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河田 惠昭

2004.02.15
「防災への視点――災害は起きるという前提で『減災』を」



河田 惠昭

かわた よしあき 
京都大学防災研究所巨大災害研究センター長・教授;人と防災未来センター長
1946年大阪市生まれ。京都大学工学部土木工学科卒。京都大学防災研究所助教授、ワシントン大学客員研究員、京都大学教授を経て、96年より巨大災害研究センター長。2002年より「人と防災未来センター」センター長を兼務。危機管理論、地域防災計画、地球防災工学を専門とする。主な著書「都市大災害」「自然災害の危機管理」、共著「防災学ハンドブック」「大震災以後」など。

ホームページ>> http://www.dri.ne.jp

 


災害は一般に、地震などによる「自然災害」と過失など人為の「社会災害」に分類される。しかし僕は両者の区別はないと思っている。台風や地震、大雨も、それ自体は単なる自然現象であり、人間社会に被害を与えた時点で初めて「災害」になる。そう考えれば、もともと災害にはすべて社会性があるわけだし、特に最近は自然か人為か、区別が難しい災害が増えている。

例えば2002年、ヨーロッパでは500年に一度の大雨が降り、プラハの地下鉄は浸水で半年も停まってしまった。こんな異常気象をもたらした地球温暖化も、もとはといえば人間社会が引き起こしたもの。単純に自然災害とは言い切れない。地震にしても、土地利用方法などの拙さで被害を拡大させるケースがある。液状化しやすい土地に安物のビルを建てれば、被害を受けるのは当然だ。

もっと典型的なのは2001年9月11日のニューヨークへのテロ事件だ。あれはまさに人為の事件として起きたが、事件後の対応は災害復旧そのもの。実際、CNNはWTC崩落を「ディザスター(災害)」と報道したし、アメリカ政府はフェデラルレスポンスプランという、自然災害用のシステムで対応した。ひとたび災害が起きれば自然も人為もない。その現実を知らしめた意味でも、テロのインパクトは大きかった。

もともとアメリカは「災害は起きる」という前提で、被害を最小限に抑えることを主眼に政策を進めてきた。9.11にしてもテロを未然に防げなかったという教訓は残したが、事後の対応はお手のものだった。イギリスも考え方は同じ。例えばヒースローエクスプレスには各ドアの横、乗客の目線の先にハンマーがぶら下がっていて、「列車に閉じこめられたらガラスを割って脱出しろ」と説明書きがある。事故や災害は起きることを前提に対策を立てているわけだ。

これに対して日本は「災害を起こさない」ことが前提。だから新幹線にも地下鉄にも、乗客の手近にハンマーなど置いていない。

なぜこうなったかというと、日本の防災対策は1923年の関東大震災が基本になってるから。あのとき多くの建物が倒壊して被害者が出たため、日本人は「これからはいい建物、いい社会基盤をつくって被害が出ないようにしよう」と考えるようになった。つまりストラクチャーエンジニアリング──工学的手法で被害をシャットアウトする防災ばかりをめざしたわけだ。

そして戦後、1945年の枕崎台風から59年の伊勢湾台風まで、15年間のうち13年も年間の災害死者数が千人を超える「災害の特異時代」を経て、61年に災害対策基本法が成立したが、この法律の精神は「同じ被害を二度と繰り返さない」。裏返せば「被害がなければ何もしないよ」という法律。災害が発生しない限り先行的な防災投資はできないしくみになっていた。

この間、日本は都市化が進み、社会が高度化・複雑化する中で、非常に災害に脆い国土になってしまった。いわば「都市の糖尿病化」が進んだ。糖尿病で死ぬことはあまりないが、ちょっとしたきっかけで別の病気を発症する。同様に都市も、普段は無事でもちょっと外力がかかるとガタガタ崩れる。それを如実に示したのが、95年の阪神・淡路大震災だった。

日本は伊勢湾台風以来40年、千人以上の犠牲者を出す災害がなかったので、その怖さを忘れてしまっていた。「災害を起こさない」とやってきて、とにかく「安全でありたい」という希望が、いろんなネーミングにも入っている。欧米ではリスク委員会だけど、日本では「安全」委員会だとか、交通事故の危険を訴えるのが、交通「安全」週間とか。名前に希望が入ってしまい、本来のリスクが見えにくくなっている。さらに言えば、災害被害者の遺体の写真がマスメディアに載らないのは日本だけ。「人間は死ぬ」ということすら忘れられがちだ。

都市化とも相俟って、日本人はどんどん動物的感覚──「ヤバい」という危険察知能力を鈍らせてしまった。だから大雨が降って洪水警報が出ているのに地下街にショッピングに出かけたり、地震の翌日、津波を伴う余震のおそれがあっても平気で海釣りに行ったり。「自分には関係ない」と勝手に決める脳天気さ、無関心ぶり。防災研究に従事する者として、本当に腹立たしいことが多い

こんな時代に防災を進めるのは非常に難しいが、まずやるべきは、やはり「災害は起きる」という前提に立った対策だ。起こさないことは大事だが、万一起きた時の被害を最小限に食い止める「減災」の視点を持つことが重要だ。

そのうえで僕は、防災対策にもユーザーオリエンテッド──「被災者の視点」が必要だと思う。これまでは「行政の視点」で何ができるかという対策の立て方。マスコミ報道にしても、ぬくぬくと炬燵でテレビを見ている人に被害状況を伝える「被害報道」ばかりだが、今まさに被害を受けてる人に、どうすれば被害を最小化できるかを伝える「防災報道」こそ優先すべき。防災対策は被災者のためにあることを肝に銘じてほしい。

もちろん住民だって変わらなきゃいけない。例えば、ニューヨークの事務所の価格は「安全性」で決まるが、日本は都心や駅に近いからと「利便性」だけで評価する。日本でもハザードマップをつくる自治体が出てきたが、住民側にその必要性の認識が少ない。また日本では、防災対策と社会福祉が混同され、納税者を保護しないので復旧・復興事業の対象者が増え、しかも財源が足りない問題が生ずる。

僕は、市民社会では「自助が7、共助2、公助1」だと思っているが、近頃は自助が1、公助が7と思っている人が多い。だから自分の家の前の側溝の掃除もせずに、下水が詰まったと役所に苦情を言ったりするが、「自分のことは自分でする」のが市民社会の原則だ。日本は血と汗を流して民主主義を手に入れたわけじゃないから、市民社会が未成熟。だけどこのままではこれからの高齢社会、大変なことになる。もしお年寄りがみんな「年寄りは災害弱者だから、ケアしてくれるのが当たり前」と言い出したら、もうお手上げ。行政に文句を言う前に、ボランティアに頼る前に、自分の命は自分で守るという覚悟が必要だ。

阪神大震災以来、兵庫県10市10町の市民参画意識は非常に高くなっている。自分たちにできることは何か、と。やはり無駄に血が流されたわけじゃない。だからここから「被災者の視点」を発信しないといけない。誰のための防災対策か、そしてそれを一体誰がやるのか――僕ら研究者が「災害研究」を超えて、現場で実践的に使える「防災研究」を進めることはもちろんだが、日本をこれ以上、脆弱な社会にしないためにも、市民社会の成熟が急がれる。■


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