ミライスイッチ 関西電力を支える社員たちの本音で語り合う座談会 ミライスイッチ 関西電力を支える社員たちの本音で語り合う座談会

vol.3 私らだって当時は「お前ら新人類やな」
って言われてました

Q1: 今現在のお仕事の内容は?
架空送電線路 保守業務  現在、架空送電部門専門技術技能者
Q2: これまでの経験で一番、大変だったことは?
H7阪神淡路大震災を経験。情報収集の大切さ、確実な復旧方針、応急復旧方法等を学び、非常災害時における業務のあり方が経験できた。
Q3: 関西電力で働く後輩に一言!
第一は信頼される人になってほしいです。人によって能力差があり、できる業務量は違いますが、自分のできることを、精一杯やり意欲をもって取り組む姿勢が、みんなの信頼を得られる第一歩と思います。
Q1: 今現在のお仕事の内容は?
京都電力部送電用地G 占使用管理業務(道路河川等官公有地の当社設備使用における許認可申請及び許可書の管理)
Q2: これまでの仕事でやりがいを感じたのは?
お盆の夜に落雷で長時間広範囲の停電事故あり、お詫びと事故説明の広報に廻ったことがある。お客さまから怒られるものと覚悟したが「大変やけど頑張って」と励まされ理解していただいていることに感謝したこと。
Q3: 関西電力で働く後輩に一言!
会社の仕事だけを考えるのではなく、自分の住んでいる地域社会とのつながりを持って欲しい。社外にネットワ-クを持つことにより、仕事に役立つこともあり、また考え方の視野も広がってくる。

「え~、なんで入れたん!?」って
当時はビックリされました

二人が入社したのは?

山本 忠和(以下/山本)
僕は昭和53年、1978年ですね。
石井 義教(以下/石井)
勤務は昭和55年からですが、関西電力学園の高等部に入ったのが昭和52年やから、もう40年になります。

※2002年まで大阪府茨木市にあった、関電の技術系社員を育成する学校

おぉぅ…歴史がありますね。もともとのキッカケって、なんやったんですか?

山本:
ホンマのこと言うと、公務員になりたかったんやけど(笑)。高校の進路指導で言うたら、「たぶん無理やしやめとき。コネがないから」って。
石井義教

コネ!?

石井:
時代やね(笑)
山本:
(笑)で、「関電の募集があるから受けてみるか?」と。もともと公務員になりたかったのも、給料が安定してるって理由もあったけど、人の役に立ちたいなという思いがあって。関電も普通の企業より公益的っていうか、周りのみんなのためになることができる印象やったから。

住まいはどちらやったんですか?

山本:
京都市内。生まれも京都で今も京都。どっこも出てへん(笑)。

箱入りの京都人ですね! 石井さんは?

石井:
僕は富山やったんですが、黒部ダムとか川沿いにダムがありますやん。そこから電気を送ってるのが関西電力やったから、働いている人が結構おって有名やったんですよ。それで関電学園の募集があって。家も貧しかったし、中学卒業したら行こうかなと。

学園にはいろんな地域から集まってたんですか?

石井:
近畿が中心でしたけど、北陸や四国は結構。昔は電源地域の出身者が多かったんですよ。
山本:
発電元の地域ね。
石井:
そうそう、だから確か24人の同期のうち、富山の人間が6人おりました。

入社したときの関電の世間的なイメージって?

石井:
半公務員のように見られてましたね。昔の人は「カンパイさん」って…戦後にできた母体が「関西配電」やったから、そう呼ぶ人が多かった。

親しみと敬意を込めてって感じですよね。割とその時代って、ブランド力が強かったような…。

山本:
入った本人より周りのほうがビックリしてましたからね。親戚とか近所の人から「え~!なんで入れたん!?」って(笑)。けど同期も多かったですしね。僕らのときで新入社員1,000人ぐらいやったかな?
石井:
一番多いときちゃいます? 受ける人も多かったし、僕とこも狭き門ではありましたけど、まだ中学生やったから、アカンかったら普通の高校に入ればいいやって感じで、気楽に受けてる子らもおったからね。

なるほど。そのときって、仕事の内容ってわかってたんですか?

石井:
入学の時点で、送電※1コースと配電※2コースに分かれるんですよ。採用のときに、どちらがいいか、ニュアンスだけは聞かれて。

※1主に発電所から変電所にいたる電圧の高い電力設備を所管する
※2主に変電所からお客さまにいたる電圧の低い電力設備を所管する

山本:
聞かれてもわからへんやん、そんなん(笑)。
石井:
でも送電を選びましたよ。実家に帰ってこられる可能性が高かったから。
山本:
ああ、なるほど! 配電は富山にないもんね。供給先が関西エリアやし。

でも、帰れて…。

石井:
ないです(笑)。神戸電力所の架空送電係に配属されて以降、ずっと界わいの鉄塔に登ってます。入るときはまだ中学出たてやったから、帰れたらいいなって思ってたけど…。
山本:
都会に染まってしもたんやな(笑)。
石井:
こっちで結婚してしまうとね(笑)。
山本:
技術屋さんはわかりやすいけども。
僕らは事務系やから、「電力会社に俺らが行って何するんやろ」って、入社まで、まったくピンときてませんでした。鉄塔にしろ変電所にしろ、ウチの設備がある土地って、はじめから会社のモンちゃうから、取得するなり借りるなりせなアカンのですよ。今はその折衝をしたりする用地部門にいるんですけど、用地を取得できて初めて建てられるんやということを入社後に、つくづく感じるようになりました。
一同:
うんうん。
山本:
電柱にしたって、会社に入る前は勝手に立ってるモンやと思ってたから。でも実は、土地の持ち主に使用料を払ってるんですよね。それがなかったら電気も供給してもらえへんやんと思ってたけど…今、電柱て邪魔やと思うでしょ。

(笑)無電柱化が進むと、そういうイメージがね。

山本:
しかも関電の電柱に乗ってるのは電線より、通信線の数のほうが今は多い。
石井:
いろんなん載せてるからね(笑)。

だから簡単に地中化できないんですか?

山本:
費用の面もありますけどね。災害のとき、電柱が倒壊したら復旧の車両が通れなくなるということで、国は幹線道路の無電柱化を進めてますけど…ただ、やっぱり阪神・淡路大震災のときは、電柱があったから復旧が早かったんちゃうかなと。
石井:
そうなんですよ! 地中やと、どこが切れてるかわかりませんからね。全部やり直さないとダメやないですか。ところが上にあったら一目瞭然で、それをつなぎに行ったらいいだけですから、復旧は確実に地上のほうが早いんですよ。

1.17の大震災で
おおかたの復旧は1週間ぐらいでできて…

山本:
だからガスは復旧に時間がかかるんですよ。全部ちゃんとつながないと供給できませんからね。電気は部分的にでも、線さえつなげば順番に供給していけるけど。

なるほど

山本:
ガスの代わりは電気でできても、電気の代わりはガスでできひんから、早く復旧させんとアカンでしょ。今は家庭でもガスで電気をつくることはできるけど、結局は電気のエネルギーに変えなアカンのやから。

確かに…。石井さんは震災のときって?

石井:
淡路島やったんですけど、洲本電力所って震源地から離れた場所やったんで、被害が少なかったんですよ。ただ、神戸は軒並みやられてて、神戸支店のビルもぐしゃっと。必死でモノだけ出して、仮の社屋を本拠地にして。あのときは応援班も、すごい人数でしたね。
山本:
各支店からみんな駆けつけて。
石井:
他の電力会社からも応援に来てくれてましたからね。とても送電できる状態じゃなかったから、変電所から変電所へ走ってる線は完全復旧するため遮断するとか、そういう対策をとったんですよ。ヘンに流すより切ってしまったほうが、全体で見ると復旧が早まるとかがあったんで。

それって災害前にマニュアルがあったんですか?

石井:
ある程度の大筋は決まってたんでしょうけど、最後の詰めは現場を見て、こっちを先に復旧したほうがいいとか考えながら。変電所まで電気が来れば、次このルートに通らせたら一番早いんちゃうかとか。指示する人が偉かったんですよ。僕らは指示を受けて作業する側でしたが。
石井義教
1988年頃、京都支店経理課(購買)
「請負契約、資材契約の発注手続きに追われていました」
山本:
おおかたの復旧は1週間ぐらいで。むっちゃ早いなと思いましたね。僕はそのとき、京都支店の経理課で、資材購入や請負契約の担当をしてたんですが、現場での作業はできないから、事務屋がやれる仕事を手伝いに行ってました。
請負業者さんの工事も、本来なら事前に契約を結んでやってもらうところ、そういう緊急事態やから、とにかく行ってやってもらって、その事後契約処理とか。最初はまだ電車もつながってなかったんで、2つ手前の駅ぐらいから歩いて、三宮の仮社屋に行ってましたね。
石井:
僕は作業がひと段落したら、復旧資料の作成に取りかかっていました。作業中から「これ最後に絶対、記録書つくるからな」って上司に言われてたんで、きっちり情報収集してました。

なるほど、今後の災害時のためにもね。

山本:
あのときの働きぶりは、みんなすごかったですね。復旧の様子を記録した映像も残ってますけど、見たら感動しますよ。
1987年頃、中央送変電建設事務所
京都府亀岡市山中で新設送電鉄塔の組立検査を実施中
「鉄塔上は寒いので、防寒服で完全防備」

近ごろは災害でもない限り停電することも少なくなりましたけど、入社した頃は…。

山本:
雷が鳴ったらよく停電してましたね。今やと電柱に落雷しても、いろんなルートから送電できるようになってるんで、長時間止まることがないんですけど、昔は1か所アウトやったら広範囲で停電して。事故の発生箇所を探すのも難しく、見つけても復旧に時間がかかって、2~3時間止まることもザラでしたし。
石井:
今でこそ落雷があっても瞬低(瞬時電圧低下)があるくらいで。事故ったときは一応止まるけど、すぐ別のところから流れるんで、「一瞬チカッとなったな」ぐらいで終わる。
山本:
昔は台風でもね。
石井:
そうそう、1か所、切れたらそこより奥は全部止まるんですよ。今はそこら中から電気を回せるようになってるけど。
山本:
入社して最初の宮津営業所にいた頃、ちょうどお盆の時期に落雷で停電があって。夜の7時ぐらいやったかな。
石井:
一番悪いときですやん!
親族が集まって団らんしてる時間帯(苦笑)。
山本:
日が悪かった~(苦笑)。長時間、止まってごめんなさいって説明とお詫びに回るのに、怒られるの覚悟で行ったけど、「大変やけど頑張って」と逆に励まされたんですよね。それはすごいありがたかったなぁ…。

理解してもらえてたんですね。
今やったら、止まらへんのが当たり前になってるけど、それも努力の積み重ねですもんねぇ。

山本:
今の用地の仕事もそうですけど、やってる仕事が直接的じゃなくても、電力供給の義務を果たす一端を担えてるなって思えると、やりがいを感じますね。

経験とカンと・・・度胸!
パソコンもなく、全部手書き

でも長いことやってたら、イヤになって辞めたいと思ったことはなかったんですか?

山本:
それは正直、なかったですねぇ。ウチの会社って、もし辞めたとしたら、近所の人から「絶対おかしい!」「なんかしたんやろ!」って思われるような…。

そういう企業のイメージが!

山本:
そう思いますよ(笑)。会社入ったときの講習で、とりあえず3年はガマンしぃやと。イヤな上司がおっても3年の間に異動になるやろし、続けられるやろって聞いとったんですけど、幸いイヤな人もおらんかったしね。そのあたりは技術屋さんのほうが大変ちゃうかな。チームで人間関係が悪かったら、仕事にも支障があるやろし。
石井:
でもまぁ、ないですねぇ。辞めようと思ったことも。一杯呑んだら忘れるっていうのもありますしね。発散できればなんとかなるじゃないですか。

ストレスが溜まることもあるんですか?

石井:
…そういえば、ないなぁ…。ストレスを受けてるとも思ってないし。ちょっとしんどいな、今日は行きたくないなって思うことは、あるにはありますけど。行ったら行ったで、「仕事しよか」ってなるんで。
1982年頃、宮津営業所。新入社員への広報車両の点検の指導の様子。
「当時は車両運転時にもヘルメットを着用していました」

行きたくなくなるのは、どういうときに?

石井:
昔、淡路に転勤して間もない頃、細い道ばっかりだったんですよ。だから運転したくないなっていう。
一同:
(爆笑)

そんな理由!?

石井:
現場に行く道が細くて(笑)。あんまり運転上手じゃなかったから、脱輪したら面倒やなって。ありがたいことに、イヤな人も特におらんかったしね。人間やから「コイツのここはイヤやな」って思うことはあるけど、その人自体がイヤなわけやないから。そこで苦労したことはないですね。
山本:
人間関係さえ良かったら、ナンボしんどくても続けられると思うわ。

仕事面でのストレスもなく?

山本:
…ないなぁ。腎臓イワして半年間、入院したことはあったけど。

えぇ!?

山本:
血尿出て病院行ったら即入院って。でもそれまでストレスも感じてなかったし、自覚症状もなかったんですけどね。デミング賞(TQM=総合品質管理に関する世界最高ランクの賞)もらったあとぐらいの時期。
石井:
あぁ~…大変でしたもんねぇ…。

確か1984年ですよね。

山本:
そうそう。阪神優勝の前の年(笑)。受審するのに書類を整えなアカンのですが、1年くらい前から準備作業をして。
石井:
細かぁ~いんですよ。1か所、直しても、またやり直し。
山本:
TQC(全社的品質管理)を導入して、仕事のやり方をデータに基づいた方法に変えようとするんやけど、あれはしんどかったわ…。それまでは、経験とカンと…。
石井:
経験とカンと度胸と。
山本:
そう(笑)。そういう、個々人の経験とか能力に頼った仕事のやり方じゃなく、データに基づいた方法に変えようと。自分らのやってる仕事を口頭で伝えるんやなくて、形に残すため、まず過去のデータを集めて標準化する作業に取り組んで。
石井:
しかも今みたいなパソコンじゃなかったですからね。

えぇ!?

山本:
そうなんよ! 全部手書きやから、余計に時間がかかる…。
石井:
各所に1台だけでっかいパソコンがあるだけぐらいの時代で。写真もポラロイドでしたからね。現場で問題が起きたときには現像の時間もないからポラロイドで撮るんですけど、1枚が高いからあんまり撮るなって言われるし。
1994年頃、神戸支店 洲本電力所
鳴門海峡横断線路(現在は撤去済)で、先端に鏡のついた絶縁棒で、碍子(送電鉄塔設備)の点検中
「長いので、取扱いが大変。作業するには、命綱が、大切です」

撮れてなくても怒られるし(苦笑)。でも当時ってまだ、マニュアルって言葉も普及してない時代ですよね。

山本:
そうそう、マニュアル化の走り。TQC自体、主にメーカーとか工場とかがやるようなことやったんで、電力業界では初の受賞。めちゃくちゃ苦労しましたが、全社員一丸となって取り組んで成果が得られたのは大きかったですね。最初は各職場で取り組むQC(品質管理)活動も無理やりなところもありましたけど、課題を見つけては解決しようという取組み自体はいいと思うんですよ。
石井:
そうそう、QCサークルの活動も、自主的に続いてますしね。新しい工具とか工法とか、ちゃんとしたモンができたら、成果として残るんで。課題を見つけて解決していくサイクルを続けてきたおかげで、徐々に効率化につながっていると思います。

ずっと現場の第一線で
鉄塔に登れるようにしとかなアカンなって

石井さんは関電学園で学生への指導もされてたんですよね。

山本:
えっ、先生やってたん!?
石井:
3年生の実技だけですけどね。当時あった神戸の実習所で4年間。

後進を育てる難しさって?

石井:
同じ伝え方しても、受け取る側の意識が違うと全然違うんでね。そこはちょっと大変でしたけど。あと、実際の職場である現場だと、若手に一生懸命教えて良くなってきたら、2年で転勤とか!
山本:
(笑)そこはもう、良い人材を育てて会社の役に立てたと納得しましょう。
石井:
納得できたらエエんですけど、あぁまたゼロからか…と。どこもそうなんですけどね(笑)。
山本:
僕らは単独でやる仕事やから、あんまり指導するって感じではなかったけど。ただ、伝えるだけではアカンのですよね。伝えたつもりでは意味がない。教わる立場の人が、ちゃんとわかるような伝わる言い方をしないと。…って、今でこそ、そう思うんですけどね。
石井:
最近の傾向でね、空返事するんですよ。説明して「わかった?」って訊いたら、「はい」って言うんやけど、できてない(苦笑)。
1991年頃、京都電力所 事務課
「この当時は担当業務(購買)も忙しかったが、餅つき、運動会、夏祭り等、
地域とのイベントへの運営協力も精力的に実施していた」

(苦笑)あ~、言いづらいんですよね、「わかりません」って、なかなか。

石井:
それもあるとは思うんですけど。
山本:
「なんで知らんねん」って言われるのがイヤってのも、あるんやろうけどね。

若手社員のカラーが変わってきたな~っていうのはあるんですか?

石井:
いつの時代でも何らかありますからね。僕らが入ったときは、「お前ら新人類やな」って言われてましたし。今で言うたら「ゆとり世代」。確かにそういう子もおるけど、そのなかで素晴らしい子もおるんで。

やっぱり、そうですよね。
次の世代に向けて、「こうしたい」「こうありたい」ってことは?

山本:
定年まであと数年ですけど、形として何か残しておきたいですね。仕事のやり方とか。それが後々、通用するかわからへんけど、今のやり方がベストやと思われるモンについては、伝えられるモンは伝えておきたいなと。
石井:
僕はずっと現場の第一線で鉄塔にも登れるようにしとかなアカンなって。いざ点検するときに、シュッと登れないと使いモンにならんのでね。おっちゃんが頑張ってると、下の子ももっと頑張らなアカンって思ってくれるやろうから(笑)。逆に邪魔になってもアカンから、できる間はできる限り。
1998年頃、神戸支店 洲本電力所
地上50m、77KV送電線路鉄塔で、架線金具クランプ(送電鉄塔設備)の締め付け点検中
「仕事は、安定した作業姿勢が、あってこそ」

昔、ご自身もそういう姿を見てこられたんじゃないですか。

石井:
そうそう。年配の人でも、スッと登れる人は登っていくんですよ。それ見て「すげぇ~!」と思ってたんで、定年まで、体力の続く限りは、頑張っていかなアカンなと。

お客さまに対しては、どうですか?

石井:
僕らは仕事でお客さまと密に関わる機会は少なくて、「鉄塔の上にカラスの巣ができてるから取ってくれ」「はい、わかりました!」ぐらいの感じですけど、結局、何かあったらすぐ対応するってスタンスが大切なんちゃうかなぁと。「関電に任せとけば、なんとかしてくれる」っていう信頼が大事。
山本:
仕事でなくても、地域の方々と接する機会に、原子力に関する質問があったりするから、説明したりしてるんですが、そういうコミュニケーションって大事やなぁと。最近、自治会とか地域のコミュニティ活動に参加せぇへん人も多いけど、関わることで情報も得られるし、会社がどう思われてるかということもわかるから、若い人らも行ったほうがエエんちゃうかな。つながりをもったら仕事に役立つこともあるし、視野も広がるし。

石井さんは、今の若い世代に、どうあってほしいと思います?

石井:
さっきの話につながりますけど、「あいつに任せとけば、なんとかしてくれる」と思われる人を目指してほしいですね。まず信頼される人になってほしい。人によって能力差もありますし、できる業務量は違いますけど、自分のできることを精一杯、意欲をもって取り組む姿勢が、みんなの信頼を得られる第一歩ちゃうかなと。

ちなみに今この時代やったら、関電に入ろうとしてました?
3.11後に就職期を迎えたとして。

石井:
人それぞれの考え方があると思うんで、一概には言えませんけど…。
山本:
僕は入りますねぇ。今この状況を踏まえてなら。ええ会社やと思ってるんで。ヘンな奴もおらんし…おるかもしれんけど(笑)、関わったことがないし。周りの仲間や環境に恵まれたからこそ、40年という長い年月、勤務できたんで。その間に関わってもらった人らには、感謝してますよ。
石井:
確かに、続けられてるのが何よりの証拠でしょうね。大きなケガもなく、無事に過ごせたことがありがたいですわ。

やっぱり、働いてる人がいい、っていうのは大きいですねぇ。
でもまだまだ時間ありますんで(笑)、これからもよろしく頼みます!

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