こんなところに住みたい」「ここなら私にできることがあるかもしれない」と思える、自由度の高いコミュニティづくりをすれば、地域は元気になる。

私のゼミには農業をやりたいという女子学生が多い。日本にはやはり農業が必要だ。第一に、精神的な支えになる。今の若い人たちは、自分たちの食べ物がどこから来てどこへ行くのか知らないから、ちょっと問題が起きるとすごく不安になる。若い人が生活力を失っていることが、社会全体の自信喪失につながっている。でも現場を知っている生活力がある人は揺れない。足元の大地と食卓がつながっていることを、若い人たちは見たがっている。第二に、景観。水を湛えた棚田や黄金色の稲田、コイやフナやメダカが泳ぎ、ホタルが舞う風景はやっぱり美しい。この美しい地域、国土を保つのも大事なことだ。

昨今「ソーシャル・キャピタル」という言葉が注目されているが、日本にはもともと共有地も入会地も自治会もあったし、共同体としてご近所の関係もある。あえてカタカナの概念を輸入しなくてもいい。自主管理の伝統があって、川は共有財産だから汚しちゃいけないといった「はばかり意識」も、地域社会の中で育まれた。もちろん窮屈なことはある。近所づきあいも煩わしいこともあるだろう。夫婦も親子もそうだけど、近しい者同士ほど、普段は葛藤がある。ご近所も同じで、昔から「隣に倉が建てば腹が立つ」というくらい、隣同士は必ずしも仲はよくない。でもいざという時は手をつなぎ、助け合う。テレビ番組じゃないけど、まさに「難問解決・ご近所の底力」。実際、阪神大震災の発生直後、瓦礫に埋まった人たちを助け出したのは、ほとんど家族かご近所の人。行政じゃない。

日本の歴史の中で育まれてきた自治の伝統、コミュナルな知恵が、今は見えなくなっている。自然が遠くなり、農業を知らない人が増え、大地に根ざした暮らし方が見えなくなっている。その見えなくなった地域社会の仕組み、つながりを、再び見えるようにする。それが私たち、今を生きる日本人の使命であり、次の世代につなぐべき日本の社会的伝統と思っている。■


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