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山内 昌之

2003.05.01
「『現代文明』への視点──
   イラク戦争が示唆するもの」

山内 昌之

やまうち まさゆき
東京大学大学院総合文化研究科教授(国際関係史;イスラーム地域研究)
1947年札幌生まれ。1971年北海道大学文学部卒業後、カイロ大学客員助教授、東京大学教養学部助教授、トルコ歴史協会研究員、ハーバード大学客員研究員などを経て1993年より現職。学術博士(東京大学)。1984年『現代のイスラム』で発展途上国研究奨励賞、1986年『スルタンガリエフの夢』でサントリー学芸賞、1990年『瀕死のリヴァイアサン』で毎日出版文化賞、1991年『ラディカル・ヒストリー』で吉野作造賞、2001年には『納得しなかった男』などで司馬遼太郎賞、2002年『岩波イスラーム辞典』(共編著)で2度目の毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。最新著『戦争と外交―イラク・アメリカ・日本』。


現代文明のあり方を考えるとき、非常に不幸な形だが、「イラク戦争」という世紀的単位の事件を素材に考えてみることも、タイムリーな試みといえよう。

世界的構図の中で、イラク戦争には大きく3つの懸念があった。1つは、まかり間違うと、キリスト教世界とイスラム世界の間に大きな亀裂を生じさせる危険である。2つ目は、戦争によって欧米や中東で一般のツーリストや市民がテロに遭う危険性にほかならない。3つ目に、イラク軍がイスラエルに向かって大量破壊兵器を使い、イスラエルvsアラブ、ユダヤ教vsイスラム教という対立を起こす可能性も憂慮されたことである。戦争とは常に忌まわしいものだが、今回の戦争は、少なくとも以上3つの懸念を回避したことがせめてもの救いとなったといえようか。

今回の戦争でサッダーム・フセイン政権という世界史上稀に見る抑圧的かつ全体主義的な政権が崩壊した。アメリカは、民主化や民主主義という問題を語っており、その問題点も縷々指摘されている。しかし、ヒトラーのドイツやスターリンのソビエトと並ぶほど抑圧度の高い体制下においても、人々の自由への希求度の高さを目の当たりにし、私はむしろ人間の本性としての「自由」の価値の大きさを改めて痛感した。

抑圧からの自由、隷属からの自由への欲求は、人類共通の重要なものだということを、我々自身も認識しなければならない。

イラクは今、カオスの時期を迎えている。人々の自由への希求や抑圧からの解放感が爆発し、秩序維持のメカニズムが十分働いていない状況下で、略奪や暴力が横行している。しかしこれは「過渡期の現象」であり、まもなく解消されるはずだ。非常に強権的・暴力的な帝国が終焉したとき、しかもそれが思わぬタイミングで外からの力がドラスティックに働いて崩壊したとき、自由への希求という内からの反発と結びつき、社会は大きな混乱に陥る。それは1917年のロシア革命時にも見られた現象である。一切自由がなかったところで自由が解き放たれたとき、行き過ぎはあるにせよ、混乱期にしばしば見られる現象であり、問題の本質は長期的な視野から見なくてはならない。

社会事象は時代の文脈で見ていくべきであり、単純にイラク人が貪欲とか公徳心がないなどと断定すべきでなく、風景を日本のように成熟した豊かな先進国の物差しで測ってはならない。イラク市民の新しい自由と民主主義への実験について、ロシア革命時の経験などと照らし合わせて見るような、歴史的に余裕を持った複眼的思考こそ、国際世論には必要でないだろうか。それは異質な文明を見ていくときにも不可欠な見方だと言っても差し支えない。

その中で日本を振り返ると、日本は、古代から現代に至るまで、中国・朝鮮、オランダ、欧米……ありとあらゆる文明的な要素を吸収し、折衷し、出会いの中から新しい成果を、自らに合わせながら獲得してきた。それは、今後の日本人も忘れてはならない日本文明最大の特徴だと言ってよかろう。

とりわけそれは宗教における混淆現象に現れている。クリスチャンの家にもしばしば仏壇や神棚が散見されるように、ほとんどの日本人は幾つかの宗教を生活のなかで併存させてきた。多様な文明を受け入れるという歴史と伝統が、多様な宗教のメリットを、確信的な信仰というよりは年中行事と日常生活の中で捉えるという独特の宗教感覚を培った。

私は日本人のその感覚は健全だと考えている。日本人は、全ての宗教について応分の関心と敬意を持っている。宗教の優劣を語らず、それぞれが独自の歴史的産物と考えるわけである。マルコ・ポーロの『東方見聞録』にマルコがクビライ・ハーンと会うシーンがある。ハーンは「お前たちの神のために祈ろう」といって、イエスキリスト、モーゼ、仏陀などに向かって順次祈る光景が出てくる。ここには驚くほど醒めた宗教感覚と合理主義がある。日本人も宗教について、そういう醒めたリアリズムや合理主義の感覚を持っているのではないか。

日本が特定の宗教文化圏に属さないのは、日本にとって有利なことであろう。ハンチントンの『文明の衝突』は宗教による分類といってもよい。インドや中国という巨大文明圏を成立させたのはヒンドゥー教と儒教の世界観である。他方、多様な宗教が折衷・混合する日本には、独立した文明という範疇を与えられている。そうした相対化の要素を持っていることは、国際関係において、どの文明圏、どの宗教圏に対しても、ある種の自立性と共通性を持っていることになり、有利に働く要因になりうるのだ。

加えて日本人は珍しがりやで、好奇心旺盛な民族なのである。イスラムとはどういう宗教なのかと好奇心を持ち、信者の仕草についても好奇心を持つ。この知的好奇心はすこぶる大事な点であり、世界を見渡しても稀な感覚といってよい。ユダヤ・キリスト教的伝統を持つアメリカでは、テロリズムの問題とからんで、イスラムはますます差別や偏見の対象となるだろう。未知の文明や新規なものに接したとき、日本人は、相手の信仰に敬意を払い偏見を持たず、好奇心からアプローチしてきた。

にもかかわらず、日本人が国際社会できちんと振る舞えない原因はどこにあるのだろうか。それは外国に出たときは一人ひとりが「市民外交官」として「国」を意識して振る舞う必要があるのに、肝心な国家に関わる意識をあまりにも持っていない特性と無縁ではない。国家、秩序、道徳、公徳心を無視した戦後日本の教育が、国際社会での振る舞い方や市民社会での生き方に機能不全を生じさせ、公と私の峻別を驚くほど苦手なものにしてしまった。家庭の平和と調和から社会や国家の秩序・平和観、さらに国際的な世界観まで、全部のっぺらとつながっており、家庭のエゴイズムに満ちた論理がそのまま闘争や妥協や駆け引きを必要とする世界平和の構築につながると思っている。世界には、対話が通じる相手だけでなく、暴力と脅迫とテロをもっぱらにしたサッダームのような者もいる。北朝鮮についても、自分たちの善意が通じるということはないのだ。

素朴な感性に基づく平和信仰に寄りかかることなく、歴史の現実を直視することが必要ではあるまいか。我々は21世紀を「共存と対話の世紀」にしなくてはならない。そのために日本人は、改めて「健全な愛国心」とは何か、日本人の責務とは何かを考え、長い歴史の中で培われてきた日本人の健康な歴史感覚を取り戻す必要がある。醒めたリアリズムと合理主義の感覚を持ち、どの異文明に対しても偏見を持たず接してきた強みを生かしながら、「文明の衝突」から抜け出して「文明の対話」を成功させるために、日本人の担う役割と責任は今こそ大きいのではないだろうか。■


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