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鷲田 清一

2004.01.01
「新しい『コミュニケーション回路』を設計する」



鷲田 清一

わしだ きよかず
大阪大学大学院文学研究科教授;文学部長(哲学;倫理学)
1949年京都市生まれ。京都大学文学部倫理学科卒、同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学文学部哲学科助教授を経て、教授。1992年大阪大学助教授、のち教授。この間、ルール大学客員研究員、国際日本文化研究センター客員教授。「21世紀日本の構想懇談会」日本人の未来分科会メンバーなども務める。著書「じぶん・この不思議な存在」「分散する理性―現象学の視線」「ファッションという装置」「モードの迷宮」「夢のもつれ」「人称と行為」「普通をだれも教えてくれない」「顔の現象学」「ちぐはぐな身体」「現象学の視線」「悲鳴をあげる身体」「『聴く』ことの力」「だれのための仕事」など。


2004年を解くキーワードを考えるとき、決して目新しくはないが「コミュニケーション」はけっこう重要な言葉だと思っている。例えば医療ならインフォームドコンセント、医療過誤、医療訴訟など、医者と患者が対話する場面が出てきている。また企業の苦情窓口では消費者と企業の顧客担当者が、行政ならゴミ処理や介護問題で役人と市民が対話する場面も増えてきた。

いろんな場面でコミュニケーションが必要になっているにもかかわらず、それがほとんど巧くいっていない。なぜなら、専門家と非専門家(一般市民)のコミュニケーションがものすごく難しくなっているからだ。たとえばインフォームドコンセントといって、医者に病状を説明してもらっても、その内容はともかく、本当に正しいのかは僕らにはわからない。つまり知識の圧倒的な不均衡があって、実際はその医者が信用できるかどうかで決めるしかない。ダイオキシン問題をめぐって住民が役所と交渉するにしても、役所から示される専門的なデータや法律問題は住民にとってチンプンカンプン。

先端医療やバイオサイエンス、食品の衛生管理、環境、原子力――いずれも市民の日々の安全・安心に深く関わる問題なのに、その問題に発言するには、現代社会では高度な専門知識の集積が必要とされ、現実にはコミュニケートできない事態になっている。

なぜこうなったのか。以前はすべて家庭の中にあった「生老病死」(しょうろうびょうし)の問題を、近代社会では外部のサービス機関に委託するようになった。誕生は産婦人科医に任せ、老いは介護のプロ、病気は医者に任せ、死は葬儀屋に任せる。教育、調理も同様だ。生活の基本プロセスに対し自分で自分の面倒を見ることをしなくなった。昔、ムラ社会では隣近所で分業していて、畑のことをやる人、祭の世話をする人など、目に見える分業だった。今は社会システムが大きくなり、誰がやってるか顔が見えないままシステムが代行するようになっている。そしてシステムが大きくなるとそれぞれが専門分化して、資格を持ったプロが出てきた。そういう「資格社会」が進行した結果、便利になったし、住みやすくなったけれど、一人ひとりの市民が自分で判断したり決めることができなくなってしまった。

市民参加とか自己決定権が叫ばれるようになり、社会は市民の力を増す方向に動いている。にもかかわらず、市民が自分の問題を自分で判断する力、決定する力は削がれてしまい、専門家の話を鵜呑みにせざるを得ないような、受動的存在になっている。

今こそ専門家と非専門家のコミュニケーションギャップを解決して、新しい「コミュニケーションの回路」を設計し直さないといけない。それが、今、社会で起きているいろんな問題を解く鍵だ。

そこで重要になるのが、メディエイターとかコミュニケーターの存在だ。専門知識を持ちながら市民の不安もわかる、両方わかる人が間に立って媒介する仕組みを考える必要がある。

例えば、群馬県のある町で新しい町役場をつくるとき、ふつうは役所と建築家、建設会社の三者で決めるが、そういう時代は終わったと、役場を使うプロである住民に参加してもらい、建築家と話し合いながら進めた結果、住民のアイデアで、カフェみたいな役場ができることになった。カウンターでなく、丸テーブルを置き、市民と役人が丸テーブルを囲む。市民に向き合って相談に乗る形になって、行政と市民の関係が大きく変わることになった。

あるいは僕自身、京都市の2000年―2025年を見通す基本計画に携わった。ともすれば従来のお役所的発想になりがちなところを、市民を交えた100人くらいのメンバーで、市民として考えようと30回くらい議論を重ねた結果、それだけの甲斐があるものに仕上がった。企業や行政が一方的に決めるのでなく、市民と一緒に決めていく。そう変わることが、表向きは地味だけど、社会としては凄く大きい革命だと思う。

課題は、そういうメディエイターとなり得る人材の養成だが、僕が近年、注目しているのはNPOの動きだ。今までは抗議団体だったが、プロ的な知識を持って住民を代弁するようなサポート団体も出てきた。企業に勤めている人もオフはNPOの活動に携わるとか、地味だけどいろんな形で市民は動き始めている。人はまず市民であって企業人ではない。市民の集まりが会社だという考え方も定着し始め、市民自ら解決方法を探る気運は盛り上がっている。それをきちんと着地させるまで、「コミュニケーションの回路」をつくっていくことが、今の僕らの社会の課題じゃないか。

そのために日本人はきちんと喋ることから始めないといけない。以心伝心が日本らしさと言われてきたが、自分の思いを言葉にして主張する文化が必要だ。ヨーロッパはもともと話す文化。政治と社交は言葉がコアにあり、その証拠に政治家の失脚理由は闇献金や異性問題でなく虚偽発言だし、社交は教養とウィットを競う。ヨーロッパ人はもともと文句や異議を唱える気質だが、日本もやっとそういう気運が出てきて、みんな文句を言うようになったし、うるさいくらい権利を主張し始めた。但し文句だけで終わってはダメ。文句を言った人と言われた人が一緒に解決法を相談して決めなければならない。知識の圧倒的な差があっても、メディエイターを入れるとか工夫しながら、同じ市民という立場に立って一緒に解決する。それができたとき初めて市民社会が成熟してくる。今はその途上で、やっとみんなが文句を言い始めた。企業にとってはつらいし、政治家もうっとうしいかもしれないが、それを市民の成熟として迎え入れなければいけない。これをくぐり抜けてこそ、市民社会が成熟する。

もう一つ忘れてはならないことは、言葉を持たない人、そもそも議論のステージに乗ってこない人がいるということだ。子供、痴呆の老人、ホスピスの患者、落ち込んでる人――若者の引き籠もりや50代の躁鬱病も増えている。その人たちとのコミュニケーションをどうするか。そこでは、いのちの電話とかカウンセラー、僕の言葉で言えば「聴くことの力」が重要だ。聴いて説得するのでなく、ただ聴くだけ。わかってもらえなくても聴いてもらえるだけで人は楽になる。「自己主張のコミュニケーション」とは違い、ヒリヒリした心に応える「ケアとしてのコミュニケーション」の回路づくりが、もう一つの大きな課題であることを付け加えておきたい。

気の合う者が集まるのが社会ではない。互いに違う人間だという前提で、馴染みがなくても一緒にやっていくのが社会だ。今後、外国人労働者が増えるとますますそうなる。互いに何となくわかるという前提ではなく、わからない、違う人だという前提で、でも一緒に社会をつくっていく。2004年、そういう社会づくりに向けて、日本人一人ひとりが新しい「コミュニケーション回路」の設計に取り組むことを望みたい。■


関連資料

「コミュニケーション回路」の周辺 関連図書 「コミュニケーション」を読み解く13冊


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