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2003.04.01
「『日本文化』への視点──
   今だから考えたい日本的なるもの」

白幡 洋三郎

しらはた ようざぶろう
国際日本文化研究センター教授(都市文化論・庭園史)
1949年大阪府生まれ。京都大学農学部卒、同大学院博士課程単位取得退学。旧西独ハノーファー工科大学に留学し、19世紀ドイツの都市公園の研究に従事。京都大学助教授、国際日本文化研究センター助教授、のち教授。屋外レクリエーションの比較文化研究や日本の生活文化の通文化性など研究。著書『知らなきゃ恥ずかしい日本文化』『花見と桜』『カラオケ・アニメが世界をめぐる』『大名庭園』『プラントハンター』『旅行ノススメ』『近代都市公園史の研究』など。

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「花見」は忘れられた日本文化である。日本文化というと、歌舞伎や能・狂言、浄瑠璃、浮世絵などがあげられがちだが、文化の基本は、もっと大衆的なもの、より多くの人が楽しめるものではないか。

例えば、浄瑠璃は江戸時代に大坂で生まれ、かつて大坂の町人はちょっと金が貯まるとみな浄瑠璃を呻っていた。だけど今、私たちは年に何回、浄瑠璃を聞きに行っているのか。浄瑠璃は江戸時代の日本文化ではあるが、今の日本文化と言うには苦しい。

その点で花見は、過去から今に至るまで日本人の圧倒的な支持を得ている。そのルーツは古く、二つある。一つは貴族の宴。812年、嵯峨天皇が花見の宴を行ったのが始まりだ。それ以前、奈良時代は中国伝来の梅の宴だったのが、平安初期に桜に変わり、以来1200年の歴史がある。もう一つが農耕儀礼としての花見。農事を開始する4月、花が咲く頃に集落全員で山へ登り、神に捧げたお下がりをみんなで食べるという形で会食をする。貴族と農民、二つの文化が交わって、今の花見となっている。

加えて言えば、江戸が農民の花見、京が貴族の花見を受け継ぎ、大坂はちょっと違うスタイルだった。なぜなら大坂は近世唯一の「都市」。一里四方のしっかりした都市は大坂だけで、江戸後期に桜宮ができるまで、都市の中に桜は少なく、人々は大阪城の南東にあった杉山に出かけて野遊びを楽しんだ。貴族的でも農民的でもない、都市民の趣味生活として、緑の中でうたを詠む。その流れで花見にもまた町人らしい洗練があった。

ともあれ花見は江戸時代に大衆文化として全国に広まり、今も日本人の生活に根づいている。「群桜」の下で「群衆」が「共食」するという「花見の宴」は、諸外国には見られない日本独特の行事だ。なのに海外に「日本文化」を紹介する際は、古典芸能というステレオタイプに陥りがちで、花見などは忘れられる。

実は古典といってもせいぜい室町以降。かつて内藤湖南は「室町以前の日本は日本ではない」と言った。室町以前は全く違う生活様式、住まいの構造からして違う。畳を敷かず、板間で、襖、障子もない。貴族でさえ吹き抜けの家に住み、衝立を立てるだけ。食事にしても箸だけでなく匙も使い、飯は匙で食べていたから、食事の作法も違う。能・狂言、生け花、茶の湯など、いずれも室町以降に現れた。だから、それは確かに一理ある。となると日本文化なんてたかだか600年。能・狂言が600年で、歌舞伎は400年、浮世絵は350年__。だけど、それ以前のものでも、今の暮らしに根づいているものはあるし、それ以後のものでも暮らしからは遠ざかったものもある。

一体、日本文化とは何か。過去にあったもの全てなのか、現代にも残っているものなのか。もう一度問い直しをしてもいい。私としては「現代生活に生きていて」「多くの人が楽しめる」「よそにない誇るに足る」ものが、日本文化だと考えたい。

すると、漫画やアニメ、カラオケもクローズアップされてくる。漫画は鳥獣戯画に遡る古い歴史があるし、お堅いお役所のパンフレットにまで漫画を添えるなんて、諸外国ではほとんど見られない。日本発の漫画文化が世界の人々に受け入れられ、それがまた日本への関心につながっている。カラオケも、アジアでは独唱型、ヨーロッパでは合唱型と各地域の好みに合った柔軟な形で世界中に広まり、多くの人を楽しませている。寿司をはじめとした日本食も海外ではポピュラーで、中国人がやってる寿司屋も多い。日本人の店が高級すぎるのに対し、中国人の店はテイクアウトもでき、気軽な雰囲気が受けている。

こうして世界に広まっている日本文化は、かつてのように「いかにも日本らしい」エキゾティシズム溢れるものではない。だからそれを日本文化だと思わずに楽しんでいる外国人も多い。

思うに、日本文化の不幸は、自らの文化をあまりにも狭く規定してきた点にある。これまで日本は「恥ずかしくないものを」とか「これなら外国人にも受け入れてもらえるだろう」とか、あらかじめこちらで選んだものを日本文化として世界に紹介してきた。

しかし文化理解は予測がつかない。先日パリへ行ったとき、「コスプレ」とカタカナで書かれた雑誌が売られていた。日本からの輸出品ではなく、向こうでパリ風にアレンジされ編集された雑誌だ。あまり知られたくなかった日本文化、「誇るに足る」ものではないかもしれないが、それも日本であり、世界にはそれを受け入れる人もいる。

好むと好まざるとに関わらず、生活文化がボーダーレスに世界を巡る今、そろそろ日本も、「日本文化」の呪縛から自由になった方がいい。文化は自分たちで決めて押しつけるものではなく、相手が自由に選び取るもの。伝統だ、芸術だ、と大上段に構える必要はない。今でこそ歌舞伎は、古典芸能として凄い哲学的な解釈がなされているが、もとは「傾(かぶ)く」――華美な風体や常軌を逸した振る舞いの若者文化が母胎であり、現代のストリートダンスに似た始まりを持つ。決して始まりは「誇るに足る」ものではなかったが、多くの人に受け入れられ、広がり、根づき、洗練されていった。

そう考えれば、日本の多様な現代文化、俗っぽい生活文化も、もっと堂々と、ありのままを見せていけばいい。今までの日本文化交流は、いわば見合いの「釣書」(つりがき)のようなもの。相手に良く思われたいのはやまやまだし、国際交流も最初はそれでよいが、むしろ自分を正直に出した方が、相手からの信頼を得やすいし、理解も深まる。国際交流、国際理解も見合いの時代は終わった。ここ数年、ようやくそれに気づき始めたことが日本文化にとっての革命だ。「釣書交流」「釣書外交」を辞めることから、世界に通じる新しい日本文化、日本の姿が見えてくる。■


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