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本間 正明

2003.10.01
「『競争政策』への視点──切磋琢磨で最善を尽くす」

本間 正明

ほんま まさあき
1944年旧樺太生まれ。大阪大学経済学部卒、同大学院博士課程修了。大阪大学経済学部助教授を経て、85年教授、98年経済学部長、副学長を歴任。この間、英国ウォーリック大学客員教授、ロンドン大学客員研究員も務める。2001年より小泉内閣の経済財政諮問会議民間議員。関西社会経済研究所所長も務める。著書「提言・新日本型経済システム」「租税の経済理論」「ゼミナール現代財政入門」「コミュニティビジネスの時代」、共著「公共経済学」「現代財政学」、共編「公益法人の活動と税制―日本とアメリカの財団・社団」など。

経済財政諮問会議>>  http://www.keizai-shimon.go.jp/about/index.html


いまなぜ競争政策なのか。それは小泉構造改革の前史、なぜ構造改革が必要になったかという問題から入りたい。90年代は「失われた10年」と言われたが、その意味を私なりに整理すると、1つは、「グローバリズム」がもたらした大競争時代に日本が乗り遅れた問題が大きい。

1985年のプラザ合意で為替レートが240円から120円台になった。グローバリズムとバブルはセットになっていた。国際的に円の価値が2倍になったので、当時、日銀が超緩和政策をとったことで国内経済にマネーサプライ増という形で影響が及び、バブルを招いた。そしてバブル崩壊後、日本は、不良債権処理をドラスティックにやることを避け、景気対策という形でなだめながら取り組んだことが、金融システムの不安定化とマネーサプライの伸び悩みという問題を招き、「失われた10年」の大きな原因になった。

また90年代は日本が国際競争力を下げた時代でもある。通貨価値が2倍になるということは、諸外国との賃金格差が拡大するわけで、労働生産性を上げなければ国際競争力は確保できない。ところが、「バブルの発生と崩壊は通貨に問題があるのであった、私たちは知らない。政府が悪い」という感覚が民間経済主体に生じ、労働生産性引き上げの努力が遅れた。円高で輸出が難しく輸入が容易になる状況の下、輸出型製造業はそれでもなんとか克服したが、国内型製造業と非製造業は現在も生産性の問題を克服できない状況が続いている。

さらに中国や東南アジアが力をつけ、東欧も市場経済に参入し、世界全体が超過需要経済から超過供給経済になった。超過需要経済なら供給側が価格をコントロールできるが、超過供給経済になると消費者サイドの力が強くなり価格破壊が起きる。これに我々の感覚やシステムが追いつけなかった。
まさに金融サイドと実物経済の両面で、グローバリズムへの遅れが日本の地位の凋落につながった。最近になって漸く改善してきたものの、グローバリズムへの対応は今後も大きなテーマと言えよう。

2番目の問題は科学技術の進展、とりわけ90年代IT化が進み、ビジネスモデルが多様化する中で、取り組みが遅れてしまった。流通業で顕著だが、IT化の進展により国内だけでなく外国製品にもアクセスできるネットショッピングなど、消費者サイドの選択肢が拡大するなかで、地方の商店街など、ただ客が来るのを待っているだけの従来型のビジネスモデルが打撃を受けた。

3番目は高齢化に伴う問題。人口成長率が高く若い人が多いピラミッド型の人口構成の時は、規格大量生産・大量消費の規模の経済が成り立った。ところが少子高齢化が進み、かつ価値観が多様化する中では手間暇かけて少数のニーズに応えないといけない。製造業からサービス業へ、今、経済の中に占めるシェアが、製造業は1/4に低下し、3/4がサービス化している。サービス業の生産性の低さ、価格が高くて質の悪い状況が、日本経済の弱みになっている。

こうした要因が相まって構造改革、競争政策が必要になった。パラダイム転換の時代、従来型のビジネスモデルや知識・労働でなく、日本の高賃金を吸収できるだけの付加価値をいかに生み出せるか。雇用問題も今でこそ少し底入れしたが、本質的には「質」の面で満たせないというミスマッチ現象が起きている。失業者の1/5は景気が戻れば解消できるにしても、残りの4/5はおそらくミスマッチに起因するもの。これをどうするか。つまり、科学技術の経済社会へのインパクトが、グローバル化や高齢化と相まって国際間の「人間力」の競争を生み、我々自身の労働の質の高度化、能力の質的転換を迫っている。かつてシュンペータが「創造的破壊」と言ったが、我々は今それを求められている。

ところが日本には、競争政策に対する罪悪感がある。競争は「弱者切り捨て」につながるという考え方が、日本の経済社会の底辺にずっと支配的な考え方としてある。それを官が「公共性」の名のもとに規制を行ってきたのが日本の戦後だ。グローバル化とは対照的な閉鎖された経済の中で、ピラミッド型の人口構成に支えられ、成長が自動的に確保されるような状況下で、政府が「分配経済」の装置として機能した。分野ごとに縦割で予算をつけ、99%の人を掬い上げる、壮大なセイフティネットをつくった。

今は分配でなく競争が必要だ。競争とは、みんなが切磋琢磨して最善を尽くすことだ。個人は自分の労働の質を高めて売り込み、経済的満足を最大化する。企業は質の高い雇用を受け入れて、安い資本を導入して利潤を最大化する。自由市場の中で、企業も個人も自分の最大限のパフォーマンスを発揮する形で行動するのが、競争市場の哲学であり、この切磋琢磨を促すような政策が競争政策だ。

こうした競争政策は、弱者を疎外するものではない。それは、自由な経済活動を保障することで個々の能力を最大限引き出し、その成果でもってセイフティネット機能を強化しようというものだ。ケインジアン的な考え方――人間には、ハーベイロードに住む賢者と、能力的に劣る大衆という2種類があり、エリートが社会をコントロールできるという考えは、私には疑問だ。自由な市場がもたらす明と暗、政府が介入することで生じる明と暗。これを斟酌しないといけない。あまりにも政府がコミットした経済社会のパフォーマンスは悪く、むしろ分権型の経済社会で、それぞれがベストを発揮する方が社会全体のパフォーマンスは良くなると思う。だから「民でできるものは民で」行った方がいい。

併せて言えば、競争政策のもう一方の側面は、民間的な手法を導入して、政府自身の経済活動を効率化しようというものだ。いわば政府への競争政策の導入。官の仕事でもアウトソーシングで民がやった方がいい仕事もあるわけで、新しい行政手法の導入は世界的に行われている。市場経済だけでなく、もう少し広い意味での公共政策の競争化という問題も意識したい。

競争社会は日本で馴染みがないわけではない。戦後日本は、分配経済と競争主義経済を交互に経験した。戦後直後から1960年頃までは競争の時代、どこかが急に伸びるというアンバランスド・グロースの時代だった。それにみんながキャッチアップして成長の果実を分配できる安定社会が80年代まで続いたが、90年代にはガタガタと崩れ、今度またアンバランスド・グロースの時代が始まった。

ただ、分配経済があまりに長く続いたため、最近、中国人は「日本人とつきあうな」と言っている。日本人とつきあうと意思決定は遅いし、社会主義的になると。中国で市場経済化を進めた登(トウ)小平は、「黒い猫でも白い猫でもネズミを捕る猫がいい猫だ」と言った。豊かになれる者から豊かになれ、豊かになれる地方から豊かになれと。これはまさにアンバランスド・グロースのすすめだ。

競争時代、頑張る人はさらに頑張ればいいし、競争に負けたら能力をもっと高めるべく努力する。切磋琢磨の中で、生涯一つの職業だけに就くのではない生き方、複合的なライフスタイルをどうつくっていくかを考えてもいい。競争環境下で、日本的な良さであるチームワークの良さを持ちながら、いかに市場の変化に対応していくかを、今こそ私たち一人ひとりが考えたいと思う。■


関連資料

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