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2002.10.15
『都市文化』への視点──
  『多様』が上方の『一途』を創る

松岡正剛

まつおか せいごう
編集工学研究所所長;帝塚山学院大学教授
1944年京都市生まれ。早稲田大学文学部卒。1971年工作舎設立、オブジェマガジン『遊』創刊。1987年編集工学研究所設立。世界初のインターネット上の学校「ISIS編集学校」を開設するなど、編集工学の教育メソッド化に取り組む一方、ソロ活動として日本の歴史文化の思想と技術を伝承するための執筆や「私塾」スタイルによる連続講座も展開。主な著書「花鳥風月の科学」「フラジャイル」「知の編集工学」「日本流」など。

編集工学研究所


上方とは、もともと何を考え実現する場所だったのか? 2001年、僕は『上方伝法塾・いろは日本』という講座を開いたが、「上方とは何か」を関西の人自身、案外解っていなかった。

例えば、大阪の都市文化において、町民が創った画期的な私塾「懐徳堂」や「適塾」さえ知られていない。山片蟠桃や福沢諭吉といった錚々たる人材を輩出し、こんな私塾が現代にあれば日本も何とかなると思えるほど、関西にとって大事なものなのに。

ここ20年ほどの上方は右往左往するだけで何も見ていなかった感があるが、明日を考えるとき、歴史を見直すのが案外早いと僕は思っている。大阪の特性は近世に現れた。人情や粋、がめつさや、吉本につながる「にわか」もその時代だ。だから、まず近世の大阪を知ってほしい。次に近代。大阪を商いの町と言うのなら、近代大阪の経済を誰がどう創ったか、近代に大阪がなぜ遷都を考えられるほど重視されたかを、近世の次に見てもらいたい。

それが解らないと昨日や明日の大阪は解らない。近世と近代の骨格が現代に生きているのか、どう崩れたのか、何が残り、何が失われたか──それを解って初めて、失ったものを何で埋めるか、新しい可能性をどこに見出すかという議論になる。

実際、関西はかなり変わっている。自分で自分の席を決めたがる関西人には、普通の組織論は合わない。アジアと結ぼうとする関西にはアメリカ型のグローバリゼーションは合わない。近世・近代に潜む大阪のミーム、特殊性を見抜き、早く生かしてやることが必要だ。

そもそも大阪は歴史的にはエクスチェンジ・トランジットゾーンとして、つねに痛快な役割をはたしてきた。異質なエネルギーをすぐに吸収し、新しいモデルを創り出す。そしてそれを全国開花させるトランジットの機能を持っていた。

それは、「文楽」がなぜ大阪で生まれ、「浮世絵」はなぜ江戸だったのか、を考えれば解る。浮世絵はメディアアート。情報だけ抜き出して編集するのは東京っぽい。だけど大阪は、曽根崎心中など大阪で起きた事件を文楽にする。人形浄瑠璃や長唄、浪花節、漫才も含めて、現実を全部そこで食べ尽くす。メディアにせず、ライブのまま芸として永遠のものにする。この違い。大阪には印刷会社はあっても出版文化はない。となれば都市文化を考えるとき、メディアセンター大阪を創ってもダメ。東京はスキャンダルをメディア化し、大阪はニューシネマの名作にするという、風土の違いがある。

ところが今の関西らしさの議論は、吉本とか、「強い」ものから入っていて、それがコケると、もう手がないという状況。しかもその場のウケ狙いのコントでは、文化として何も残らない。もう一回聴きたいという名作を残さないやり方で、文楽に勝てるのか? それは大阪の近世近代のやり方ではない。

大阪は今、生きてある多様なものを全部褒められる力がなくなっている。かつては飛田や十三、鶴橋、天下茶屋も、それぞれに面白かったのに、今は面白いと言えば吉本だけだと思いこんでいる。僕は吉本に頼っていたのでは大阪はつぶれると思っている。もっとたくさん、百花繚乱を言える力をつくりたい。

一方で悲しむ力もなくなっている。池田小学校の事件のあと、校舎を封鎖して記憶を消すと聞いて、僕はダメだと思った。震災もそうだが、辛い現実が残っているのに、それに封をして、楽しく頑張っているというだけにしてしまう。伏せてはダメだ。語り続け、ライブにして、曽根崎心中にして残していくのが大阪ではなかったか。

大阪は中途半端に均質的になってしまった。ヘテロジニアス(異質)なものを創れるのに、ホモジニアスになった。均して平板化してしまった。

これでいいのか? もともと大阪はアジアっぽいし、多国籍。明治維新のとき、大久保利通が大阪遷都を考えたのは、そこだった。ところが、今はそれを出そうとせず、何もかもを衛生無害にしている。それだと大阪の個性は起爆してこない。僕は大阪が比較すべきは、高密度異色都市である上海と福岡だと思う。大阪はこれに対抗するために、この二つを勉強した方がいい。

そして埋もれたハードウェアの意味から土着のエネルギーを学ぶとよい。それは「箱もの」を増やせということではない。町の「風合い」の意味を引き出してほしい。道頓堀すらゲームセンターになり、どこも同じコンビニができ、スポットとしての力はなくなった。だけど、高麗橋は古代朝鮮使節に由来するのだし、淀屋橋は近世大坂の豪商・淀屋が架けたものだとか、現代的に語ってゆくことで、町の風合いを増やしてゆく。「多様」こそが上方の「一途」を創るということだ。

基本的に僕の都市文化の考え方は、「フラジャイル」。壊れやすさを大事にしたい。均質で長持ちする空間だけではつまらない。強がってばかりいるとパタっと倒れやすい。もっと柔軟に、弱さ、危うさ、曖昧、異端など、壊れやすいものを大事にした方がいい。

もう一つは「超部分」。全体にも部分にも似ていないが、全体を変える力を持つ超部分。例えばアメリカ村は、大阪にもアメリカにも似ていないのに、大阪を変えてしまった。そんな超部分をもっと創りなさい。

一方で非常に変化の激しい壊れやすいものがあり、また一方でどこにも似ていない超部分がある。そんな多様な大阪、そんな上方が僕は好きなのである。■


関連資料

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