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内田 樹
内田 樹

うちだ たつる 神戸女学院大学文学部総合文化学科教授(フランス現代思想、映画論、武道論)
1950年東京都生まれ。東京大学文学部卒、東京都立大学大学院人文科学研究科仏文学専攻博士課程中退。東京都立大学助手、神戸女学院大学助教授を経て、教授。著書「ためらいの倫理学」「『おじさん』的思考」「寝ながら学べる構造主義」「大人は愉しい─メル友おじさん交換日記」「レヴィナスと愛の現象学」など。合気道6段。

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■おじさん的常識(3)
「教養について」

2003.01.15

日本人の教養の欠如が指摘されて久しい。

私が「これはたいへんなことになった」と思ったのは三年前、学生からのレポートの誤字に「無純」という文字を見出したときである。
私は後頭部を鈍器で殴りつけられたような衝撃を感じた。
30年前にも、「矛盾」の字が書けない大学生はいくらもいた。でも、彼らはそれを「予盾」とか「矛循」とか書き間違えはしたが、まさか「無純」と書くものはいなかった。

なぜ、こういうことが起きたのか。
この学生のレポートにおける「無純」は「正しい意味」で用いられていたから、彼女は「むじゅん」という語音とその意味を知っていた。にもかかわらず、彼女はその語音と概念を、本や新聞で繰り返し出会ったはずの「矛盾」という文字と結びつけることができなかったのである。

これを説明する理由は、彼女が「矛盾」という読めない字を見たときに、「この字は何と読むのだろう」と考えもしなかったし、誰にも尋ねなかったし、辞書も引かなかった、ということしかない。

どうして、「何これ?」という問いを発さないのか?
今の学生たちに共通するのは、この「何だかわからないこと」について、それを訊ねるという姿勢の欠落である。
「何だか分からないこと」は無視するというのが、いまどきの若者のかたくなな習性である。立ち止まって、「これは何だろう?」と熟考したり、人に訊いたり、調べたりという習慣は、今の子どもたちのうちにはもう存在しないらしい。

それはたぶん彼らだけの責任ではない。
だって、彼らの周囲には「これは何だろう?」という謎が多すぎるのだ。そして、その謎のうちの99%は「知っても、どうということのないクズ情報」だということである。

例えば、私の手もとにある情報誌の「ロンドン音楽情報」のコラムの最初のパラグラフ。
「イアン・シンクレアの最新作『ロンドン・オービタル』の出版に合わせ、ロンドンの『バービカン』で一風変わったイヴェントが催される。グランダから出版されるこの本はM125に捧げられたものだ。このイヴェントでは、ワイアー(“アヴァン・ウェスイヴ/ポスト−ギャルド・パンクス”彼らを覚えているかな?)、思い思いに装ったKLF(覚えている?)、ビル・ドラモンド(100万ポンドを燃やした男!)、起きがけにたっぷりのスコッチを呑むことで有名なSF作家J・G・バラード、そして最近ではピジン英語を世界的な言語として広めるプロジェクトと腹話術ワークショップで知られる紳士ケン・キャンベルといった突飛なキャストが集められた。」

私はこのパラグラフの中の固有名詞で知っていたのは「ロンドン」と「J・G・バラード」だけであった。その他の固有名詞は知る必要があるものなのか、そうではないのか、私にはまったく判断の基準がない。おそらく、いまどきの子どもたちにとっても状況は変わるまい。

分かる者ははじめから知っているし、分からない者は知ろうとしない。 たぶんそんなふうにして、子どもたちはもう限定的な情報を時間をかけてゆっくり玩味するという習慣を失ってしまったのではないかと私は思う。

私が子どものころの「知らないこと」との関係は実に単純だった。 新聞や雑誌を読んで、「これは何だろう?」と私が疑問に思うような「知らないことば」のうちに、「知る必要のないことば」はほとんど含まれていなかったからである。

子どもだった私は、こたつから手を伸ばして、ミカンを食べながら畳の上に転がっている雑誌を拾い読みし、ときどき横目でテレビのクレージーキャッツの番組を見ていたが、実に「そこにあるものだけ」知っていれば、リアルタイムで日本と世界で起きつつある事象については、ほとんど網羅的な情報を得ることができたのである。

思えば牧歌的な時代であった。
父親の買ってくる『文藝春秋』の忠実な読者であった小学生の私は国際政治についても、古典文学についても、ハリウッド映画についても、基礎的な教養をこのような「単純な情報環境」で身に付けた。

今の子どもたちは情報の洪水の中で溺れている。「こたつでミカン」的な情報摂取スタイルをもってしては世の動きにキャッチアップすることは絶望的に不可能である。
逆説的なことだが、いまの子どもたちに教養を回復させるためには、情報を遮断するしかないように私には思われる。■



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