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2002.10.01
「思考停止の改革論」

紺谷典子

こんや ふみこ
エコノミスト;日本証券経済研究所主任研究員
1944年東京生まれ。早稲田大学文学部卒。68年日本証券経済研究所入所、84年より現職。専門は金融論、日本経済論。国際基督教大学、上智大学、お茶の水女子大非常勤講師を歴任。法制審議会、中小企業政策審議会、地方制度調査会などの委員を務める。「女性投資家の会」代表幹事。

女性投資家の会


小泉改造内閣が発足した。「私の改革に協力してくれる人を選んだ」と小泉サンは意気軒高である。支持率も回復、国民が小泉改革に寄せる期待はいまだに高いようである。

一方、株価は底値を更新し、失業率や倒産は相変わらず過去最高水準を続けている。小泉政権になってから、国民生活はむしろ改悪が続いている。思えば、これまで改革政権が登場するたびに、国民生活が悪化してきたことは不思議なほどである。

小泉総理は改革は進行していると断言する。たしかに"改革"はいくつか実現した。しかし、それが私達の生活を改善してくれるかどうかは、検証が必要だ。

たとえば「医療保険改革」。これまで2割だったサラリーマンの自己負担は3割にアップ。定額だった高齢者の負担も、基本的に1割負担、一定以上の所得の高齢者は2割負担にアップ。小泉総理は「三方一両損」の改革と、大岡裁きの印象を振りまこうと懸命だ。しかし、三方とはいうものの、いずれも国民の負担を増やすものでしかない。

医療保険改革を行うなら、医療制度の見直しは不可欠なのに、それは手つかず。ただ単に、保険財政の不足を国民におしつけ転嫁しただけなのに、これのどこが改革か。

5年前の橋本政権下でも、小泉厚生相は、医療保険改革を行った。このときも改革とは名ばかり、国民負担を増加しただけで、2000年には行うと約束した医療改革は行われなかった。小泉改革を支持する人々は、これまでの彼の"成果"をどれほど検証したのだろうか。

今回の"医療保険改革"にあたっては、坂口厚相もいわゆる厚生族の議員達も強く抵抗した。不況の最中に国民負担を増やさなくても、医療制度の見直しで済むのではないかと主張した。しかし、マスコミはこの「抵抗」を、患者が減っては困る医師の代弁でしかないと決めつけた。実は、国民の代弁でもあったのに。

いったん一方を改革派と位置づけると、それと異なる意見はすべて反改革の抵抗勢力ということになってしまう。しかし、「改革」という言葉はひとつでも、人によって立場によって望ましい改革は異なる。男と女、都会と田舎、企業と家計、高齢者と若者などなど。とすれば、改革と反改革という単純な色分けにはなかなかならないはずなのだ。

「私の改革に反対するものは抵抗勢力」という小泉総理の改革姿勢は、実は本当の改革からもっとも遠いだけでなく、民主主義からも遠い。自分の利益追求ではなく、最大多数の最大幸福を求めるなら、改革の第一歩は、異なる意見に耳を傾けることでなくてはならない。

日本の文化は、白か黒かと二者択一を迫るような幼稚なものではなかったはずだ。たとえば縁側、庇、障子のように、内ともつかず外ともつかず、光が入るような入らないような「あわい」の価値を重視してきた。異質なものの融合、攻めぎあいの中に、より高い価値を見いだしてきた。

単純な二分類の構図の中では、重要なのは「改革」のレッテルであって、中身ではないらしい。改革という名の改悪のつけを支払うのは、結局は国民自身なのだが、国民はレッテルだけで判断するというほとんど思考停止の状態に陥っている。

「道路公団の民営化」がなぜ改革なのか。民営化するということは、道路が民間企業の営利追求の手段になるということである。道路は、人と物の流れを作ることによって、一度もその上を走ったこともない人にまで恩恵を及ぼす。だからこそ、社会資本なのであり、どこの国も税金で作っている。

しかし、日本では、財政当局の誘導で、利用者負担で作ることを当り前と思いこまされてきた。そのために通行料が高くなり、せっかく作った道路が使われない。作ったものを使わないことほど、大きな無駄があるだろうか。

財政赤字のキャンペーンの中で、政府の役割、公的補完、公共性の重要さが見失われた。挙げ句、行政や公共事業まで「採算」が最重要視されることになった。しかし、採算がとれないが国民が必要とするものは多い。だからこそ国民は税を払う。公共的な役割があるからこそ、規制もあれば保護もある。

なんでもかんでも民に任せて良いなら政府は要らないはずであろう。市場メカニズムの自由競争に任せたために、公害が発生したのではなかったか。自己責任の名の下に、銀行の健全性を判断する義務を国民に負わせるなら、なんのために金融当局は存在しているのか。行政の失敗の金融危機を国民の預金で処理するのも、市場メカニズムの時代だからだそうである。

目先のコストにだけ目を奪われて自由競争を取り入れた結果、かえって大きなコストを負担する場合もある。金融自由化は、過疎地の金融サービスの低下、小口の手数料の上昇を招いた。航空自由化によって、米国では、地方便が激減し、運行の安全が犠牲にされたと指摘されている。

電力の自由化も同じである。カリフォルニアの経験は、料金の低下、安定にこだわりすぎた結果、長期的、安定的な電力の供給が犠牲になることを示した。

財政構造改革が、最重要課題になっている現状はおかしい。財政資金は、国民が国民自身のために拠出した税金だ。財政は国民生活を護るための道具でしかない。それなのに、自殺者が3万人を超え、失業倒産が過去最高レベルの今日、さらに国民生活を痛めてまで、財政再建を優先するのはなんのためか。

国民生活の健全性を犠牲にして財政の健全化を急がねばならない理由は、財務省にはあるかもしれないが、国民の側にはないはずだ。

国民のための改革なら、国民に安全と安心をもたらすものでなくてはならない。しかし、財政へのつけ回しを恐れるため、財政の危機だけでなく、年金の危機、医療保険の危機までがおおげさに喧伝され、国民は不況の中で、将来不安に苛まれている。小泉改革は、一体何のための誰のための改革なのだろう。

改革と同様、グローバルスタンダード、規制緩和、自由競争などが最近人気の言葉である。護送船団や横並びはけしからん、だから自由競争だと言うのだが、グローバルスタンダードを無定見に受け入れるのは、国際的な横並びを求めるものである。異質なのは日本だけではない。各国はそれぞれに異質である。異なる文化と歴史を持ち、異質だからこそグローバル化の意味がある。

本当の改革は、日本が日本の歴史と文化に根ざした強みを発揮し、世界に貢献することである。日本の良いところ、強いところを伸ばしてこその改革である。それなのに、グローバルスタンダードを振りかざされて、日本は一億総自信喪失に陥っている。

国民に安心と安全を与え、国民が明るい将来展望を持てるようにすることこそ、政府の役割であり、本当の改革であろう。■


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