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おおい町の語り部たち

福 谷

  大火勢
  (県指定無形民俗文化財)
田中保一さん
語り部
田中 保一 さん
 乱舞する炎の豪快さに思わず嘆声

 かつては大飯町の各地で行われていた大火勢ですが、福谷の大火勢は、江戸初期から始められたと言われ、区長や大火勢保存会の人々により今日まで受け継がれてきた豪壮な火祭りです。8月14日・15日の2晩続けて行われ(平成6年までは、8月23日・24日に実施)、2夜とも、区の入り口に近い火勢山で上げられます。初日は伊射奈伎神社へ、翌日は熊野神社へ奉納されます。当日は午前中に、長さ14mくらいのヒノキの棹に横木を5段輪状に束ね、昔は麻殻(おがら)、今はないので、アシやススキを乾燥しておいたものを、棹の先端と5段の横木に結んで作った火勢を山上に用意しておきます。そして午後8時頃、地蔵前に集まり、高張提灯を先頭に、笛、鉦(かね)、大太鼓ではやしながら、各自松明をかざし、火勢山へ登ります。
太鼓
     そこで素朴な山踊りを踊り終わって、大火勢に点火。力自慢の人が棹に肩を入れると、数人が叉(また)のついた突っかい棒で支え起こし、同時に1本のロープを引いて直立させます。暗い山の頂に大火勢がパチパチ音を立てて燃え上がる様は、遠い佐分利川の堤防からもよく見えます。やがて火勢棹を回転させ、また倒しては起こす、これを数回繰り返します。この間、約1時間、笛、鉦、太鼓は鳴りやむことなく、火勢棹の動きはすべて大太鼓の合図に従います。乱舞する大火勢の勇壮・豪快・荘厳さには、思わず嘆声をあげてしまうほど。やがて燃え尽きると、高張提灯を掲げ、麓に出迎えている大勢の男女とともに、伊射奈伎神社まで歩き、境内で夜遅くまで踊り続けます。
火勢棹の動きは太鼓の合図に従
うため、太鼓の役割は大きく、火
勢山で1時間近く叩き続きます。

 「この大火勢は、愛宕信仰に基づく火災鎮護の祭りで、毎年、愛宕講の代表者3名が京都の愛宕さんまで火をもらいに行きます。その火で提灯や松明、火勢に火をつけます。子供の時は、子供なりに綱を引いたり、道中で太鼓を叩かせてもらったりして楽しく、火勢の日が来るのを待ち遠しく思いました」と大火勢保存会の副会長の田中保一さん。「とにかく大火勢は人数がいります。実施日を14・15日に変えたのも、お盆休みの方が一人でも多いだろうと考えたからです」。田中さんの言葉から、戦時中も欠かさずに行われたこの火祭りを今後も絶やすことなく続けていきたい、との強い意欲がうかがえます。
    豪快な大火勢
    大火勢
豪快な大火勢は、福谷区の他に
鹿野区、父子区でも行われており、
愛宕信仰に関わる火勢、または松
明上げは、かつては佐分利地区で
はほとんどの集落にありました。

引き継ぐ人
白谷 正廣さん
太鼓の勢いで、
火勢が上がると言われる
ほど重要なんです。

火勢の太鼓をやり始めて20~30年になりますかね。太鼓は面白いし、打っていて何かしら力がもらえる感じがします。「太鼓の勢いで、火勢が上がる」と言われているくらい太鼓は重要で、昼間にしらふでやっても上がりません。難しいのは、太鼓のリズムと優雅な身のこなし。今は私が引き継いでいますが、何とか私の次の後継者が出てきてほしいね。
白谷 正廣 さん
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